※主要な役どころじゃないですが、御本家未登場の捏造歴史キャラがいます。ご注意。



 
 
 
フランスは芸術を愛する国であるので、美しいものは何であっても無条件に礼讃する心を持つ。



とは言っても、これはどうだろなぁ……。
付き合いの長い友人と目下の恋人が口付けを交わしている光景には、どう反応を返すのが妥当だろうか。一瞬動きを止めた足を叱咤し、フランスはゆっくりと庭に張り出したテラスまで歩み寄った。
「やっほー、相変わらずお熱いねえ」
硬い靴音も聞こえぬ様子で互いの存在に夢中になっている二人の気を惹く為、わざとらしい大声で呼び掛けてみる。
「あら、お邪魔してますよ」
「なんでお前おれへんの、また無駄足したかと思うたわぁー」
乗り出していた上半身をすっと自然な仕草で後ろに倒し、フランスへと顔を向けた二人に罪悪感の影は微塵も伺えない。常なら反感と嫌悪の籠もった一瞥を寄越してくる筈のオーストリアまでもが比較的穏やかな顔付きなのは、丸テーブルの上で茶器の間を縫うようにして繋ぎ合わされた掌が理由なのだろう。
フランスはゆっくりと眼を細める。そのまま額縁に入れて飾っておきたくなるような画面構成だ。背景は牧歌的な農村を模した、花と緑が溢れるプチ・トリアノンの庭園。前景にはフランス好みの見目良い二人が指先を絡め、柔らかな眼差しを交差させる。申し分ない幸せの偶像だ、二人が恋人関係にないことを除けばだが。
「無駄足じゃないみたいだけどね、その様子だと」
わざわざ俺ん家でデートなんて、妬かせるのが目的?確かに、我ながらデートスポットに相応しい美しさだとは思うけど。
「馬鹿じゃないですか」
馴染み深い冷ややかな表情を漸く浮かべ、オーストリアは皮肉気に唇を歪めた。その表面は今し方の接吻の名残で艶やかに濡れている。
「俺はお前に用があってんけどな。ここお前ん家やのに、オーストリアにだけ会うてそのまま帰っとることの方が多い気がすんで、最近」
ええのん?最近めっちゃ留守してへん?
高慢ちきな貴族と違い、スペインの台詞には一片の皮肉も含まれていない。深刻ではない心配だけを唇に乗せ、悪友は朗らかな笑顔を浮かべている。オマケのように扱われても誇り高いオーストリアが不機嫌にならないのは、繋がれたままの相手の指先が、宥めるような柔らかさで手の甲や指の付け根を擽っているからか。無意識の所作だとすれば、我が友ながらとんだ天然のタラシである。
「だったら帰るまで待っててくれてもいいじゃん、友達甲斐のない。俺だって忙しいんですぅー」
触れられたくない部分からわざと焦点を逸らした返答をすれば、やはり大した意図があった訳ではないらしい。スペインはあっさり誤魔化された。
「せやかて俺もそんなに暇とちゃうもん。オーストリアもそうやんな?」
「私はフランスなんかの顔を見ずに済んで清々してますけどね」
つんと顎を反らす様は相変わらず可愛くない。しかし何故だか不快さを感じない自分にフランスは内心で戸惑った。オーストリアの態度を嗜めるつもりなど一向にないスペインは、上司が働け働けうるさいねん、農業しろ言うとったからトマト畑の面積増やしたったけど云々と、マイペースに自分の喋りたいことだけを口にしている。
「だったらさぁ……」
苦笑しつつフランスが壁際の椅子をテーブル近くまで引き寄せれば、
「まあっ、何で貴方がいらっしゃるの!?」
甲高い叫びが咎めるようなタイミングで寄越される。見れば、質素なドレスを纏った貴婦人が白いエプロンの裾を持ち上げ、沢山の花を詰め込んでテラスに戻ってくるところだった。
「逢瀬の邪魔なんて不粋ですわ、折角人払いをしてたのに!」
「酷いよマリー、俺だけ除け者にするつもり?」
淑女に対する礼儀として自分が座るつもりだった椅子を勧めれば、小さな唇を尖らせつつも優雅に腰を下ろす。三児の母となってからは娘らしい稚気も大分抜けてきたと思っていたが、こうして拗ねた素振りで膝の上の花を弄っている姿は彼女が自国へ嫁いで来たばかりの頃と全く変わらない。確かにこのプチ・トリアノンは限られたお気に入り以外は立ち入れない彼女の隠れ家だが、この国そのものであるフランスの出入りを制限することは建前でも物理的にも不可能だというのに。
「逢瀬なんて立派なものではありませんよ、王妃さま」
女性を無下に扱えない気質のフランスに珍しく助け船を出したのは、国境を越え頻繁に顔を見に来なければ安心出来ないくらい過保護なくせに、決して彼女を嫁ぐ前の名前で呼ばないオーストリアだった。不躾に見えない自然さでそうっと腕を伸ばし、一本の矢車菊をエプロンの上から摘み上げると、優しい手付きで彼女の耳元にそれを挿す。瞳の色に似た蒼穹色の花弁は、プラチナブロンドの髪によく馴染んだ。
「こんな甲斐性なしが相手ではそんな気にもなりませんね」
「ええー酷いやんオーストリアぁ」
今し方まで熱烈にべろちゅーしてたのはどこの誰でしたっけ……。二人の演技は完璧だったが、見せ付けられていたフランスだけでなく、二人の恋のキューピッドを自任しているらしい彼女も納得していない様子で、胡乱気な眼差しを母国へと注いでいる。
しかしテーブルに目を移せば、握り合わされていた筈の二つの手はいつの間にか各々の膝の上に行儀良く戻されていた。彼女の思惑は別として、少なくともオーストリアは己が所業を隠そうとしているらしい――フランスには全くそのような気遣いを見せないくせに。
気を許されているのか、単に侮られているのか。どちらにしても不本意である。
「フランスを待っていたのでしょう?私のことは気にせずさっさと話してきなさい」
「へ〜い」
「えっ、用事があったのってマジで?」
だらだらとした調子ながら促されるまま席を立ったスペインに驚いて、フランスは言わずもがなのことを問うた。てっきり、ここで落ち合う為の単なる口実だと思っていたのだが。
「何ボケとんの。さっきからそう言うとるやん」
「先の独立戦争に私は関わっていませんからね。さっさと密談でも何でもしていらっしゃい」
ひらひらと犬でも追い払うような仕草で手を振るオーストリアに自分の方が席を外すという発想はないらしい。まあ、この場で一番身分の高い彼女が愛する母国を追い出すような真似をする筈もないが。
「ああ、その話……」
「陛下も頭を抱えていましてよ。わたくし政治のことは解りませんけど、これでは何の為に派兵したのだか、ですって」
「……………」
色違いの六つの眼差しに見つめられ、予想以上の居心地の悪さにフランスは言葉を失った。誰も深い思惑など有しておらず、従ってフランスを責めている訳ではない。だからこそこんなにも居たたまれないのだと、逆恨みと承知しつつも内心では行き場のない苛立ちが募る。
「まあなぁ。あの眉毛をこてんぱんに出来ただけでも俺は満足やけどな」
「そういえばイギリスの様子は如何でした?」
あなた、会ってらしたんでしょう?
悪意の籠もったスペインの感想以上に、オーストリアが微かな労りを滲ませて口にした問いかけの方が、より鋭くフランスの心臓を抉った。
「……はは。あいつは殺しても死なないような奴だぜ」
「ええー、一矢報いてやった思うてたのに、ほんま腹立つやっちゃなあ、あの海賊野郎」
心配するだけ無駄だと笑い飛ばせば、真に受けたスペインが不満そうに眉を顰める。
とんだ大嘘だった。今のイギリスは死人も同然だ。柔らかな光に満ちたテラスとは真逆の薄暗い部屋を思い出し、その落差にフランスは目眩を覚えた。



……昼間もカーテンが閉じられたままなのは、雨が降るのを見たくないかららしい。可哀想に、あの国の気候は一年中雨が絶えないのだ。
偶然行き合ったイギリスの部下に聞いたところでは一年以上屋敷から一歩も出ておらず、当然議会にも顔を出していないらしい。いつフランスが訪れても、薄暗い部屋の住人は酒浸りになっているか暴れ狂って部屋中の物を叩き割っているか机の陰に蹲り膝を抱えているかで、共通しているのは分別のない子供のようにえぐえぐと泣いていることだった。
碌に物を口にしていないだろう半死人の為に、フランスは持参した食材を使って温かな料理を作ってやる。ふくふくした丸みをすっかり失った頬を撫でてやれば、乾いた涙の跡が指先に引っ掛かり、その軌跡を追って新たな水滴がイギリスの頬とフランスの指を濡らした。室内で雨が降り続いているのなら、いくらカーテンを閉じても意味がない。
誰よりも愛する弟を失ったイギリスにはもう誰もいなくて、孤立していて孤独で独りぼっちだった。客観的に判ずるならその認識は間違いだったが、主観ではそういうことになっていた。フランスが訪れると、イギリスは嗚咽混じりのかすれ声でアメリカに助力した隣国を散々口汚く罵倒し、時に殴り掛かろうとして拳を振り上げ、時に広げた腕の中に飛び込んで溺れる者のように唯一の他者へと縋り付いた。宿敵の弱りきった姿にフランスの魂は満たされ歓喜し、何百年と求め続けた世界の実現を神に感謝した。
あの腹の底から燃え滾るような喜びに身を浸した後は、光に満ちた美しい世界の全てが色褪せたものに見え、気付けば薄暗い部屋を目指して中毒患者のように海峡を越えている。



「ちゅー訳で、ちょっとあっちで仕事の話してくるわ。すぐ戻るから待っといてな」
「嫌ですよ。適当に折を見て私は帰らせて頂きます」
「あら!駄目ですわすぐ帰るなんて。わたくしともお話しなくては!」
ぞっとするのは恋人の不貞に嫉妬の一つも湧き上がらない自分、美しい光景を観賞し楽しむ気持ちの生まれない自分、何より自国にいながらにして酷い場違い感を抱く自分に対してだ。フランスだけがこの美しく幸せな風景に馴染めない。フランスは誰よりも光り輝く、愛と美の国であるというのに!
「……フランス?早よ行くで?」
「ああ悪い悪い、長旅の疲れが出ちゃって。オーストリア、後で俺の相手もしてくれるよね?」
「仕方ありませんね……」
元々腰を下ろしていなかったのだから、足を動かすだけですぐに追い付くことが出来る。スペインに続いてガラス扉を潜る直前、振り返りざま投げキッスを送ればオーストリアは不快そうに眉を顰めたが、返ってきたのはフランスに対するにしては随分と甘い回答だった。疲れてらっしゃるなら私に構わず休んでいれば宜しいのに。更にそんな労うような言葉まで付いてきて、本来なら嬉しいと感じなくてはならないのだろうが、微塵も動かない心にフランスはこっそりと溜息を吐くしかない。
フランスの魂はあの戦場と薄暗い部屋の所為で作り替えられてしまった。打ち拉がれた無力な姿で人を油断させておいてこの仕打ち、なんと忌々しい眉毛だろうか。ただでさえ国内は問題の多い時期で、上司達と協力して腰を据えて解決に取り組んでいかなければならないというのに、本当にこれは根暗な隣国の呪いかもしれない。


――これ以上この場所にはいられない気がする。


「イギリスから分捕ったフロリダのことやねんけどな……フランス?」
明るいスペインの声も、今はフランスを慰めない。漠然とした予感がじわりと胸を暗くした。
 
 
 
 
 
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その6の続き的な。限りなく仏(→)英がメインっぽいですが、墺さんはこの時点で結構仏のことが好きになってます。だからこそ四年後ガツンと来る。
あんまり深い意味もなく矢車菊とか書いたら、ガチでマリーさんの好きな花だったと後から知って吃驚しました(;・∀・)