ウィーン中心部、ドナウの中洲にあるレオポルシュタット地区。
公園の一角にある遊園地を訪れたオーストリアは、眼前の回転木馬を漫然と眺めることで、ぽっかり空いた時間の隙間を埋めていた。ペンキで塗装された木製の白馬は、先程からくるくると飽きもせず舞台の上を同じ軌道で廻り続けている。一回、二回、三回、それ以上。
例えこのまま待ち人が現れなくとも構わないつもりでいたが、約束の時間を10分と少し過ぎた頃にドイツは姿を見せ、真摯な口調で遅刻を詫びた。
「すまない」
プラーターの観覧車の下で。
一方的に約束を取り付けたオーストリアは、草臥れた薄手のコートを羽織ったこの生真面目な青年が自分の我儘を叶えようとして、監視下の身にどれほどの無理を通したのか察していない訳ではない。
数年前まで眉間に皺を寄せ居候の気紛れに対する憤懣を述べてばかりいたドイツは、オーストリアの顔を見ても短い挨拶と謝罪以外の余計なことを口にしなかった。愛想笑いの一つでも見せれば可愛げもあるのですけど。にこりともしない、目鼻立ちの整っている所為で冷淡な印象を一層強めている隣国のアイスブルーの瞳を見上げつつ、緊張で硬くなる余り無表情になっているらしい青年の不器用さに内心で溜息を吐く。
「構いませんよ」
当然のような顔で淡々と謝罪を受け入れたオーストリアも、公的な場以外で顔を合わせるのが四年ぶりだからといって、わざわざ大仰な態度で久闊を叙すつもりにはなれなかった。表情に乏しいと親しくない国に陰口を叩かれているのはこちらも同じである。
「こちらです」
声をかけつつ踵を返せば、大人しく後をついてくる気配がする。
自国の姿を目にして笑みを深めた観覧車の係員は、連れの顔に見覚えがない訳でもないだろうにそちらには反応することなく、接客に徹した丁寧な物腰で鉄の箱の中へと二人を案内した。客達が入ったのを確認した後、両開きの扉が係員の手によって閉められる。
ゆっくりと観覧車は動き出し、閉じられた空間の中で二人は隔絶された。
横長の広いゴンドラは二人きりで乗れば余りにもがらんとしていて、観覧車というよりもケーブルカーや小型バスの車内に居る風情がある。
19世紀末には異様な物に感じた無骨な鉄の構造物は、いつの間にか古色を帯びた街の風景にすっかり溶け込んでしまっている。プラーターの大観覧車は先の戦災で全てのゴンドラが焼失する被害を受けたが、二年前には修復を終えて営業を再開していた。
オーストリアは慣れた素振りでゴンドラの端に据えられたベンチへと腰を下ろしたが、隣、或いは遠く離れた向かいのベンチに座ることなく、年下の青年はどこか所在なさげにその場に佇んで、窓からの眺望を凝と眺めている。
時折左右にぐらぐらと揺られながら、ゆっくりとゴンドラは高さを上げていく。遊園地独特の猥雑な喧騒はすぐに遠ざかり、オーストリアの耳には風の音だけが聴こえるようになった。眼下に並ぶのは石造りの瀟洒なアパートメントの群れ。リンクを挟んだ隣区インネレシュタットの方角を見れば、遠目からでもそれと判る街のランドマークも幾つか視認出来た。徐々に小さくなる街並を見下ろすドイツの横顔には慈しむような柔らかさが滲んでいて、オーストリアは不意に肌のざわつくような羞恥を感じた。
オーストリアが腕を伸ばしてコートの袖を引けば、こちらへ向き直ったドイツはごく自然に上体を屈め、覆い被さるようにして唇を重ねてきた。軽く啄むように触れ、すぐに離れる。あのマニュアル本を彼も読んだことがあるのだろうか。経験がないのだと実験台にされそうになった数年前よりも、格段にスムーズで堂に入った態度だった。
「お前のところも復興が進んでいるようだな」
ぱ、と体を離し、照れ隠しにしても随分と色気のないことを言うドイツに頷いて、
「ええ、あれからもう四年も経ちましたから」
オーストリアも話を合わせた。寧ろ、自分達にとってはこちら側が本題だったかもしれない。
「……そうか、もうそんなになるのか」
正面から見るドイツの顔には疲労と心労による憔悴の色が濃く浮かんでいる。心なし削げたようにも見える不健康な頬のラインをオーストリアは心配したが、温かい掌が慰撫するような手つきで冷たい頬を撫でてきたことで、相手が自分に対して同じ心配を抱いていると察せられた。最近は食生活も改善しているが、確かに以前と比べると体重は随分落ちた。
甘えるように、大きな掌に頬をすり寄せれば、その反応に驚いたのかびくりと震えるのがオーストリアの知るドイツの初心さそのままだった。あなた、私を何だと思っているのでしょうね。
会うまでは話したいこと、告げなければならないことが沢山あるような気がしていたが、実際に二人きりになってみると何を口にすればいいのか全く判らない。
あの男が既に帰ってきているという噂をオーストリアも耳にしていた。ロシアが何を考えているのかは概ね想像がつく。ザクセンやブランデンブルクをはじめとする昔馴染み数人とも去年辺りから連絡が取れなくなっていた。
……だが、ドイツの感じる苦しみや寂寥感を今のオーストリアが分かち合うことは出来ない。既にドイツ内の一州ではなく、連合占領下にあるとはいえれっきとした他国であるので。
あなたを切り捨てて生き延びた私が何を言っても、きっと信じては貰えないのでしょうね。
あなたのことが好きでした。あなたにならすべてを捧げても構わないと、そう思っていた筈なのに。
「この眺めをお見せしたいと前から思っていたんです。今日は来て下さって有難うございました」
胸に込み上げた感傷を、オーストリアは言葉にしなかった。ドイツにこれ以上の重荷を背負わせたくないというのは、本心とは程遠い言い訳に過ぎないのだろうか。単に返される反応を怖がっているだけのことかもしれない。己の真意はオーストリア自身にもよく判らない。
「以前にも、誰かと二人で乗ったことがあるのか」
「いいえ、あなたが初めてですよ」
混沌とした本心の代わりに、さらりと嘘を口にした。
「そうか――」
偽りと知っていただろうに、彼我の間にあからさまな一線を引いたオーストリアを責めることなく、ドイツは再び口を閉じた。無理に踏み入ってこない優しさは、余所余所しさと紙一重のものだ。
更に距離を置くように、頬を包んでいた手がそっと離される。肌の一部を触れ合わせたところで、自分達はもう一つにはなれない。
今から50年以上前、観覧車が完成して間もない頃に、近代的な鉄の乗り物を珍しがったハンガリーと二人でプラーターへ遊びに行った。あの時には衰えつつある体力や時代の黄昏をはっきりと感じていたが、彼女と離れ離れになる未来を想像もしていなかった。
それから。……観覧車の中であの男が寄越した接吻は、全くもって紳士的なものではなかった。乱暴な所作に憤慨したオーストリアが肩で息をしつつ相手を睨み上げれば、こちらを食い入るように見下ろす紅色の瞳が夕陽を照り返し、薄暗がりの中いつも以上にぎらぎらと輝いていたのが恐ろしかった。
今、自分を見つめる瞳の色は清澄な冬の空の色をしている。彼らに何一つ似たところなどないのに、プロイセンの名を呼びそうになった唇の違和感を誤魔化す為に、ベンチから立ち上がったオーストリアは自分からもう一度キスをした。
ゴンドラの中では止まっていた時間の概念が、地面に足を着けた瞬間、奔流のような勢いで押し寄せてくるように感じられた。立ち眩みのような感覚にふらつくオーストリアの体を、さりげなく肩を掴まえてドイツが支えてくれた。
「うちに寄っていかれませんか」
「いや、」
腕時計に視線を落としながら、不自然な早さで断りの文句が寄越される。ここへ来る許可を出した誰かに何か言われているのかもしれない。
「また来る」
「お待ちしています」
「ああ。……お前が元気そうで安心した」
オーストリアの返答を待つことなく、ドイツは足早に立ち去った。ぴんと伸ばされた広い背中は敗戦国の陰を背負いながらも、絶望の淵を脱した者の持つ堂々とした誇り高さを漂わせている。
その背中が人混みに紛れて見えなくなるまで、オーストリアは凝と立ち尽くしていた。姿が見えなくなった後も、随分と長い間、その場に佇んでぼんやりとしていた。
独墺と見せかけて普墺前提。私的独墺ソングのdorlis「肌のすきま」がネタ元でした。
時代背景としては、独墺ともにマーシャルプランのお陰でやっと一息ついて、その一方で東西分断がほぼ顕在化。東独が名目上でも成立する直前くらいのイメージです。ちゃんと勉強してないのであくまでもイメージ(^_^;)
ちょうど「第三の男」のウィーンロケが1948年秋冬、映画封切りが49年らしいので、劇中の超有名なシーンを全面的に参考にしてます。男二人で観覧車乗るやつ。「恋人までの距離」(95年のアメリカ映画)にもプラーターの観覧車でキスするシーンがあるらしいですね。観てから書けば良かった/(^o^)\