纏まらない荷造りを最終的には弟に手伝わせ、出立の予定刻限を一時間も過ぎてからようやくロマーノは前庭に現れたのですが、呆れたことにその子をここまで迎えに来る筈のあの人は、今になってもこの家に姿を見せていないのでした。
支度を急かされたことか、或いはそれが結局無駄だったことを気に入らないと思っているのか、ロマーノは先程からずっと不機嫌そうに唇を尖らせています。私は間を保たせようと、先方での立ち居振る舞いや日頃の生活態度について訓辞を述べ続けているのですが、最初は「うるせー」などと反抗的な相槌を打っていたロマーノの態度も、段々と聞き流すような曖昧さに変わりつつあります。私の思い付く小言の数にも限りがあるのですから、あの人には早く到着して頂きたいものです。まったく、昔からだらしない上に肝腎なところで頼りにならない、本当に碌な人ではないのです。
「いいですか、あちらでは……」
そもそも、しきたりや礼儀作法についてはスペイン宮廷の方が余程厳しいのです。私の言うことなど全てその請け売りですし、その作法がこの子に身に付いていないのであれば、スペイン自身がそれを許しているからであって私の口を出すべき範疇ではありません。
そもそも文化面でイタリアより勝れている国など存在するのでしょうか。その文化の最先端、兄を見送る為に私の斜め後方に控えているロマーノの弟は、この代わり映えのしない時間に飽きてしまったようで鼻歌など口ずさみながら雲を眺めているのですが、そのイタリアと根を同じくする兄であるのだからロマーノだって決してその能力において劣っている筈がないのです。私のしていることは時間稼ぎ、いえ意味のない時間潰しでしかありません。
……ああ、とうとう話すことも尽きてしまった。
「――…、本当は心配することもないのでしょうね。あなたはずっと、あの人と上手く暮らしてきたのですから」
私は単なる部外者なのです。無理矢理彼らを引き離した非道な存在でしかないのですから。……正直なところ、私はこの子が憎い。あの人に強く求められるこの子の存在がとても嫉ましくて、私は迎えなど永遠に来なければいいと本心では願っているのです。
「かっ、勘違いすんじゃねーぞコノヤロー」
しかし、そんな私の物思いを知ってか知らずか、ロマーノが今日初めて生返事以外の意味ある言葉を口にしました。見れば唇は尖らせたまま、そわそわと視線を外したりこちらを見上げたり、頭上にくるんと一本立った髪の毛が、落ち着きなく揺れています。
「別にお前だから嫌だとかスペインだから良いってことじゃないんだからな!指図してくる奴はみんな嫌いなんだ、おっ、お前ん家だから特別態度が悪かったわけじゃなくて!!」
真っ赤に頬を染めて、なんということでしょう、ロマーノは腹立たしい元支配者である私を元気付けてくれようとしているのです。私はつい噴き出しそうになってしまいました。
「ありがとう。あなたは優しい子ですね」
「ばっ!ばばば馬鹿にするなよコノヤロー!!」
そうですね。私はあなたに対してずっと申し訳ないとも感じていたんですよ。
弟と引き離したこと、厄介払いするようにあの人の元に預けたことも。支配するならイタリアの方が魅力的だったのは確かです。カトリックの信仰篤きこの子は幸いにしてあの人に愛されましたが、他の支配地に対しては私の行う以上の苛烈な態度に出ていたと知らなくもなかったのに。
ロマーノが嘘を吐いていると私は承知していました。本当にあの人のことを嫌っているなら、どうして待っている間、ずっと表門の方から目を離せないでいるのでしょう。迎えがいつまでも来ないことに段々と消沈していっているのは何故なのでしょうか。
そんなこの子のことが嫉ましくて羨ましくて、けれど被支配国に身を落とすことなど命に賭けても許容出来ない。私の取るべき道など自ずから決まっているのです。
結局、スペインは約束した時間を五時間も過ぎてからのこのことやってきました。待ち草臥れて屋敷内へと引っ込んでいた私達の元に悪怯れもせず歩み寄って、ロマーノを力一杯抱き締めて恥ずかしがったロマーノに殴られ、先日まで敵対していたことを忘れたかのような朗らかな態度で私に挨拶し、でれでれとした表情でイタリアを散々構い倒した後に、最後まで騒々しくスペインは我が家を後にしました。
午後遅くの到着だったからといって、泊まっていくのではないかなどと……期待なんか最初からしていません。していませんとも。
二人を見送った後、騒々しい人がいなくなって落ち着きを取り戻した前庭でイタリアが
「俺がいるから寂しくないですよ」
と言いながら私を抱き締めてきました。まだ背伸びをしなければ同じ目線にもなれない子供のくせに、一人前の男のような生意気を言うものです。この間まで女の子のようだったのに。
「寂しいのはあなたの方でしょう?」
「ヴェー、違いますよう」
いつかはあなたも私の元を去っていくのでしょうか……などとは口に出来ないまま、兄に劣らず優しい召使の少年と手を取り合って、私は変わらぬ日常へと回帰していったのでした。
※その14の後日談的な。
1738年11月18日、ポーランド継承戦争後のウィーン条約で、ザクセンちの上司がポーランド王になるのを認める代わりに、フランスにロートリンゲン、スペインにロマーノを引き渡すことに。