音信不通を責める、心配の裏返しの掻き口説きは。
「よぅ」
無造作に片手を挙げる少年、その手袋をしていない右手が目に入った瞬間、口中で霧散した。
「……おめでとう、と言うべきかな、弟も?」
「ん、お陰さんで」
感無量に告げた祝辞を強情な少年は、珍しく素直に受け入れる。
「そうか、良かったな」
釣られて、マスタングの口からも取り繕わない本音が零れ落ちた。何も言わず、面映ゆそうにそれを聞く少年。
――これ、これを望んでいたのだ……!
穏やかな空気を甘受しながら、マスタングは別の意味でも胸を一杯にしていた。今までは喧嘩染みた関係しか築いて来れなかったが、目的に邁進する少年の余裕無さを考えればそれも当然だったが、宿願果たした今後はまた違った関係が築けることだろう。
「それで今後はどうする。国家錬金術師資格は返上する気だろう?」
「あ、うん。さっき手続き済ませてきたトコ」
手回しの早さにふとマスタングは不審を覚えたが、
「これからどうするかは、正直あんまり。まずは少将に報告しないと気持ち悪くて」
健気な言葉にささやかな違和感は吹き飛んだ。
「そうか。困ったことがあれば何でも相談しなさい」
「ん……」
少年は曖昧な笑みを浮かべたが、気恥ずかしいだけだろう。言ったマスタングの方も照れ臭いように。
「じゃ、じゃあな」
「ああ」
少々居心地の悪さすら感じさせる生温さを振り払うように、少年は妙にはっきりとした発音で告げた。
「二度と会わないと思うけど」
「……何?」
耳から脳へ。
一連の文意をマスタングが認めたくはないながらも解読し、現状を打破するべく対応を演算し回答を弾き出した時には、――既にどうしようもなく機を逸していた。
「鋼の……」
少年の姿は最初から幻であったかのように既になく、しかし錯覚する余裕すらなかったマスタングは椅子から転げ落ちる勢いで彼の退出した扉へと突進した。
ぶつかるようにして持ち手を掴み、そして。
廊下には誰もいなかった。
左右、どちらへ向かったのか。影すら、証拠の一つも見当たらない。
「鋼の――…エドワードっ!!」
声ばかりは届けと張り上げた叫びには、耳に痛い静寂が応えを返すだけだった。
エドワード・エルリックは無駄に大仰な中央司令部の石段を駈け下っている。
東方司令部にも門を入ってすぐの場所、こんな意味のない大階段が設えてあった。つくづく偉いさんという人種は上から見下ろすのがお好きなようだ。
それを猛然と駈け下りる自分の姿はさながら何処ぞのお伽話の主人公だが、忌々しい銀の首輪を叩き返した今、置き去りにする忘れ物など持ってはいない。
「……ははッ」
風を切る爽快感に咽の奥から笑いが洩れた。
オ レ は 自 由 だ !
最後にと、目に焼き付けたあの間抜け面。あの生温い鎖。
皮肉や嫌がらせのような顔を装って、いつもさり気なく差し出された好意や温情は全くの無償だったからこそ、錬金術師には有難くないシロモノだった。
等価交換、一切合財根こそぎ持っていかれそうになって、それでも足りない恐怖で身を竦ませていた。
手助けする素振りで余程の障害だったが、ほら見ろ。
「あ、おかえり。ちゃんと挨拶してきた?」
「おう、ばっちし!」
階段の下で待っていたアルフォンスが貴婦人にでもするように、白い手を差し出してくる。
最後の段を後ろ足で蹴っ飛ばした兄は、迷わず弟の手に掴まった。
「っと、ボクもう鎧じゃないんだから、体当たりしてきても受け止められないよー」
言いながらも柔らかな笑顔で、ああこんな顔だった。
試練を振り切って全部お前の為のオレだから、一番欲しいものを手に入れられる。
等価交換の原理はこんなところにも生きている。
そう、大切なモノは一つしか手に入らない。
弟の苦言を笑って受け流し、エドワードは重ね合わせたままの手にそっと口吻けた。
最後に一つだけ我儘を。
あの男は優しいから、きっと追いかけてなど来ないだろう?
逃がしてくれるその対価に、自由と未来を与えよう。「じゃあ、帰ろうか」