定期報告に情報収集を兼ねてエルリック兄弟が東方司令部を訪れた時。
司令部内で最も刺激的な話題といえば、司令部影の実力者と名高い才媛が近日中に見合いをするらしいという話だった。
「なんで?ホークアイ中尉くらい美人で出来た人なら、見合いなんてしなくても彼氏いねーの?」
「いやいや、あの大佐のお守りしてて恋人と付き合う時間なんて作れると思うか?」
「つまり中尉も大佐の被害者ってわけだ……!!」
銜えた煙草を噛み千切らんばかりのハボックの口調には、異様に実感が籠もっている。
「でもあの二人デキてなかったんだなー」
「あんなだらしない姿を毎日見てれば恋心なんて抱きようがありませんよ」
「全くですな」
おいおい人望ねえな大佐と、弟と顔を見合わせてエドワード・エルリックは呆れ果てた。話される中身に異論はないので同情しないが。
休憩室の話題はその間も際限なく上司の悪口にシフトしていく。
「結婚しちゃうのかな、ホークアイ中尉」
「さぁな、見合いしたから必ず結婚するってわけでもないだろ」
本人に結果を聞いてから出発しようかと、幾ばくかの好奇心でもってエルリック兄弟は今後の予定を立てた。
この時点ではあくまでも他人事の域を出ていなかった。
「え?」
ぽかんと口を開いたエドワードは、思わずテーブルまで案内してくれたレストランのウェイターを見上げてしまった。
無表情で突っ立っている。そりゃそうだ仕事だもんな。
混乱中のエドワードに事情を説明してくれそうな人物は、席に座ったままひらひらとエドワードを手招いている。
「ほれこっちこっち」
「……何でじーさんと中尉が一緒にいんの?」
司令部二強揃い踏み?
怪訝に感じて当然なことに、何度か食事を奢って貰ったりチェスの相手をしたことのある老人は東方司令部の名目上トップに立つ御仁であるが、今まで食事の席に他の軍人を伴うことはなかった。っていうかホークアイ中尉は私服だし。
「あれ?中尉って今日は……」
「知り合いだと思うけど、これ。ワシの孫だから」
「こんにちはエドワード君」
あっけからんと中将は隣を指差し、普段は纏めている長い髪を下ろしているホークアイはにっこりと微笑んだ。
「…えーーーーー?」
「えッ、――もが」
驚きの余り大声を上げそうになったフュリーの口を慌ててブレダが塞ぐ。
「しっかし大将が相手とはねぇ……」
生い茂る観葉植物を暗幕に、離れた席から一目中尉の見合い相手のツラ拝んでやろうぜと集結したいつもの面々にとって、しかし目にした光景は充分驚愕に値するものだった。
鋼の錬金術師本人も困惑しているのが不可解だが、促されるままホークアイの正面の椅子に腰掛けたからには、彼が待ち人で間違いないのだろう。役目を果たしたウェイターが折り目正しく一礼して、その場から去っていった。
ふと気付いたブレダがロイ・マスタングの様子を窺えば、部下達を押し退けるように一番視界良好な位置に陣取っていた上司は最前までわくわくと小躍りしていたのが何とやら、すっかり蒼白になっていた。
「……鋼の……?」
今にも口から魂が彷徨い出そうになっている。
ちなみに高級レストランの支払いは上司持ちで、現在彼らは全員が勤務時間内である。
テーブルに料理の皿が運ばれて来ても、今のエドワードには楽しい食事タイムは無縁である。
「いや、あの、オレってこんな礼儀のなってないガキだし……」
「この年齢で少佐待遇の国家錬金術師、君ほど将来を嘱望出来る人材も今の軍にはおらんと思うがの」
しどろもどろのエドワードに、切り刻んだステーキ肉を口に運びながら中将が反駁した。
「しかも度胸があって頭も良い。マスタング君も有望だと思ってたんじゃが、水を向けてものらくら逃げよるし、第一リザが嫌がるんでの」
「はいお祖父様。いくらご命令でもあんな人だけは後免です」
うわ、やっぱり……見合いの様子を見守っている軍人達が一斉に呟き、横暴な上司に殴られた。
「痛ッ、もう、涙目になるくらいなら勧められた時に断んなきゃいーでしょーがっ」
ハボックが抗議したが、涙目ながらの凶悪な一睨みで黙らされる。
「えええええっと、あっ、オレ両親がいないんだ!将軍のお孫さんの嫁ぎ先には相応しく……」
「喧しい親類にリザが苦労することもないのぉ。理想的な結婚相手じゃよ」
「えーーー」
エドワードといえば、敗色濃厚ながらも無駄な抵抗を続けている。
「でもオレまだ結婚出来ねえ年なんだけどっ!」
「エドワード君が18になったら籍を入れて、それまでは婚約ということにしましょう。私もまだ仕事を続けたいから丁度いいわね」
仕事場では見られない柔らかな表情で微笑むホークアイは、日頃しない薄化粧もあって文句なしに美しい女性だった。見つめられたエドワードは一気に顔面温度を上昇させる。
「それともエドワード君は、こんなずっと年上のおばさんなんて嫌かしら?」
目線を合わされたまま探るように言われ、
「そんなことないよ!中尉は強くて優しくて格好良いよ!?」
大慌てで純真な少年は否定した。老軍人の眼鏡が不穏にキラリと光る。
「ほうほう」
「有難う、嬉しいわ」
男前的な誉め言葉にも気を悪くせず、ホークアイはルージュを引いた唇にやや獰猛な笑みを浮かべた。
ここまで押せば陥落間近。百戦錬磨の祖父と孫とは勝利を確信する。
が。
「異議あり!!!」
何処ぞの法廷ゲームのような台詞を発した声には聞き覚えがある。
人生の岐路に立つ二人とその祖父は、声の方向に目線を向けた。
「た、大佐ぁ〜〜?」
仰天した部下達が軍服の裾を掴んで止めるのを振り払い、険しい顔のマスタングはずかずかと見合いの席に乗り込んでいった。昼ということもあって、他の客数が疎らだったのがまだしもの救いである。
「私はその婚約認めません!」
――誰が見ても如何にもな修羅場風景であった。
「何故仕事中の大佐がこのような場所にいらっしゃるのでしょうか」
先程までとは別人のような冷やかさで、ホークアイはサボリ上司を睨み付ける。
ロングスカートのスリットに手を伸ばし、才媛はガーターベルトの間に挟んでいた拳銃を取り出した。
「ダメじゃよ〜、孫と結婚したかったんなら、もっと早くに言ってくれんと」
「いいえ閣下、私が結婚したい相手はお孫さんではありません」
条件反射で鷹の目の眼光に身が竦みながらも、なけなしの男気を振り絞ってマスタングは胸を張る。テーブルまで大股に歩み寄ると、鋼の錬金術師の背後に立った。
「この縁談に反対する理由、それは……」
がばり。
「この国の至高の座に上り詰め、婚姻法を改正して鋼のと結婚するのは私だからです!」
「アホか」
瞬速のツッコミは椅子越しに抱き締めた少年当人から寄越された。
「……………!!」
「ねぇエドワード君。こんな頭に藁クズの詰まった同性よりは私の方がいいと思わない?」
「いや、それは比べるまでもないんだけどさ……」
撃沈したマスタングを無視して見合い再開。
「すまんの。ワシとしても前途ある少年を変質者の餌食には……」
ぴんと伸びた髭に付着するソースをナプキンで拭いながら、飄々とした風情のまま中将も追い打ちをかけた。
「大佐より私の方がエドワード君を幸せにする自信があります」
「格好いい……」
銃の照準を上司に合わせつつ、きっぱりと断言したホークアイを、うっとりと手を組み合わせてエドワードが見上げた。かなり傾いている。
「捨てないでくれ、鋼のぉ……」
「だから最初から拾ってないし」
「しくしく……」
泣き伏す上司に対し、どこまでも世間の風は冷たい。
「……大佐……」
茫然と見守る部下達は、嫌な現場に立ち合っちゃったなぁと己の好奇心を呪い始めていた。
「――え?兄さんと大佐なら、お付き合い…になるのかな、アレは」
後日、「考えさせて下さい」と即答を避けていた錬金術師の弟は、司令部一同を脱力させる事実を暴露していた。
「あ、でも見合いの話は聞きましたけど……中将が後見に付いて下さるんなら大佐より断然いいですよねえ」
更にアルフォンスの続けた言葉に、
「大佐……報われねぇ………」
同情票を集めた上司は未だかつてない程に野郎どもの好感度を高めていた。
……ホークアイと最強弟が組んで、あの雨の日無能が勝てる筈もないことは誰の目にも明らかだったからである。
「不倫というのも中々そそるシチュエーションだと思わんかね?」
「あーハイハイ」
現在想い人を膝の上に座らせてご満悦な男に、同情が必要かどうかは兎も角として。