職場が東部から中央に変わっても、マスタングの勤務態度が最悪なのは変わらない。
違っていたのはそんな上官のデスク前で姿勢良く起立しているハイマンス・ブレダ少尉で、司令部に出勤しているにも関わらず、彼は蒼色の軍服でなくベージュ色のジャケットを羽織った完全な私服姿だった。
「美人と温泉旅行とは羨ましいことだな。私への土産は星の砂でいいぞ」
はっはっはっ。わざとらしい笑声が林立する書類の塔の間を木霊し、余韻を残して消えていった。
星の砂はサンゴなので砂漠では入手出来ません。
ファルマン受け売りの雑学をついブレダは開陳しそうになったが、より良い人間関係を保つ為にも寸でのところで我慢する。彼が強面な外見に似合わず繊細な策士である所以で、始終上官の八つ当たりの標的にされている銜え煙草の同僚との決定的な差異であった。
ブレダの葛藤を知らぬマスタングは、万年筆を指先で弄びながら、心底羨ましそうに床に置かれたトランクへと視線を注いでいる。
机上に出現した書類の摩天楼は近頃職務をボイコット気味であり、昨夜も一騒動に首を突っ込んできた故の自業自得の所産であったが、長期休暇を前にした有能な副官は「釣り」の事情を一切考慮せず通常任務の遂行を要求した。どうせ自分の目が届かなくなれば真面目に仕事する筈がないと重々承知の彼女からすれば、今の内にという慈悲にも近い計らいだった。
が、旅行前の報告に立ち寄ったブレダの見ている限り、全くといって良い程に手を動かしている気配のない上官。
俺達なんでこの人に付いて行ってるんだろう。今月入って何度目かの自問自答をブレダは内心で繰り返した。
「ああいいなぁ、美人と不倫旅行〜〜」
「人聞き悪いこと言わんといて下さい」
憮然と返せば、目を細めたマスタングはクククと咽を震わす悪人笑い。
「大事な人様のお嬢さんを傷物にすれば、人情家の親父さんに殴り殺されるぞ。精々気を付けるんだな」
てめえ誰の所為で危ない橋渡ると思って。
好きで有給を潰す訳でないブレダは、完全に他人事ちっくな上官に本格的に腹が立ってきた。
「それよりも俺が心配なのは彼女の可愛い弟ですけどね」
「――――」
束の間マスタングが演技を忘れた無表情を見せたことで、ブレダは軽く溜飲を下げた。
「……隠し通せば良いだろう」
「そんなこと言ったって、親父さん絶対に連れてきますよ」
「置いていけ」
「それを決めるのは俺じゃありません」
段々と上官の顔が険悪になっていくのを、ブレダは痛快半分、冷や汗半分で観察した。結局機嫌を損ねている辺り、同僚とも大概同レベルかもしれない。
「寧ろ部外者は俺らの方でしょうに」
「随分と知った風な口を利く」
苛立たし気に舌打ち。こうも簡単に化けの皮が剥がれるとは思わなかった。マスタングは、自分が冷静さを欠いていることに気付いているだろうか。
「子供ってのは、大人が思ってるよりも成長が早いものですよ」
ついブレダが窘める調子になれば、憮然と眉根を寄せたまま、マスタングは万年筆を握った己の手に視線を落とした。
「――それでも嫌なんだ、仕方あるまい」
不貞腐れて言う様子は、自分こそが子供のようである。鷹の目や他の女性方が見れば母性本能を擽る様子なのかもしれないが、生憎ブレダは男なので気色悪いなと思うだけだったが。
「ま、俺は上手いことバカンス楽しんできます。その間大佐は釣りでもしてて下さいや」
これ以上上官のプライベートに口を突っ込む気もないブレダは、完璧な敬礼を送ってから床に置いたトランクを持ち上げる。
馴染む間もなく渦中に巻き込まれた結果、新たな職場は閑散として未だに人の気配が薄い。中央に来てからマスタング配下に付けられた数人は部屋を異にしているし、ファルマンとハボックは休暇中。そこに今日からブレダが加わって、数日の内にはホークアイとフュリーも休みを貰う予定となっていた。冷静に考えなくても正気の沙汰ではない。
「彼女によろしくな」
「アイサー」
振り返れば、まだ上官はまじまじと自分の手を眺めていて、余程後悔しているのかと不憫にすら思えてくる。遠ざければ護れるとは本人も信じていないのだろうが、ならば素直に謝れば良いものを。
アームストロングがリゼンブールに向かうのは、不審を抱かれぬよう日をずらしてと打ち合わせしている。
その間に我らが大佐どのが、真相を話すなり少年を引き止めるなりすれば、随分と話は楽になるのだが。……この様子を見る限り、自分に尻拭いの大半が回ってきそうな予感大である。
気を取り直して退室することにしたブレダは、
「…………鋼のに嫌われた…………………」
書類雪崩を起こしながら机に突っ伏した上官の嘆声を、幸いにして聞かずに済ませることが出来た。
今更ロス少尉焼殺事件内幕。
種明かしされるまで書けない小心者です……。
っていうかハボよりフュリーたんより先にブレダ書くとは思わなかったっス。