プロイセンが押し付けられた犬の散歩から帰ってくると、フランスが荒縄でぐるぐると幾重にも縛られ、庭先に放置されている光景に出くわしてしまった。
 ベッドの下に広がる弟のカオスワールドを陰ながら見守ってきた兄貴分は、とうとう趣味を実践に移すことにしたのだろうかとその健やかな成長ぶりに思いを馳せたが、フランス本人に聞けば何のことはない、単にスパイとして捕縛されたというだけのシチュエーションだった。どうやらセクハラの現行犯逮捕だったらしく、プロイセンは呆れ果てたがこういう奴だということもよくよく承知している。悪友である自分はおろか、歴代の上司にもこいつに尻を触られた被害者は数多い。
 哀れっぽい声音で強請られて、ついプロイセンは古馴染みを逃がしてやってしまった。怒ったドイツにタコ殴りにされるくらいの話なら寧ろ大いに推奨したいのだが、堅物なところのある弟が侵入者を軍規通り捕虜収容所に引き渡し、それを聞き付けた今の上司がフランスの処刑がフランス本国に及ぼす影響についての実験を行いたくなる可能性も否定出来ない。実際そういう国際的不文律を無視する暴挙をやりかねない上司達だと知っているだけに、プロイセンとしては見ぬふり出来なかったのだ。
 捕虜の脱走を手引きしたプロイセンは、勿論ドイツの大目玉を食らった。縄目のきつさから大体予想はしていたが、家主は侵入者に対して余程怒り狂っていたらしい。
 巻き取った縄だけをぶらぶら持って報告に向かったプロイセンと、用途を想像したくもないえげつない形状の拷問器具の数々を腕いっぱいに抱えたドイツが鉢合わせして以来、リビングではこれも拷問の一種かと思うようなお説教タイムが延々続いている。
 ちなみにこの騒ぎの間セクハラ被害者がどうしているかというと、先程から木枯らしのエチュードが屋敷中に鳴り響いている。いつもの鬱憤晴らしの最中なのだろう。
 
 
 
「兄さんは解っているのか!?あいつは敵だ!!ことあるごとに俺達を目の敵にして賠償金吹っ掛けてきてルール占領して他国の裏で策動して今も屋敷の様子をこそこそ嗅ぎ回って、あまつさえオーストリアをいかがわしい目で見ているんだぞ!?あの性犯罪者を野放しにしておけるか!!」
 ソファに座るプロイセンの眼前で仁王立ちしているドイツは、想像以上に欝憤が溜まっていたようだった。そんなに鳩時計作りがトラウマになっていたのだろうか。
 とはいえ一番引っ掛かっている内容が何なのかは語調からも駄々漏れだ。微笑ましさにプロイセンがついニヤけると、「真面目に聞いてくれ!」と更に激昂されてしまったが。あいつの身に何かあったら保護下に置いている俺の責任になるという弟の主張は建前で、ひたすら居候が心配で仕方ないとその苦渋に満ちた表情が語っている。
 唯々諾々と叱られてやっていたプロイセンも、兄貴分である自分が何かフォローを入れてドイツを安心させてやらなければならないような気分になってきた。しかし本来こういう役割……説明はオーストリア自身がするべきものではないだろうか。肝心な時に使えない居候である。
「んー…、でもなぁ、フランスの野郎のセクハラ癖は昔からだし、あいつも今は本気でオーストリアをモノにする気はないみたいだぜ。あの態度見てりゃわかる」
「それは何との比較で断言出来るんだ?」
「ああ、お前は知らなかったっけ。あいつら昔付き合ってたことあるんだぜ」
「なっ!?……う、嘘だッッ……!!」
 さほど重大な事実とも思えなかったからこそデータを開示したというのに、ドイツの受けた衝撃はプロイセンの想像を遥かに超えていた。ふら…と眩暈を覚えた人のように体の力を失い、ソファの背凭れに縋り付くことで辛うじて転倒を免れている。病弱な貴婦人のような仕草と屈強なムキムキの体躯とがあまりにもアンバランスで、必死で笑いを堪えつつもプロイセンはそのままソファに腰を下ろすよう弟を介助してやった。精神的ショックが余程大きいのか、文句一つ言わず誘導されるままになっているのは子供の頃を彷彿とさせて非常に可愛い。
「おい……そこまでショック受けなくてもいいだろ。古い付き合いな分、俺達も色々あったんだよ」
「……なんとなくフランスだけは嫌だ……」
 搾り出すような呻きには切実なまでの実感が籠もっている。一々相手の過去を気にしていたら、原則的に寿命のない自分達のような存在は友人付き合いも恋人関係も築けないのだが……まあ、国としての因縁は脇に置くとしても、恋人の浮気相手としては納得出来るが母親の再婚相手としては到底認め難い、フランスという男はそんなキャラクターではあった。
「かっわいーなー、ヴェスト。あんなド腐れ貴族のことも大事に思ってやってるんだな」
「兄さんはどうも思わないのか?」
「って言われてもな……」
 今も内心で考えた通り、一々気にしていられない、としか言い様がない。しかし弟は自分に何を求めているのだろうか。あのお坊ちゃんを肉親的なカテゴリに含めるつもりが100%ない…と言い切るつもりもないが、しかし養い子のような立場だったこともあるドイツと比較的年齢の近い自分とでは、感情も自ずから違って然るべきだというか。
 ……いや、それは欺瞞か。
「まあなぁ、あいつらが同盟組んだ時は危うく殺されかけたし、あの腐れ坊っちゃんマジ泣かす!とか息巻いたけど」
 かつて学んだ歴史の知識と照らし合わせているのだろう。プロイセンの回顧に耳を傾ける弟は、納得と不可解さの入り混じった何とも微妙な表情をしている。
「今から思うと良いこともあったんだよな。あいつら当時からそこまで真剣じゃなかったし、お前もあんまし気にすることないぜ」
 フランスが当時の恋人を手酷いやり方で袖にしたお陰で、プロイセンはようやく坊っちゃんとの和解の糸口を掴めたのだ(オーストリア継承戦争に始まる不和がなければ、とは言わない。あれはプロイセンが彼らと肩を並べる存在となる為には必要な道程だった)。払った犠牲も大きかったが、自分達はドイツという希望を手に入れることも出来た。
 何より、あいつと付き合ったことを契機に、オーストリアは元伴侶との過去を穏やかな回想の世界に仕舞い込んだように見えた。プロイセンがどれだけ努力しても出来なかったことを簡単に成し遂げたという意味では、フランスに感謝していなくもないのだ。
「兄さんの言うことはやっぱりよく判らない……」
「そりゃわからないように言ってんだ」
 こんなこっ恥ずかしい感情を一々説明してられるか。
 神妙に話を聞く姿からも、ドイツの怒りが大分収まったことは見て取れる。落ち着いたというよりショック療法が効いて意気消沈していると称した方が正しい姿だが、眉間に皺を作りプロイセンを見据えてくる弟の眼光は鋭い光を失っていない。
「兄さんがどう言おうとも、俺はフランスが嫌いだし、オーストリアにも近付いて欲しくない」
「ま、いんじゃね?今の情勢だと近いうちドンパチやるのは避けられねぇだろうしな」
 ドイツはまだ若いのでピンと来ないのだろうが、この先も長く生きることになるのだから、そのうち他国との接し方を考え直す日も来るだろう。プロイセンに口出しする気はない。
 ……余裕綽々で兄貴気分を満喫しているプロイセンは、この後戦法を変えた弟が反省文と始末書の書類を抱えて自分を追ってくることまでは想像出来ていない。
 
 
 
 
 
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フランスに嫉妬するドイツと、フランスには嫉妬しないけどスペインにはずっと嫉妬していたプー。
個人的には一応大戦開始前、1938年9月29日のミュンヘン会談より少し後…みたいなイメージなんですが、話の内容自体には関係ないのでその辺は曖昧に。