眠気ばかりを助長する面白くもない会議が終了したマスタングの元へ、相変わらず目付きの悪いブレダが鋼の錬金術師の来訪を告げてきた。
面白い玩具が自主的にネギ背負って鍋まで飛び込んだハプニングに、僅かながら気持ちを浮上させた気苦労の多い中間管理職(自称)。ストレス発散の為にも揶揄いいじり倒す気満々で、少年の待つらしい執務室へと帰還する。
嫌々でなく己の部屋に入るなど、ついぞ無いことだった。駄目な大人の典型である。
帰還してみれば、確かに鋼の錬金術師は待っていた。
会議に出る前は無かった報告書らしきものが、執務机の上に放置してある。
扉が開く音にも気付かず、来客用ソファに陣取った少年は重たげな革表紙の書物に食い入るようにしていた。背骨を丸めページに鼻面を突っ込むようにして、すぐに視力を悪くしそうな姿勢である。
エドワード・エルリックの集中力の凄まじさをマスタングは承知しているので、やれやれ熱心なと肩を竦めてみるだけで咎めはしなかった。
ただ無視される形になったのは気に食わない。必要もないのだが軍靴の足音を潜めるようにソファの背後に回り、驚かしてやろうと接近する。
ついでに、何を読んでいるのかと錬金術師らしい好奇心のまま、金髪の頭越しに開いたページを覗き込む。
ステファンがヘートヴィヒを硝子の寝台に押し倒し、彼女の豊かな乳房を揉みしだいたり秘所に指を突っ込んだりする過程が微に入り細を穿って延々と描写されている。
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マスタングは眩暈を起こした。
「ぎゃっ!!」
突然のしかかった重みに、エドワードは踏まれた蛙の如き叫びを発した。
手を離した弾み、本の角がテーブルにぶつかり鈍い音を響かせる。
少年の背後からタックルを仕掛ける形となったマスタングは、当初の目論見通り読書中のエドワードを驚かせることには成功したが、当人のダメージがそれ以上に大きいので何の意味もなかった。
「うわ大佐いたのかよ……って。おーい、どした?」
のろのろと覆い被さっていた上体を起こした軍人は、やたらと蒼白な顔をしていた。思わず心配になったエドワードがつい怒りを忘れてひらひらと手を振っても、全く反応しない。
と思いきや、急に目元を引き締めて、至極真剣な表情で発火布手袋を装着し始めた。
「―――さてはハボックの仕業だな?」
目が据わっている。
「あ?おい、待てよ!」
よく解らないながらも、このまま送り出せば血の雨を降らせそうな予感満載の軍人を、エドワードは軍服の上着を掴んで引き止める。
「なんなんだよ一体!?」
「その本!!」
何を言いたいかようやく察した頭の回転の速い少年は、びしいっ!と先程まで自分が読んでいた官能小説を指差す大人を、呆れ混じりに眺め遣った。
「あのさあ、少尉があんな文字ばっかの本、読むと思う?」
「む……?それもそうだな」
マスタングも頭の良い男だったので、尤もな言い分を聞かされすぐ頭を冷やした。ハボックに対してどこまでも失礼な二人であるが、勘違いで殺戮という名の制裁を受けずに済んだ彼は幸福者だと言えるだろう。
「あんたも錬金術師なら気付よなー、化合式の初歩の暗号じゃん」
鼻でせせら嗤うように少年は言い捨てた。生意気そうな表情にかちんと来るマスタングも大概大人気なかった。
確かに料理本とポルノと神学書は、錬金書に使われる三大カモフラージュである。
納得はしたが、同時に嫌なことにも気付いてマスタングは顔を顰める。
「ということは、君は始終そんな本を読んでいるのかね?」
「当たり前だろー、暗号化されてない本のが珍しいんだから」
そそくさとソファの隣に座ってきたマスタングの為にスペースを開けてやりながら、エドワードは今更ナニ聞いてんだこのおっさん、という顔を向けてくる。
そんな仕打ちには慣れっこになっているマスタングは、構わず少年の両肩をがっしり掴んだ。
「いくら好奇心の強い思春期とはいえ、若いうちからそんな知識に触れるのは良くない。万一暗号じゃなくて本物のエロ本だったらどうするんだ」
「いや、そんなのどうでも……っていうかあんたの口から『エロ本』とか聞きたくねえ……っっ」
「私だって聞きたくないよ、鋼の」
急に公衆道徳に目覚めたらしき、歩く風紀公害の異名を取る男を前に、エドワードは心底うんざりした。あんたは俺の親父かよ。公害は分相応に公害やっててくれ。真剣な顔で似合わない説教をしてくるマスタングと同じくらいの真剣さで、エドワードはこいつ殺してやりてえと思っている。
「大体だな、スレた生活を送っているからこんな可愛気のないクソ餓鬼に……あ、いや」
「だあぁぁ!!うるせえ!!!!」
元々気の長い方ではない少年はあっさりキレた。
「俺に指図するんじゃねえよ、この風紀公害!!」
「ふっ、………!!」
マスタングはそれなりにショックを受けた。
取り敢えず五月蠅い中年が黙ったことに満足したエドワードは、一つ溜息を吐いて肩に掛けられ放しだった男の手を払い落とす。
「……よし、あんたがそこまで言うんなら仕方ねえ。錬金術に関係ないのは金輪際読んでやらねーよ」
「いや………だから、それをどう判別するかという……」
「大体!オレも暇じゃねえんだ、元々ハズレ籤に手間かけてる訳ねえだろ」
マスタングの当然な疑問を無視して、これでどうだと恩着せがましい鋼の錬金術師。
「元々そうでない記述を無理矢理置き換えてるんだ、不自然な描写になってるから、ちょっと見れば一発でわかるっつーの」
「そうかね……?」
「ったり前だろ」
騙されてる感が濃厚にするのだが、マスタングはつい相手の言い分に呑み込まれている。
「とはいっても完成度の高い暗号の場合、判断が難しくてアルと討論になったりするんだけどさ」
「そ、それはかなりシュールな光景だな……」
「その時は実地で試してみんの」
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マスタングは卒倒した。
ソファに身を凭せかけ動かなくなった軍人を、エドワードは半眼で見下ろす。
「信じてる。ばっかじゃねーの」
「嘘なのか!!!?」
独白を耳にした瞬間、勢い良く復活したマスタングに、ニヤリと少年は笑いかけた。
「どっちだと思う?」
「!!?」
「お、面白え……」
明らかに玩具にされているのは大人の方だった。
オチは何処に……… (((‥ )( ‥)))キョロキョロ
ステファンは硫黄(化学記号S)でヘートヴィヒは水銀(Hg)。硫黄はサムソン(語源は太陽を表す語らしい)のがらしかったのですが、Hとgの付く女性の名前がHedwigしか見付からなかったのでドイツ人名で統一。って物凄くどうでもいい。
人名サイトで見ればエドワード(Edward)とイーディス(Edith)って語源が同じみたいで、道理で女体化エド子の本名にイーディス多いと思ってたら……。