詠師トリトハイムは切羽詰まっているだろう私の顔を目にして、聖職者らしい穏やかな表情を俄かに曇らせた。罪悪感とも受け取れるそれを見た私は溜飲の下がる思いもしたけれど、やっぱりという落胆の方が割合としては大きい。
導師守護役の座を解任された…というよりも肝心の導師が不在な所為で組織自体が解体されたような現状、今の私の所属はトリトハイム師の部下ということになっている。
特別に目を掛けて貰っていることは、アポも取らずに突然乗り込んできたにも関わらず、お忙しい詠師が直々に会ってくれていることからも理解出来る。それと同時に、自分が組織の中では下っ端の一兵士でしかないことも。世界を救った英雄一行と持ち上げられて、ちょっとどころではなくいい気になっていたと自覚するのは恥ずかしいことだった。世界を救ったのはルークで、私自身が何かを成した訳じゃないのに。
これじゃいけないと思いながらも知らず知らずに険しくなる私の視線を避け、トリトハイム師はゆっくりと目線を伏せた。その仕草はありし日のイオン様が自分の無力を自嘲して溜息を吐き出す時のそれにそっくりで、つい私は怒りも焦燥も忘れて胸詰まらせてしまう。フローリアンだけでない色々な人や場所からあの人の気配を感じ取ってしまって、だから私は意味がないと知っていても教団から離れられないのだろう。
「……マルクトへ使者を送った件か」
先に核心へと触れたのは詠師の方で、ティアからの手紙を読んですぐに詠師の私室へと駆け込んだ私は頷いた。簡素な部屋には余人の姿はなく、遠慮なしに口を開くことが出来る。
「やっぱり本当なんですね。ディストの身柄引き渡しを要求するって」
「先週の会議でそう決定したのだよ」
導師が不在となった二年前から、ローレライ教団では定期的に高位聖職者を集めた会議を開き、教団の方針や外交問題や信徒の統率などあらゆる案件を合議制で決定することになっている。ユリアシティで祖父の補佐をしているティアは、テオドーロさんから会議の内容を聞いてすぐに報告書みたいな彼女らしい文面の手紙を送ってくれた。会議以降も詠師と顔を合わせることがあったにも関わらず、私といえば彼女の手紙が届くまで何も知らずにのほほんと一週間を過ごしていたらしい。涙が出そうな話だ。
「……アニスちゃんなら皇帝陛下ともお知り合いだし、今度もお使者を任せて下さったら良かったのにぃ〜」
事実を確認したことで、やっといつものぶりっこ演技をする余裕も出てきた。仕方ないと諦めるんじゃないけど、既に起きたことはどうやったって変えられない。
「その提案を議題に乗せたのは律師カンタビレで、彼女が自分の部下を派遣すると強く推したゆえにな」
別段反対する理由もなかったからすんなり決まったのだと、トリトハイム師は微苦笑を浮かべた。
「トリトハイム様も賛成されたんですか?」
「元六神将は既に教団から破門処分を受けているが、だからといってその後の彼らが新ローレライ教団と称して行ったあれこれを、詳しい事情を知らない一般の信徒は切り離して考えられないと思うのだよ。ただでさえ預言の全面廃止以降、教団の求心力は低下している。ヴァン達の企みが我々とは完全に無関係であったことを証す為にも、ローレライ教団としては自らの手でディストの罪を裁きたいのは山々だ……」
「……そうですね」
嫌うという積極的な感情を持っていなかったとしても、あいつのことを好きだった奴なんて教団に幾人いるだろうか。私だって好きじゃない、あんな馬鹿でナルシストでセンス最悪で根暗で口喧しくて寂しがりの鬱陶しい奴。でもそんなことが理由で罪に問われてるんじゃなくて、詠師が言っているのは政治的な判断というやつなのだ。事実、騙された訳でもないのにヴァンやモースに手を貸していたあいつの行動には全く弁解の余地もない。処刑されずのうのうと二年間生きている現状こそが不自然なくらいに。
既に起きたことはどうやったって変えられない。だったら。
「あのぉ、突然で申し訳ないんですけど、しばらく休暇を頂けませんか?」
大事なのは、これから何をするかだ、と私は思う。
「ああ、許可しよう」
「ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げれば、ツインテールに括っている髪が文字通りの尻尾みたいに勢い良く耳の横で跳ねた。休暇の目的は確実に察しているだろうに、詠師はあいつと違って本当に良い人だ。
……でも、一応は友達なんだよねぇ、あいつ。
私が行って出来ることがあるかどうかは解らない。けど、このまま知らんぷりで放っておくなんて寝覚めが悪いじゃん。あの戦いで、折角お互い死なずに済んだんだから。
出来ることから一つずつ。二年前のあの旅で何度も言い聞かせたことだ。ルークがこの話を聞いたら、きっと打算も何もない七歳児の瞳でディストを助けたいと言い出したに違いない。
ルークはここにいないけれど、例の食えないおっさん達が唯々諾々と幼馴染みをダアトに引き渡す訳がないと私は確信していて、協力出来ることがあるなら力になりたいと思ってしまっている私自身も、多分あの馬鹿のことがそれほど嫌いではないんだろう。
「彼によろしく伝えておいてくれ、唱師タトリン」
詠師トリトハイムの伝言を有難く拝聴し、こうして私アニス・タトリンはグランコクマでの休暇を過ごすことになった。
 
 
 
 
 
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