昼過ぎにその小さな町に辿り着いたルーク達一行は、真っ先にホテルのチェックインを済ませて今夜の寝床を確保した。町に宿屋は一軒しかない。連日の野宿にうんざりしつつあった少年少女達は、折角の街中でまで野宿する羽目には陥りたくなかった。
男部屋と女部屋に別れた後に嵩張る手荷物を置き、一行は手分けしてアイテムの補充や情報収集の為に街中へ繰り出すことになった。廊下で話し合っている内容によれば、一旦宿の前で集合してから皆で夕食を食べに行こうと算段しているようである。
「楽しみ〜!今夜は何食べようかなぁ!!」
「ははは。ルーク、ナタリアと食事当番が続いた時は地獄かと思いましたからね」
「んまぁっ!それはどういう意味ですのジェイド!?」
「まあまあ、久しぶりに外食ってのも気分が変わっていいじゃないか、なぁ?」
本人らにその自覚はないのだろうが、平均年齢の低さもあって非常にかしましい集団である。
わいわいとお喋りを続けながら廊下の端にある階段を降りていった一行を、……物陰からこっそり覗いている不審人物がいた。
「ふふふ……奴らは当分帰ってきませんね」
どういった照明効果によるものかは不明だが、扉の影にピンポイントで光が差し込み、暗闇に潜む獣のような怪しさで眼鏡のレンズが輝く。
彼らの行く手に先回りし、前日から宿の客室係として潜入していたディストであった。
身元不明の男をホイホイ従業員として雇い入れる、ホテル支配人の危機管理意識を問いたいところである。が、男本人はともかくセットで付いてくる超高性能の譜業掃除機・譜業大型冷蔵庫・譜業全自動洗濯機の三点セットに一溜まりもなく陥落したのも、資金難に苦しむ経営者としては仕方ない話かもしれない。おそらく普通に購入すれば、ディスト一人に支払う賃金数年分はしそうなブツであるからして。
自ら掃除機を持参してきた癖に前時代的なモップとバケツで両手を塞ぎ、ディストは掃除の途中だった客室の扉からにょっきりと顔を出した。見咎める人間がいないことを確認してから、客室係に持たされているスペアキーを使い、先程ルーク達が出ていったばかりの部屋に掃除用具一式を抱えたまま抜き足差し足忍び込む。
普通は掃除なども済んで完全に整えられた部屋に泊まり客は案内されるのであって、一泊目の客室に呼ばれてもいない従業員が立ち入ることはないのだがそこはディスト、誰かに見付かっても「勤め始めたばかりなのでよく解っていなくて…」で押し通す気でいる。
「万一奴らの内の誰かが帰ってきても、この完璧な変装では私が誰か露見する筈がありません!はーっはっはっ!!」
隠密行動中ということを一切忘れてディストは哄笑した。客室の壁に掛かっている縦長の鏡には、黒い服に身を包んだディストの全身が映っている。自称完璧な変装という割に、銀色の目立つ色の髪も、不健康そうな青白い顔色も、紫の口紅も丸いフレームの眼鏡も常と一切変わりがない。
変わっているのは服装で、ディストは女物のワンピースを身に付けていた。もっと正確に言えば、黒いワンピースに白いエプロンを纏って頭にカチューシャを乗せた正統派メイドさんの格好をしていた。ちなみに、このホテルの従業員の制服ではない。
女にしては背は高めだが、ひょろひょろのモヤシ体型が幸いしてか、見るからに似合わないということはない。デザイン自体は地味めで、スカート丈も膝より下であるのが救いと言えないこともないが、……姿見の前でくるりと一回転しフレアスカートをひらめかせる三十五歳の男というのは、客観的に見ればかなりキッツイ光景である。
「この華麗な着こなし!どこからどう見ても可愛いメイドさんですね!」
どこからどう見ても女装したマッドサイエンティスト以外の何物でもないが、一人潜入中という状況では余人によるツッコミは得られない。鏡の前で深く納得してしまったディストは再び掃除用具を手にすると、鼻歌を口ずさみながら濡れたモップを二、三往復だけさせた。
「よし、これでアリバイ作りは良いでしょう」
やはりツッコミを入れる人間は誰もいないので、ディストは満足して客室の掃除(モドキ)を終わらせた。
べちゃべちゃに濡れた床から視線を外し、自称可愛いメイドさんが見た先は客達の荷物袋。といっても空き巣が目的ではない。
「ふふふ……この六神将薔薇のディスト様が、奴らの荷物を漁って弱点を見付けてやりますよ!覚悟なさい!!」
先程から独り言の多過ぎるディストは物言わぬ荷物袋に向かってずびしっ!と指を突き付け宣誓すると、ベッドの脇に走り寄って袋の口を開けた。やっていることは大して空き巣と変わらない。
暫く一つの袋の中をごそごそ掻き回していたディストは、ぱっと顔を上げて黒地に白のアクセントが入った詰襟シャツを引き摺り出した。
「ジェイドの軍服…!やっぱりこれはジェイドの荷物だったんですね……」
満面の笑みを浮かべ、皺が寄るのも構わずきゅうっとシャツを抱きしめる。弱味はどうした六神将。
「! …ということは、このベッドは今夜……」
各人の荷物袋は、それぞれ一つずつ人数分の寝台の脇に置かれていた。ごくりと、ディストは生唾を呑む。書いてる人間ちょっと辛くなってきた。
そわそわと肩を揺らしてディストは左右を見渡す。勿論目撃者は誰もいない。おっかなびっくりといった調子で、綺麗にメイキングされた寝具の上に片手を乗せた。次いでそろそろとシーツの表面を撫でてみる。
再び左右に目を走らせてから、ディストはシャツを抱き締めたまま、寝台にゆっくりと膝を乗り上げた。
「バレないですよね、きっと……」
根拠のない呟きで自身を納得させ、ぽすんと仰向きに寝転がる女装男。そのまま胎児が眠るように、手足を縮めて腕の中のシャツを抱え込んだ。
ジェイドが眠る予定のベッド。微かにジェイドの匂いが残るシャツ。こうしていると、なんだかジェイドに抱き締められているような心地になりますね。
「幸せ……」
うっとりと目を瞑り、ディストはシャツを鼻先にまで手繰り寄せた。もはや潜入だとか弱味だとかの話は脳裏から消え去っている。
「……ジェイド……」
「はい」
幸福感に酔うあまり、うとうとと微睡むディストの耳には幻聴まで聞こえてきた。
「はっはっは、窃盗の現行犯ですね☆」
………………………ん?
「ジェイド!!?」
夢の中のジェイドにしては言うことが本物らし過ぎる。がばりと、ディストは勢い良く上体を起こした。
「忘れ物を取りに来たら……一体何をしてるんですか、ディスト?」
不自然なまでに朗らかな笑みを浮かべ、死霊使いの二つ名を持つ幼馴染がベッド脇からこちらを覗き込んでいる。よりによって本人に見られた羞恥にディストの顔は紅くなり、次いで蒼くなった。ジェイドの笑顔はディストにとって、災厄の予兆以外の何物でもない。
「なっ、何のことでしょう!?私はそのような者ではっ……」
今の服装を思い出して惚けてみるディストだが、今自分でジェイドの名前を呼んでおいて苦し過ぎる言い訳である。当然ジェイドは黙殺した。
「私のシャツをオカズにしてたんですか?いやらしいですねえ」
「なっ!違います、酷いですジェイドっ…!!」
どういった照明効果によるものかは不明だが、きらんと光を反射して輝く眼鏡の所為で、ジェイドの視線の先をディストは知ることがなかった。寝転がってゴロゴロしていた所為で太股近くまで捲れ上がったスカートの裾を舐めるように見つめられていると知れば、ただでさえいっぱいいっぱいのディストは恥ずかしさで死ねたかもしれない。
「こんな格好までして……そんなに欲求不満なら、私がお手伝いしてあげましょうか?シャツよりも役に立つと思いますよ」
「要りませんっ!私が悪かったですから……はっ、離してくださいっ!!」
乞われたジェイドが素直に離す訳がなかった。
がしりとディストの肩を掴んで無理矢理上体を再び横たえさせると、ジェイドは嬉々としてその身体を跨いで乗り上げる。手袋をしたままのもう片方の手が、するすると脚を撫でながらスカートの中に侵入すれば、ディストの口から「ぎゃっ」という色気のない叫びが洩れた。
「ぎゃ……ぎゃああああ!!いやぁーーーー!!!」
「おやおや失礼ですねぇ。誘ったのはお前の方でしょう?」
「ひいいっ!!違いますってばぁあ、ジェイドの馬鹿ああぁぁ!!!」
とうとう泣き出したディストを見下ろすジェイドはますますテンションを上げている。典型的ないじめっ子の症状である。
「皆は当分帰ってきませんから……可愛いメイドさんと一緒にゆっくり出来ますね?」
最初からディストが潜んでいたことを察知していたジェイドに謀られたのだと、今更気付いても後の祭。
抵抗するディストの悲痛な叫びは文字通りの口封じに遭い、やがて違う種類の啜り泣きに変わっていったのだった。
 
 
 
 
 
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bagatelle=ピアノ小品に用いられる曲名。原意は〈つまらないもの〉。
ベッドに寝っ転がってジェイドのシャツをくんかくんか嗅ぐ気持ち悪いディストを受信したので書いてみた。全5ページくらいの漫画で見てみたいネタですが、管理人絵が描けないのだから仕方ない。
メイド服は単なる趣味。ぶっちゃければディストに一番似合う女装コスはモンコレレディだと思ってるんですけどね!( ゜∀゜)o彡゜ネコミミ!ネコミミ!