「お前って来る者は拒むけど、去る者はとことんまで追いかけるタイプだよなぁ」
鬱陶しく髪を撫で続けていた男が、しみじみとした口調でそんなことを言ってきたので、元々最悪に近かったオーストリアの機嫌は更に急下降した。
「みっともないとお思いなのでしょうね」
拒めるものなら動物の毛並みを撫でるような手をとっくに振り払っているし、そもそもこの男などに肌を許したりしない。テレーゼの命令であるから仕方なくこの関係を受け容れているが、本来なら顔すら見たくない相手である。
「あなたの目には余程、私の行動が未練がましく映っているのでしょうけど」
嫌いな男と同じ寝台で夜を過ごすことで得た報酬は、裏切り者を叩き潰す為の戦力と、もう一つ。
単なる友人としてでも構わない。口には出さないが、そんな惨めな本音をこの男も彼も知っているのだと思えば羞恥に泣きたくなる。
自分ではなく他の存在に愛を注ぐ、一途で薄情な彼ともう一度笑って話せるなら、嫌悪を抑えプライドを棄てることも我慢出来た。もはや嫉妬もしてくれない彼の心を思い知ったことは辛かったが。
「あー…、お前はそういう意味で受け取るのね」
睨み付けられた相手は、不快さを見せるでもなく、仕方ないものを見るように苦笑した。
「他に何の意味が?」
「いやいや別にぃ?アイツもとことん可哀想だなと思っただけ。お兄さん、どっちとも一応トモダチだからさ」
「……仰っている意味が解りません」
「まあ解らなくてもいいんじゃない?いくら愛の国でも、他人の恋路にまでお節介を焼く気はないよ」
一人で何事かを納得して、男は撫でていたオーストリアの髪を不意にくしゃくしゃと掻き回した。何の悪意も感じられない、子供に対するように親しげな手付きに吐き気を覚えるが、今の自分達の関係は“お友達”なのだから文句も言えない。
自分達の感情は国民意識からの影響をある程度受けているが、逆もまた然りである。大事な可愛いアントニアがこの男の国民に愛される為には、無闇に機嫌を損ねさせてはならない。
じっと我慢するオーストリアをどう思ったのか、男はその顔を覗き込んで、ぷっと小さく吹き出した。失礼にも程がある。
「こらこら、眉間に皺寄せないの。折角お兄さん好みの綺麗な顔してんのに」
「放っておいて下さい」
演技とはいえ、このような甘ったるい声を出さないで欲しい。どうせ長くは続かない関係なのだ。今だって本心から優しく接している訳でもないだろうに。
オーストリアはこれ以上の会話を打ち切る為に目を閉じた。眠ってしまえば男の唯一の取柄である顔も見ずに済むし、鬱陶しく不快な体温を感じなくて済む。
男は髪を弄る手を止めなかったがすぐさまぴたりと口を閉じて、オーストリアの眠りの邪魔をすることはなかった。そんなところも忌々しい。
初めは眠ったふりをしていたようだが、腕の中のオーストリアはまもなく本格的に寝入ってしまった。まあ、ピロートークの前には体力を使う遊びをしていたのだから仕方ない。
「プーちゃんも可哀想に……」
我ながら人が悪いとは思うが、口元が弛むのは不可抗力だ。
オーストリアはプロイセンのことを酷く嫌っている。それはもう、プロイセンを叩き潰す為には長年に亘る不倶戴天の敵であったフランスに身を任せることも辞さないくらいの嫌いようだ。
味方であった時分は眼中にすら入っていなかったのに比べ、それだけ強く意識してもらえれば格段の進歩ではないかと思うのだが、自覚のないオーストリアは勿論、積年の想い人を横からフランスなぞにかっ拐われた挙句、本気で死にかけたプロイセンにも激しく異論のあるところだろう。
まあ粗暴かつ不器用なプロイセンに比べれば、確かにスペインは友人であるフランスの目から見ても魅力溢れる良い男だ。このツンケン眼鏡がここまでどっぷり嵌まり込むとは、二人の結婚当初は思いも寄らなかったが。そもそもあのお高く止まった田舎貴族が、まっとうに人を愛する心を持っているとも思っていなかった。
フランスの脅威になる結婚は二度と許さないが、現状のような自分を間に介しての交流くらいなら別段止める気はない。プロイセンもスペインも等しく友人というカテゴリに入っているので、どちらか一方に肩入れするつもりはない。
というよりも、この同盟国を他の男にくれてやる気がない。――今は、まだ。
昔の自分は、スペインが眼鏡貴族の何処に惚れたのか全く理解出来なかったが、こうして同じ寝台で夜を過ごす関係を続けるうちに、何となく解るようになってきた。繊細で美しい顔と肢体は勿論魅力的であるし、警戒心の強い小動物をゆっくりと手懐けていく過程はとても楽しい。ツンと澄ましながらも、宥めたり撫でたりしているうちに少しずつ肩の力を抜いて警戒を解いていく姿を観察していると、奇妙な達成感を感じられた。
フランスは似たような遊びを昔もしていたことがある。あの時もとても楽しかったが、最後には手を噛まれて散々な目に遭った。同じ轍を踏まないよう、今度は引き際を間違えないつもりでいる。どの道、長くは続かない関係なのだし。
「それに、手を振り払った後の方が、お前は俺に執着してくれるんだよね?」
少年と青年の端境にある柔らかな頬をそっと撫でてみたが、眠ったままの相手は何の反応も返さない。こんなにも無防備で構わないのだろうか、いつ寝首を掻かれるとも限らないのに。
フランスは仕方なく一人苦笑し、まるで本当に恋をしているような自分の台詞の滑稽さに、暫くの間笑い続けていた。