扉が開かれた途端に表情をがらりと沈痛なものに豹変させた腐れ縁は、哀れな虜囚が自力では立ち上がれない程に消耗しているのを見て取って、思わずといった風にその名を呼んで駆け寄った。
「すまなかった。俺がもう少し早く来ていれば……」
「いいえ」
柔らかなソファに身を埋める怪我人、その足下に跪いて懺悔のように声を震わせるイギリスの言葉を聞いたオーストリアは、雪花石膏の頬を僅かに動かし、真意の読み取り難い微笑みをほんのりと浮かべた。僅かな変化は見る人間によって、痛みを押し殺しているようにも、弱々しく同情を誘っているようにも、逆にそれらを突き放しているようにも、どうとでも受け取れる。人形に感情がないのと同じで、美しすぎるものは概して生の実感に乏しい。壊れかけの人形だろうとそれは変わらない。
「大丈夫か」
「ありがとうございます」
控えめに言って、イギリスの態度は頗る紳士的だった。まるで本心から相手の身を慮っているように見える。貴婦人に対するかのようにそっと持ち上げられた右手は、全ての爪が剥がされている。それに気付いて、流石のフランスも気分が悪くなった。
「すまない。ドイツがお前を無理矢理併合しようとした時、もっと反対していれば良かった。お前を見捨てたも同然だったよな」
「仕方ありません。あの時はそれが最善だと思ったのでしょう?それに」
こうして助けに来て下さったのですから、とオーストリアは続ける。どの口がそれを言うのかと呆れてしまうが、イギリスは真摯な顔のまま耳を傾けている。二人とも凄まじい精神力だ。悪の帝国に虐げられていた被害者と、救出にやってきた正義の国、そういう筋書きをあくまでも遵守するつもりらしい。とんでもない大嘘吐きどもだ。
お高く止まって滅多に取り乱さないオーストリアが、折角くれてやった金を机から払い落としながらドイツと一緒になりたいだけだと泣き叫んだことを覚えている。偵察に行った先の隣国で楽しげにピアノを弾いて、家主の兄弟に手製の菓子を振る舞ってやっていた姿も見ている。まあ、とっとと負けたフランスは、占領された本国を脱出して以降はイギリスの家の不味い飯事情を改善することに血道を上げていたので、その後のオーストリアが何をして何をされたのか知悉しているとは言えないが。
この二枚舌の演技巧者も相変わらず達者なものだ。よくもまあいけしゃあしゃあと、このお貴族の全身に火傷を負わせた奴も、切り傷や痣を作ってついでのように生爪を剥がした奴も、ドイツじゃなくこっちの一味だろうが。この演技力がプライベートで活かされていないことがつくづく惜しまれる。
「ドイツはもう終わりだ。俺達が来たからには、これ以上ロシアの好き勝手にもさせないからな。安心しろよ」
それともイギリスは役柄になりきっているうちに、本気でそれを信じ込んでいるのかもしれない。自分の正しさに酔いがちなアメリカの厄介な性質は、自称紳士のこの男から受け継いだ性格でもある。年季の入ったこの腐れ縁の方は、流石に手段と目的を見失うまでの愚は犯さないが。
そのロシアは、イギリス達と入れ違いでウィーンを立ち去った後はベルリン包囲中の自軍と合流し、今頃は最後の決戦に臨んでいるところだ。役柄に相応しくないから口に出さないのも当然だが、オーストリアは同居人だった兄弟の安否を口にするどころか、心配する素振りすら見せない。
なんて冷たい奴だろう。同情する義理もない上に甚だ気に食わない筈の兄弟だが、ここまであっさりと見捨てるお貴族様の冷血ぶりには、義憤めいた感情も湧き上がるというものだ……なんてのも当然真っ赤な嘘だが。嘆かわしいことに、ここには嘘吐きしかいないらしい。
「……お兄さんにはチロルとフォラールベルクくれない?」
空気を読まず発言してみれば、息の合った調子で二人同時に睨んできた。
でもさぁ、そういうことじゃないの?将来的な独立を認める代わりに、現在首都占領中のロシアじゃなくて俺達西側陣営に懐いておけって、そういう根回しの席だよね?ここ。
満身創痍の麗人は、おそらく今日唯一本心から浮かべたに違いない、道端の犬の糞でも見るような苦々しげな顔でフランスを睨んでいる。自分達の間では、昔から始終遣り取りされている表情だ。占領国に媚を売るあからさまでない秋波より、余程見慣れている。
政治的主張、実在の国家への思惑などは一切!!ありません。これで英墺のつもりとか言ったら各所から怒られそう……(-_-;)寧ろ仏墺?仏英??
二人とも体裁を取り繕うタイプというか、卿は基本的に貴族に対しては紳士的で優しいのがデフォルトなので、両者の凶暴なところ知ってるお兄さんとしては何お前ら猫被ってんの?( ´,_ゝ`)プッ みたいな感じではないかと。