御本家未登場の捏造国(?)が視点キャラです。ご注意。



 
 
 
 この難局に際し、己は頼るべき相手として全カトリックの守護者たる神聖ローマ帝国を選んだ筈だった。……その筈であったが解せぬことに、現在船の舳先は一路西を向いている。
 ――神聖ローマの為すべき事業においては、補佐たる私オーストリアがその実務一切を取り仕切っている。今後は直接私に連絡を寄越すように。
 そう記された返書が送られてきた時はそのようなものかと納得もしたが、嘆願に向かう先がスペイン王国であると聞けば流石に首を捻りたくなった。確か皇帝はボローニャでの戴冠を終えた後はそのままドイツ地域へ向かったと伝え聞いていたのだが、本当に己の行き先はこれで正しいのだろうか。陸の連中は複雑過ぎていけない。
 
 
 バルセロナの港から案内されるまま砂色の王宮へと赴けば、半円型のドーム天井に掛かるアーチも威風堂々とした、ひときわ大きな広間に通された。イザベル皇后は当地の王宮で二人の子供と共に王不在のスペイン王国を守っていたが、大広間で待ち構えていた二人の少年は彼女の皇子ではない。自分と同じく、彼らもまた人ならざる存在である。
「えらい災難やったなぁ。ロードス島の奮戦の話は聞いとるよ。追い出されてもうたんやって?」
 我が身はこの地上にあって、神の代理人たる教皇庁の指図にしか従う必要のない誉れ高き騎士修道会、その理念を現身に体現する者である。神聖ローマならまだしも単なる世俗国に跪くことはしたくなかった聖ヨハネ騎士団は起立したまま彼らに相対したが、豪奢な玉座に並んで腰掛ける二人は台座の高さを含めるとどのみち嘆願者を見下ろす立場にある。齢四百年少々の我が身も少年の姿は同じであるので仕方ないとはいえ、悔しくないと言えば嘘になる。
 スペインとオーストリアは夫婦なのだという。かつてカスティーリャとアラゴンのカトリック両王が二つの玉座を並べて新大陸より帰還した男を労ったティネルの間には現在一方の玉座のみが据えられており、王権の偉大さを示すそのどっしりとした椅子に身を寄せ合うようにして腰掛けた二人の少年が計四本の細い脚をぷらぷらと宙に遊ばせている。同じ玉座を分け合う二国はカトリック両王以上の緊密さと対等な関係を体現しているということかもしれないが、とはいえ、二つか三つほど年下に見える“妻”の肩を抱き寄せたまま親しげな笑みを浮かべて騎士団を見下ろす、スペインその人こそがこの場の支配者であることは一目瞭然であった。
「は……、トルコの猛攻に抗しきれず島を離れることになったのですが、散っていった仲間の仇を討つどころか新たな本拠も未だ見つからない有様で」
「聞いとる聞いとる。えーと、あれから七年放浪しとるんやっけ?」
 七千人でおるとこを20万人で襲い掛かられたんやろ。めっちゃ実力買われとるやん。すごいやんなぁ。
 あっけからんと言うスペインの袖を引き、傍らのオーストリアがこら、と嗜める。
「配慮に欠ける人ですいませんね」
「いえ、お褒めの言葉と思い……」
 返答を中途で飲み込んだのは、玉座の二人がべたべたと戯れ始めたからだ。どうせ注意を払われていないなら、嫌々我慢してまで下手に出ているのも馬鹿らしくなってくる。
「厳しいなぁオーストリアは。ほらそんなこわい顔せんと笑うて?折角かわゆう生まれついたんやし」
「!!……っひ、人前で何ですか、お馬鹿さん」
「うおお、怒っとる顔も可愛ぇ〜!!ほんまうちの嫁さんは可愛えなぁ食べてまいたいわぁほっぺ齧ってもええ?」
「ばっ…馬鹿!お馬鹿!!」
 ……………。少し帰りたくなってきた。あまりにもお気楽というべきか、生涯独身が原則の騎士の前で、それこそ配慮のない夫婦である。
 スペインがまるい頬をつつけば、その妻は羞じらいと怒りの入り混じった風情で顔色を真赤に染めた。夫のでれでれと崩れた表情を見る限り、揶揄するのが目的というよりも本心から妻に首っ丈で構い倒さずにはおれないらしい。
 確かに騎士団の目から見てもオーストリアは美しい面立ちの少年である。髪型と眼鏡が外見年齢よりも大人びた印象を与える一方で、幼くか細い肢体とのアンバランスさが妙な色香を醸し出している。べたべたと触ってくる夫の手から逃れようと身を捩る仕草がどこか煽情的で………いやいや。
 いつの間にかオーストリアの黒いタイツに覆われた脚線をまじまじ凝視していたことに気付き、騎士団は己の浅ましさを心中で神に懺悔した。もぞもぞと膝を擦り合わせるのがけしからん……いやいやいや。今大事なのは人妻の太腿ではなく地中海の平和と我が身の行く末である。
「恐れながら、トルコの野望は今や止まるところを知りません。あのまま彼奴の好きにさせておけば、必ずや地中海、いえヨーロッパ世界からキリスト教徒の安寧が永遠に失われることになるでしょう」
 騎士団が声を張り上げれば、玉座の夫婦はきょとんと目を瞬かせ、我に返ったようにそそくさと(特にオーストリアはそうであったが)居住まいを正して、海を越えて遥々窮状を訴えに来た同胞へと向き直った。
 聖ヨハネ騎士団が誇れるのは海上防衛における今までの実績だ。イスラム勢力と最前線で刃を交え続けてきた唯一の騎士団として、特に1444年、1480年の勝利は欧州世界で広く称えられていると聞く。海軍としての己の能力、トルコに対する抑止力効果を認められさえすれば、スペイン及びオーストリアからどこかの国へと口添えして貰い、港の一つでも自由に使えるようになるだろうと見込んでいた。
 生まれ故郷である聖地を追われた後も海上に身を移し、戦い続けることに存在意義を傾注することで聖ヨハネ騎士団は存続してきた。トルコの脅威を恐れるのも本心だが、直に相対したことが何度もある騎士団はあの恐ろしく強大な仮面の男が決して残忍なだけの国ではないと他国以上によく知っている。それでも戦うのは繁殖によって眷属を増やせない自分は武装集団であり続けることでしか命を繋げないからだ。現在一寸の領土も持たない聖ヨハネ騎士団には、神の教えを捨て五年前世俗化したドイツ騎士団のような生き方を選ぶことも出来ない。
「この私に身を休める寝台、病院を建てる寸土、新たな戦の舞台を与えて頂けるのであれば、今度こそ死力を尽くしてトルコの野望を阻んでみせましょう」
「うん、ええよ」
「どうか何卒…………は?」
「スペイン!そんなに簡単に安請け合いするものでは……!」
 何がなんでも説得しなければと気負っていただけに、すぐさま諒解されても咄嗟に意味を呑み込むことが出来なかった。いや、意味を理解してなお現実感に乏しい。軽はずみな発言を撤回するどころか、笑顔を絶やさぬまま「まあまあ」と妻を宥めにかかっているスペインは、少なくとも冗談を口にした訳ではないらしいが。
「カルロスの戴冠祝いや、ケチケチせんとマルタ島を貸したる。ええとこやろ?ロードスよりも西寄りやけど、地中海の要所やで」
 玉座の上のスペインは、妻の肩に置いていた手を腰までずらし、もう片方の腕で膝裏をえいやと掬い上げて巧みにオーストリアを自らの膝に座らせることに成功した。
「なっ……」
 膝の上で可愛がられる猫のような有様で横抱きにされたオーストリアは当然ながら憤慨を覚えたようだったが、不安定な座り心地に不安を覚えたのか、暴れることもせず胸元の布地をしっかと掴んで夫へと縋り付いた。ゆったりと四肢を伸ばしたスペインの機嫌は当然良い。
「賃料はマルタの……なんやっけ、確か鷲とか有名やんな?それを年イチで持ってきてくれたらええわ」
「お馬鹿、マルタ島といえば鷹ですよ。……あなた、本気ですか?」
「ええやん、鷹一羽。俺としては島一つくらいくれてやっても別にええねんけど、子分が怒るさかいそこは堪忍な」
「はい、それは勿論……」
 時間と共に現実感が戻るどころか、あまりにも上手い条件を示され夢ではないかと思えてくる。唖然としつつも、この好機を逃してはならないとそれだけは確信していた騎士団の首は、反射のように肯定の形に動いた。僅かに残った冷静な判断力は「鷹と引き換えに領土を割譲されたと知れば、ロマーノは確実に怒ると思いますけどね……」という、オーストリアの頭痛を堪えるような仕草と共に吐き出された呟きに全面的に同意していた。が、折角破格の好条件で地中海の要所を島ごと貰えるという時に、わざわざ役に立たない道理を持ち出してチャンスを潰す馬鹿などこの世にいる筈もない。
「このご恩、何と申し上げれば良いか」
「ええよええよ、その代わり戦場できっちり役目果たしてもらうけどな。……俺も、いつまでもあいつをそのまんまにしとくつもりないねん。トルコの野郎、最近ちょーっと調子に乗り過ぎやさかいな」
 スペインは笑った。声音は朗らかな調子ながら、その輝く緑の眼光を直視してしまった騎士団は――初めて気圧された。
 背筋に走ったのは、紛れもなく恐怖だった。今までの自分は何を見ていたのか、お気楽者などとんでもない。これは戦士……いや、殺戮者の眼である。
「お前、俺んトコに来たの正解やで。レコンキスタに今までの人生の大半費やしとんねん、俺ほどイスラムに敵愾心持っとる国、他におらへんわ。お前と関わり深いフランスなんか、俺ら夫婦が気に入らんいうてトルコと裏で手を組んどる始末や」
 マルタくらい安いもんやで、地中海のエキスパートが加勢してくれんねんから。なあ聖ヨハネ騎士団?
 あくまでも人懐こい少年の外貌を崩さないスペインは同意を求めるような口調で、つまりは独立不羈の騎士団に向かって自国の傭兵となれと要求している。
 上手い話には裏があるとはよく言ったもので、誇りという唯一に近い財産を手放す瀬戸際にいつの間にか立たされている。とはいえ他に頼るあてなどないのも事実であったし、今更何も聞かなかったふりをして帰ることなど出来る訳もない。
「あの仮面男、よりによって俺の可愛い可愛い嫁さんにもちょっかい出しよってからに。いくらオーストリアがつい触りたくなる世界一の器量良しやからって、ヒトの嫁に手ぇ出そうとしてタダで済むと思うたら大間違いやで」
「スペイン……」
 オーストリアは細い両腕を伸ばしてスペインの首にかじり付き、その肩口へと顔を埋めた。夫の愛情に感激したのかもしれないし、トルコへの恐怖を思い出した、或いは単に羞じらった顔を余人に見られたくなかったのかもしれないが、その人柄をよく知らぬ騎士団には真意など解ろう筈もない。
 幼子のようにしがみ付いてくる妻の頭を引き寄せ、柔らかそうなブルネットの髪をゆっくりと梳りながら、スペインはもう一方の手で首を掻き切る仕草をしてニンマリと笑った。
 お、ま、え、も、き、い、つ、け、や。
 唇の動きだけで告げられる。強い相眸にじいっと射竦められ、騎士団は堪らず視線を外した。先程オーストリアの脚線に目を奪われていたことは、この愛妻家にはしっかりとお見通しだったらしい。聖職者としては甚だ気まずいが。
「……その節は、私も死力を尽くして戦いましょう」
 聖ヨハネ騎士団はその場に膝を着いた。
 スペインへと完全に臣従するつもりはない。ただ、トルコに抗するという目的は同じであるし、多少使いっ走り扱いされるくらい、フランスに粛清されたテンプル騎士団の末路や、ポーランドに世俗化を強いられたドイツ騎士団より余程恵まれていると考えるべきだろう。神聖ローマの実権がオーストリアに握られており、そのオーストリアがスペインに頭が上がらない現状を見る限り、本人の言う通りスペインは欧州で最も頼るに相応しい国でもある。
 ……そのスペインとていつまでも権勢を保ち続けるとは限らない。今だけ膝を屈した所で、永遠に従わねばならない道理もないだろう。利用出来る間だけ利用すれば良い。
「マルタ島、有り難くお借り致します」
 
 
 ――こうして一つの契約が交わされ、プライドと現実の折り合いを付けた聖ヨハネ騎士団は己の新たな運命を受け容れた。
 この年10月の上陸以後、彼とその眷属達はマルタ騎士団と名乗ることになる。
 
 
 
 
 
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※……この夫婦ラブラブだろ……こいつら結婚34年目なんだぜ……。何十年新婚気分でいるのか。
西墺の人目も憚らずイチャイチャする様が国々の反感と妬みを買って、やがて30年戦争勃発……とか、かなり本気で信じてるんですが(^_^;)
でもってマルタ騎士団とあんまり面識ない風に書いちゃったけど、前年の1529年にカールたんの命令で騎士団の人がペルシャまで、トルコ挟み撃ちにしませんか依頼の使者に赴いてるらしいので、30年以前からパシられてるのかもしれませんよね……。宿無しは辛いね!

1530年ってどんな年?と年表確認してみますと、前年1929年10月にトルコによる第一次ウィーン包囲があって、30年2月にカールたんがイタリアで皇帝戴冠、6月には神聖ローマ帝国内でカトリックとプロテスタントが妥協点を探して話し合うアウクスブルクの議会、33年には皇帝自らによるチュニス遠征(トルコに対する反撃)……と、なかなか事件てんこもりな時期だったんだなぁということが判ります。
25年のプー世俗化や26年のハンガリー失墜なども加味すると、まさしく激動期(?)。