庭から賑やかな声が聞こえてくると思えば、どうやらドイツがプロイセン相手に剣技の練習をしている所のようだった。
オーストリアの起床時間は他の家族に比べると遅いらしい(家族、という名称を使ってみたのが久しぶり過ぎて、オーストリアは思考を声に出した訳でもないのに、口元を押さえて面映ゆさに耐えなければならなかった)。生活サイクルが合わないので朝食は食堂ではなく自室に運ばせて摂っているのだが、オーストリアが朝のコーヒーを終えたばかりのこの時間は、ドイツ達にとってはすっかり腹の中身も消化してしまった、運動に相応しい時間帯なのだろう。
身の丈に合った短めの剣を振るうドイツはとても愛らしかった。幼い面貌に真剣な表情を浮かべ、彼にとっては見上げるような体躯のプロイセンへと打ち掛かっていく姿は精悍と表してもいいくらいなのに、重い鉄の塊を振りかぶる度に重力に引きずられ、足元がふらついてしまっている。
プロイセンはアドバイスを加えつつ正面からドイツの攻撃を受け止め、時に様子を見るような調子で軽く突きを繰り出している。敵として何度も対峙したことのあるオーストリアの目には、小さな弟の為に彼がとても努力して手を緩めていることが見て取れたが、それでも今のドイツにとっては一筋縄ではいかない強敵らしい。一時中断の声を掛けた後、服の袖口で額の汗を拭っていた。
「プロイセン兄さんは強すぎる……」
「俺様に勝てないからって気にすんなよ!これからは剣じゃなくて銃の時代だしな!」
子供らしからぬ苦悩の表情で眉間に皺を寄せるドイツに揶揄いの言葉を掛けながら、プロイセンは他の者達には見せたことのないような険のない表情で笑っている。そうしていれば多少は外見年齢相応の落ち着きも感じられるのに、日頃の行いの駄目さ加減は残念としか言い様がない。因縁ある国へと落第点を下し、オーストリアは内心で溜飲を下げた。
怪我を防ぐ為に刃を潰してしまっている練習用の剣を使用していると承知しているからこそ、オーストリアも微笑って彼らの訓練を見ていられるのだが、切れ味を失った剣でも鈍器としての威力が衰えた訳ではない。プロイセンがドイツのことを傷付けないという絶対的な確信があるからこそ、黙ってその身柄を任せていられるのだ。我々はドイツの存在を愛さずにはいられない。今まで歩んできた道程を思えば、何と幸せなことだろうか。
「あ、オーストリア」
集中が途切れたことで、少年は見学者の存在に気付いたらしい。快活な笑顔を浮かべるドイツから自分への好意を感じ取り、オーストリアも品格を失わない程度により一層相好を崩した。どうせ知っていて無視していただろうプロイセンは、ドイツの注意が自分から逸れたことが大いに不満そうである。何ともいい気味だ。
「Gruess Gott、ドイツ。朝からお元気ですね」
「あ、ああ……」
ポケットからチーフを取り出し柔らかな顔を拭ってやれば、運動によって血色の良くなっていた頬がますます赤みを帯びていく。どうやら恥じらっているらしく、もじもじと身を揺らす仕草がなんとも可愛らしい。
「おいオーストリア。挨拶の言葉はGuten Tagだろ。ドイツに嘘教えてんじゃねーよ」
勿論プロイセンが二人の仲睦まじさを気に入る筈がない。大人気なく難癖を付けながら、ドイツを背後から抱き込むように威嚇してくる露骨さには呆れるしかないが。
「オーストリア……嘘なのか?」
「そんな訳ないでしょう、私の地方の正しい挨拶の言葉ですよ。疑わしいならバイエルンにも聞いて御覧なさい」
不安気なドイツの頭を撫でてやれば、強い調子でプロイセンがその手を振り払ってきた。流石にかちんときたオーストリアが睨み付ければ、相手を見下し馬鹿にするようないつもの下品な笑みを浮かべてニヨニヨしている。
「はっ、田舎の方言なんざドイツが覚える必要ねーんだよ。頭にハエが止まってるようなどこかのお坊ちゃんとは出来が違うからな」
「あなたのようなお下品で濁音だらけの発音こそドイツに相応しくありません!いつも怒っていると誤解されて好きな子にフラれるようなことになったらどう責任取る気ですか!?」
「なっ……テメエエエエ!!!それは暗に俺がモテないって言ってんのかゴルァ!!!!」
「そう聞こえたなら安心です、病院に通う必要はないようですね!」
「…………あの、それで。どっちが正しいんだ?」
頭に血が上った二人も、困惑に満ちたドイツの呟きを聞き流すことは流石に出来なかった。悪口の応酬に夢中になりすぎてつい弟の前だという事実を失念していた兄二人が慌てて見下ろせば、全身で居たたまれないと主張するかのように体を縮め、不安そうに地面へと視線を落としているドイツの姿がそこにある。
オーストリアの胸は潰れんばかりに痛んだが、それはプロイセンも同様らしい。途端に威勢を無くし、そわそわとオーストリアに視線で助けを乞うてくる珍しい素直さと疑いないドイツへの愛情に敬意を表して、仕方なくオーストリアは自分が折れてやることにした。
「……そうですね、応用を知るのは基本を覚えてからにしましょうか。では改めて、Guten Tag」
「……Guten Tag、オーストリア」
自分を見上げて笑うこの可愛い子供の為なら、多少の妥協が何だというのだろう。別にオーストリア人がこの挨拶を全く口にしないという訳でもないのだし。
ドイツの頭の高さに身を屈め、頬に軽い口付けを送って挨拶を交わす。深い満足感を抱きつつオーストリアが上体を起こせば、何故だかドイツそっくりの表情で頬を紅くしたプロイセンと目が合ってしまった。
「な……、なあ、俺に挨拶はないのかよ。お前、朝メシの時いなかっただろ」
「はいはい、Guten Morgen」
「おおモルゲン…って、いつまで朝だと思ってんだよこの腐れ坊っちゃん!!」
ちゃんと挨拶を告げたというのに、何故だか今度は涙目で怒鳴ってくる。オーストリアばかりが歩み寄ってやる必要などないのだと、この馬鹿な男は理解していないのだろうか、ひょっとして。
再び勃発した下らない罵り合いは、思い余ったドイツが文字通り体当たりで割って入るまで続けられることになったのだった。