「おい、待てよ日本!」
人間達によって執り行われていた国連会議の途上で日本代表が退場した。その知らせが届けられてすぐ、それまで一言も口を開かずに他国からの嫌味を聞いていた日本自身も呼応するように席を立った。椅子を引き身を翻すその挙措も規則正しく踏み出す両の脚も常の物静かな日本のものと変わりがなかったからこそ、退室の挨拶すらない無礼さが殊更異様に映った。
静まり返った席上では、はぁー…と誰かの吐いた長く伸ばすような溜息が耳に付いた。日本の態度に驚いたのはイギリスただ一人で、他の面々は少なくとも表面上では平然とした顔を保っている。当事者である中国だけは、何かに耐えるように唇を噛み締めて俯いていた。それに一瞥を送り、イギリスは「ちょっと待ってろ」と誰に対するでもなく声を掛け、扉の向こうに消えた日本の背中を追った。
「待てってば!おい、どうしたんだよ日本!」
二度三度と叫べば、廊下の先にいたかつての同盟国は足を止め、イギリスが追い付くのを待つ素振りを見せた。
席を立った日本には一片の躊躇もなく、予め上司からの指示を受けていただろうことは簡単に推測出来た。以前自分達が同盟を結ぶ際にも、似たようなことがあった。日本の上司はロシアとの同盟を望んでおり、しかし日本自身はロシアではなくイギリスと友達になりたいと単身英国まで訪れてくれたのだ。今回も上司の意向と日本自身の感情に齟齬がある故のすれ違いだと、この期に及んでイギリスは信じていた。
「戻れよ、な?今はちょっと色んなことがこんがらがってるけど、俺達がいいようにするから……」
「――お気遣い有難うございます、イギリスさん」
数時間ぶりに聞いた日本の言葉は彼らしいもので、安堵しかけたイギリスは、ゆっくりと振り返った日本が向けてきた瞳に再び身を強張らせた。
「ですが、必要ありません」
断りの言辞を曖昧に濁す日本らしからぬ、きっぱりと断言する物言い。深淵を呑み込んだように見える漆黒の瞳には鞘から取り出された日本刀のような危険な輝きが宿り、イギリスに鋭い切っ先を突き付けている。身に覚えのない敵意に、イギリスはこれもらしからぬことだったが、怒りを覚えるよりも先に混乱するしかなかった。
「あなた方の議決を認める訳にはいきません」
「どうしてだ!?俺は…俺達はお前の味方だ、敵じゃない!!」
心底イギリスには理解出来ない。日本が上司と同調しているらしいことも、静かな激情と言うべき怒りのことも。あの歪に生み出された新しい国の行く末に関して、イギリスとフランスは日本にも一定の養育権を認め、最大限その立場を配慮したつもりだ。味方とまでは言えなくとも、敵と見なされる覚えは全くない。
「味方な筈がないでしょう」
声を荒げるイギリスに対し、日本はあくまでも淡々とした口調を崩さない。
「正義ぶったあなた方に騙されるのには、もううんざりなんです。そもそも味方だなんて、私達の同盟は誰かの意向でとっくに失効しているでしょう?」
「な、何言ってんだよ……」
日本が今日この場にはいない弟分を言っていることは、すぐに察しがついた。参加国が拡大するだけで日本との縁が切れる訳じゃないと自分に言い聞かせつつも、
「あなたは私でなくアメリカさんを選んだんですから」
アメリカに「君は俺とあのちびのどちらが大事なんだい?」と問われた時に答えを返せなかったとしても、アメリカと日本を天秤にかけた自覚も負い目もイギリスの心中には確かにあった。
「私はあなたの言うことなんてこれ以上信じる気がないんです。私と中国さんの両方の顔を立てるふりで、あなた方は私からあの子を取り上げ自分達の利益に供するつもりとしか思えない」
「誤解……」
とは言いきれない。国が富む為には当然のことだ。日本にしろ中国の領土を荒らしているのは同じではないか。イギリス達と違い、古い付き合いの兄貴分を。
イギリスの脳内では、弟分に手酷い裏切りを受けた過去が連鎖的に甦り、初めて目の前の日本が憎い者であるかのように感じられた。かつての世界の覇者からの怒りの眼差しを受けても日本は身動ぎもせず、静かに微笑んでさえみせる。唇の端を持ち上げる東洋的なアルカイックスマイルを見ても、今のイギリスの目には慕わしさよりも不気味さの方が際立っていた。
「お前のしたいことがわかんねぇよ……」
決別したのは自分からではなく、あくまでも日本が変わってしまった所為だとイギリスは信じている。ただ、これ以上の呼び掛けは無駄にしかならないのだと、漸くに理解し始めてはいた。またイギリスは心許した者に裏切られたのだ。
はぁ、と溜息を吐いたイギリスの心情を見抜いているのかいないのか、日本は今度こそ背を見せた。
「弟を手放したくない気持ちは私も同じです。あなたの執着を認めますよ、イギリスさん」
背中越しの発言が、どういうつもりで発せられたのかは解らない。曲がり角に消えるまで、日本は二度と振り返ろうとしなかった。
 
 
 
 
 
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単に米←英←日モエー!とか思ってるだけで、偽MANSYU国を肯定する等の政治的意図は一切ありませんよ!!
1923年以降の菊様はヤンデレ希望。陸軍と海軍の親独・親英対立をキャラの内面葛藤として捉えても萌えますのう。ゲヘヘ。