……夢ならいいと、悪夢のうつつに魘されたことだけは、朧気に覚えている。
 
 
 
 
遙相憶
 
「…………気が付いた?」
気怠さの残るままゆっくりと目を開けば、覗き込んでいた姉が安堵するように愁眉を開くのが見えた。
彼女は気を失う前、最後に見た古代風の衣装ではなく、平生と変わらない服装。一瞬、今までの事は全て、古松林の我が家の寝床の中で見た悪夢の一幕ではないかという気がした。
勿論そんな筈はなく、姉に支えられながら上体を起こせば、自分が寝ていたのが夏口城に与えられた一室であることが判る。寝台の端に姉は腰掛けていて、眠り続けていた伯雅をずっと見守っていたらしい。優しくて厳しい元直師匠も、家族のように見守ってくれた香語姉さんも既に亡く、憂いを帯びて微笑む姉もぎこちない笑みを返す伯雅も、沢山の物を失ってしまった。一度毀れてしまったそれらが、二度と元に戻ることは無いと知っている。
闇夜に閉ざされた現在は悪夢の続きなどではなく、しかし忘れてしまいたい全ては夢ではなく現実の中にこそ、在る。
「喉が渇いた?三日三晩も気を失っていたのよ。他の皆は、今寝てるから……あなたも」
「ねぇさ、…………羽鳳」
受け取った素焼きの杯には冷たい水が満たされていた。僅かなりとも喉を潤して、それでも声は何年も喋らなかった者のように罅割れている。
慣れない故の言い直しをどう感じたかは知らない。数ヶ月前までは確かに姉だった筈のひとは、伯雅の悲しみが伝染ったように眼を細め、それでも微笑みを消さなかった。
「あなたの大事な物、全て奪ってしまった私が許せない?」
微笑を湛えたまま、姉のままの表情で彼女は優しく尋ねる。
長年行方の知れなかった両親を、彼女がこの手に掛けた。
姿を隠し、血の繋がりを否定して。たった一人の肉親だった姉の存在を奪って。
目を閉じる前の悪夢。義兄だった青年は嘘のように穏やかに微笑み、頭から血の海に溺れた風に全身を朱に染めた彼女は、堅い顔で突き立てた剣を手放した。
思乾は、姿を変える前を彷彿とさせる、温厚な青年の表情で瞳を閉じて、紅い結晶へと変化したと思った刹那、呆気なく砕け散ったのだった。
伸ばした手は届かず、伯雅は泣き叫んで、そのまま意識を失い。
連鎖的に引き摺り出される記憶は胸を締め付けるものばかりで、再度これが夢ならば、と……口に出すことは羽鳳の真摯な瞳を前に不可能だった。
全ては不可抗力で仕方のないことだった、疾うに知っていることを告げられたなら。
内心に問い掛けながら、自分の表情を見守る彼女の長い髪を梳るように撫でる。羽鳳は驚いたように目を見開き、当然ながら彼女の浴びた血の感触など残ってはいない。
彼女の言が正しければもう三日も経ったのだ。しかし緩やかな滝のようにうねる髪が血を吸った事実を、忘却することは出来そうになかった。
女々しい感傷だ。向こうが自分に憎悪しか抱いていなかったとしても、義兄弟と誓ったのだ、嘗ては主君と仰いだ相手だった。
為されるがままに伯雅の手の感触を追うていたような羽鳳は、青年が沈黙したままであることに自嘲を洩らした。
「………そうね。私もどう考えていいのか、まだ解らない」
「羽鳳がしたことは正義だよ、それは確かだと思う。僕がやらなくちゃいけなかったことだった」
「そんな良いものじゃなかったわ」
否定の形で口に出せた、これも本心に違いない言葉を、羽鳳はゆっくりとした発音で否定した。蔭を帯びて、勝ち気な姉ではない、知らない女のような。
「あの人は私が辛かった時に支えてくれたし、真摯に愛してくれていた、それを私は知っていた」
伯雅に聞かせる為ではないようだった。内心の声に耳を傾けるような、独白に近い呟きは、発声の有無が違うだけで伯雅の沈黙と同質のものであろう。
傷付いた者の共感がそこには存在し、今の彼女が自分を見ていないことに、しかし身勝手な苛立ちを感じる自分もいることに混乱する。
「彼の想いを利用していただけかもしれないけれど」
自嘲気味に、しかし彼女の言に迷いはない。三日間繰り返した結論のように。
「確かに私はそれに凭れ掛かっていたし、惹かれてもいた」
それを聞く伯雅の胸が、不意に苦しくなる。
熱くて、溶岩のようにどろどろとした感情が渦を巻いている。
成程、と死んだ青年の感情が今更になって理解出来るような気がした。
この苦しさを千年と抱え続ければ、それに全身呑まれ尽くされようと仕方あるまい。名前、眼差し、髪一筋たりとも渡したくない、そんな情熱は前世たる風後にもあった。主君への忠義、いやそんな良いものではなく、女の気持ちを確信する余裕と、決意し切れぬ卑怯。
蚩尤を滅ぼす矛先の苛烈さには、主君の思惑通り多分な嫉妬が含まれていた。黄帝は己で言うように悪辣であったと言うより、素直に過ぎただけなのだとも思える。そう、彼女の言う真摯さ故に途を誤っただけかもしれなく。その確信は自己嫌悪と分かち難く結び付いている。
「でも、何度同じ岐路に立たされても、私はああしたわ」
未だに迷い続ける伯雅にとって、彼女の決意は断罪のように響く。
「……何故?」
「…………私は“姉”である以外の生き方が解らなかったから」
弟を護る為、それ以外の命題を持てなかった。
それは弱さなのだと彼女の表情が語っていたが、何度も姉と古松林に帰りたいと願った伯雅もそれは同じだった。
何時だって、姉は外界の嫌なことから護ってくれた。時には父のように、母のように。
苦難に曝された旅の中、何度も故郷を思い返したのは、無意識に庇護する対象をそこに求めていたからで、姉が去っていった時に裏切られたと感じたのも、同じ甘えに過ぎない。
少なくとも羽鳳の苦しみや葛藤を察することの出来なかった伯雅だけは、彼女を非難することは出来ないのだ。
「………本当は、僕がやらなきゃいけなかったのに」
野望の末路にとどめを刺すことは。千年前からの因縁の当事者として。仲間から、人々から希望を託された者として。
友情を忠義を隠れ蓑に、あと一歩まで追い詰めながら躊躇ったのは、甘えが何処かにあったからだ。
殺めた者と甘受した者との間には、彼らだけにしか理解出来ない対話が眼差しで交わされていた。愛する女に殺められる敵の末期に昏い喜びと安堵を感じていた一方、余人の立ち入れぬその交情に、疎外感と嫉妬を感じる。その程度の人間でしかない。
羽鳳に姉としての決断を下させたのは、伯雅の逃避と甘えだった。
 
「ごめんなさいね。まだ本調子じゃないのに。この話はまた今度……」
「羽鳳、」
ふと姉の表情を取り戻し“弟”を宥めにかかった羽鳳を、遮った。
「………なに?」
今更に何もなかったかのように互いを取り繕って、普通の姉弟として暮らす選択肢も存在した。その方がずっと楽であろう確信も。
にも拘わらず、字を口に上せてみれば、何とその響きの馴染むことか。
互いの感情がきょうだいと呼べる範囲を逸脱しているのは自明の理で、最後まで逃げた伯雅は今度こそ間違える訳にはいかなかった。
羽鳳の肩を掴み、寝台の上に押さえ付ける。
「は、伯雅?」
突如、青年の身体の下に引き込まれた彼女は狼狽も顕わに、彼女らしくない弱々しい反駁を返した。所在なげに視線をうろうろと彷徨わせる、その顔が頬と言わず耳の先まで真っ赤に染まっていることは、夜目でも確認出来た。
細い手首を拘束している力を、更に強く籠める。
決して、男として勝てたとは思っていない。寧ろ苦々しい敗北感が後悔の正体。
最期まで正直であったあの青年の存在を、これから越えていかなければならないからこそ、今度こそ間違えられない。
「羽鳳」
再度字で呼びかければ、それが恐怖であるかのように、彼女はびくりと身を竦ませた。
強張る頬に触れたいと思い、しかし逃げられるのが怖くて拘束を解けない。
「姉弟として育たなかったとしても、あの時……僕のことを選んでくれた?」
羽鳳は答えなかった。
二人の関係を根幹から揺るがす問いによって、根本から断ち切るには甘美すぎた記憶を、伯雅は退路を断つように捨て去った。
羽鳳は何も答えなかった。
姉弟として過ごした歳月、共有する悔悟や追慕の感情が、伯雅が腹を括り切れていないことなど、完全に見通しているのだろう。伯雅とて彼女の問いには明確な答えを返せない、というのに。
羽鳳は明確な答えを返さなかった。
ただ、何かを堪えるように眼を伏せた。
長い睫が落ちかかる表情は知らない女のもので、伯雅はそれを彼女の解答だと受け取った。真実は知らない。
……この時に、彼は最後の家族を失った。
 
重ねた唇の味は、苦味を感じる程にあまいものだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
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……幻想三国誌の筈が、なんか某エルリック兄弟書いてるような気分になった(死)。慣れとは恐ろしい。


ゲームのエンディング、そこに至るまでに紆余曲折ありまくったというのに思いっきりスルーされたような、
「後は各自で脳内補完してね!」と言わんばかりのあっさりエンドだったので、堪らず促されるままに補完計画してしまったのがこれだという(苦笑)。
他の駄文も大概だけど、これは特に自己満足以外の使い道がない感想文…。

姉弟ルートをまっしぐらに目指して、両者とも選択肢が出る度に姉!姉!弟!弟!迷わずラブな選択肢を選んでたんですが、二人とも何だか現実逃避的な、「アルムのお山に帰りたいbyハ●ジ」的な本音が透けて見えてたのが気になって気になって。
互いへの恋愛感情というより、ホームシック故に思い出が美化されてる気配が芬々。

「二人で元の古巣に帰った」としか書かれてないエンディングで、でも気持ちは昔と同じではいられないところを、再確認したかったというか。
寧ろ
「ぐあぁあ!この惰弱なボンボンめが!!」主人公への苛立ちが大きいというか(笑)。

私、やっぱ四魔将ルート→銅雀台、姉EDは一番話の流れに沿った王道ルートだと思ってる人間なんですが。
だからこそ前途も多難そうなイメージ。

題は、エンディングシーンで流れてたオルゴール曲のタイトル。まんま。