籠の中には破片虚空






日課の素振りを終え、空を見上げる。
此処より高い所では、風も強いのかもしれない。
頭上の天蓋は何故か遠い場所に感じられた。殊に蒼く、深い。
どこか偽物めいた気配を感じるまっさらな彩は、身を切るような空気と相俟って硝子で出来ているように見えた。武人の無骨な手では、丁寧に扱えずに壊してしまいそうだ。
 
……そこまで思考を泳がせて、苦笑した。柄ではない。
何故自分らしくもない感慨を抱いたのか、ふと過ぎる違和感の正体を探ることは早々に放棄して、視線を元に戻した。
 
 
だというのに。
 
 
いつのまにかちゃっかり上がり込んでいた弟弟子が、
「ホットチョコレート、淹れてくんない?」
欄干に凭れ掛かって言ったので。
 
やっと、
 
玉鼎真人は、冬の訪れを知った。
 
 
 
 
 
 
 
人間界に住む唯人が想像するように、崑崙山は花咲き乱れる常春の国……ではない。確かに発達したテクノロジーによって生活環境は格段に良いだろうが、目に映る景色である所の点在する浮岩は、むしろ荒涼とした印象を抱かせるかもしれない。
数少ない植物は、春になれば花を咲かせ、冬が来れば葉を落とす。自然の摂理はここでも健在である。
 
「うーん、あったまるねぇ」
万年春の如き太平楽な響きで感嘆するのは、太乙真人。いきなり押し掛けた遠慮など欠片も持ち合わせている気配はない。毎度のことだが。
 
 
玉鼎にとっては何故か、過ぎ行く季節を知るのは、太乙の訪いが契機であることが多い。
どうしてなのか、いつものように向かい合って座りながら、不思議に思う。
先程の空を見上げた時の違和感が、思い出された。この感覚は、あれに近い。
視線を落としてみれば、湯呑みの中にはとろりとした茶褐色の液体が螺旋を描いている。

濃い、薄い、ごく微量な色彩の変化の渦を眺め。
掻き混ぜた痕跡を目で追うのに飽きた玉鼎は、湯呑みを持ち上げて中身に口を付けた。
 
……甘い。
 
元々甘味を好まない質である寡黙な仙人は、口中に広がる甘さに憮然とする。
僅かな違和感が、何やら口の中にたゆとうているような。居心地の悪さ、かもしれない。
 
「玉鼎ってさー、いつも最初の一口を飲んだ後、眉を寄せるよね?」
 
顔を上げれば、じっと観察していたらしい仙太乙が、笑い混じりに些細な癖を指摘した。
奇跡のような宝貝を創り上げる魔法の指が、すっと伸びて玉鼎の眉間をつつく。
反応に困って、ただ沈黙した。
 
黙したままの玉鼎を気にすることもなく、へらへらと微笑っている仙人は。
「なーんか、変なかんじかも」
微笑みを絶やさぬまま、一見脈絡のない言葉を口にした。
口にして、それすら忘れたかのように口中を湿らす。
「ほっとちょこれいと」
噛み締めるように呟く、真剣な表情とどこか舌っ足らずの発音は、玉鼎には何故か危うい印象を抱かせる。擬態と真剣の区別が、どうも今の空間でははあやふやなのかもしれない。
その危うさは、別の回想を引き寄せて。


同じく真剣な顔をして、甘い飲み物を飲んでいた子供の姿が甦った。
今でも、真剣な色をその大きな瞳に宿して、何処かを見据えているのだろう。

……私の (と言うことは赦されるだろうか?) 巣立っていった子供達。
 
 
 


 
一時期、親しかった者達との交流が全く途絶えた時期があった。
何の説明もなかったそれは、両仙人界の最高機密に関わるものであった故、未だに釈明も出来ていない。
知らずとも察してくれている部分はあったのだろう、預かった養い子を人前に連れて出歩くようになった頃、あくまでもふらりと、太乙真人も金霞洞に顔を出すようになった。小さい子供が喜びそうな甘い菓子や飲み物を手土産にしていたのは、彼なりの心遣いだったのだろう。
 
……生憎と、玉鼎の養い子は師匠に似たのか甘い物が苦手であったので、専ら客自身と相伴に預かる洞府の主が、手土産を消費していたにせよ。
自作のかき氷機を玉鼎に操作させ、苺シロップのかかった氷を頬張る姿などを見ていると、昇山した当時の兄弟子としての感覚のまま、どうにも子供っぽいものだとついつい思ってしまう。悟っているようでいて、どこか稚気が抜けないのが仙人の常とは言えども。 
いつの頃からか二人だけの甘味試食会は、太乙の連れて来た子供が交じって三人になったが、世話をするような心持ちの玉鼎としては子供が一人でも二人でも変わらない。
その子供もいつの間にか足を向けなくなって。
 
 
――そして、二人だけになった。
 
 
 
 


 
「……何が奇妙なのだ?」
 
何故か沈黙が厭になって、尋ねる。
 
常は、寡黙な仙人が自分から口を開くことはない。
躁めいたところのある弟弟子が一方的に喋り、時折それに相槌を打つ。
話を聞いていない訳でもないのだが、口にした本人すら何の価値も見出していないと解る通り一遍の噂話や感想に、いちいち返答するのも億劫なので。
だから、今のは随分と珍しい気紛れだった……と思う。
 
 
「うん、あのさあ」
 
へへへ、とまるで子供のような様で、太乙は含み笑う。
どこか照れた態度は自分でも意外だったのだろう、僅かにぎこちない仕草で頬を掻いて、視線を泳がす。
 
「ほら、玉鼎ってさ、甘い物嫌いだし絶対飲むもんかーってかんじじゃない。
それが嫌々あっまーいホットチョコレート飲んでる姿、なんて天変地異の前触れかと思うじゃないか」
「……そういうものか?」
「まあねー?にこにこ笑って飲んでたら、もっと気持ち悪いけどさーぁ」
やや憮然として問い返せば、あっさりとした同意。しかも失礼だ。
 
「でもさあ、珍しい顔も毎年眺めてたら慣れるだろう?だけど、やっぱり普段は見れない光景だし、未だに慣れないんだよね。

ええと、何言ってんだか。……うーん、年末恒例のスペシャルイベント?みたいな」
「…………」
結局慣れているのかいないのかが解りづらい上、紅白や行く年来る年と同レベルにされている。
もしかしたら、歳末助け合い運動かもしれない。
仙人界にそんなものはないが。
 


「そうだな……」


しかし、何となく言いたいことは解った。

冬は毎年訪れるのに、年に一度。
限りない変遷を繰り返しながら、気の遠くなるような歳月を幾重にも重ね、記憶は均質化の一途を辿っている。
『特別』は限りなく『日常』に近付いて、埋もれていくのに。
 
埋み火のように、ほんの僅か、残る違和感。
紙一重の『特別』はちりちりと音を立て、落ち着かない気分をもたらすような。
 
 


 
「んで、玉鼎の方から気にしてくれる態度をとってくれたのって、ン年ぶり?だし。
天変地異どころか、明日は世界が崩壊する騒ぎになってるね、きっと」
あはははは、意味もなく大笑いしている。これも照れ隠しだろうか。
 
 
「明日天地が崩壊しても、あまり変わらないと良いな」
 
 
「………なにそれ、意味不明」
 
 
 
「口下手だからな」
 
 
 
 
「知ってるけど」
 
 
 
 
 
 
 
 




夏になれば、かき氷を食べるのだろう。
真っ赤な着色料を振りかけて。
 
そして、また冬になれば、ホットチョコレートを二人で飲むのだ。
 
来年も、次の年も、そのまた次も。




明日世界が滅んでも。
 
 
 



……此処では空気の流れは緩やかだが、武人の感覚は嵐の予兆を捉える。

地上でのきな臭さから無縁でいられるとも、思っていない。子供達を送り出した時から責任は担っている。師として、仙として、……人として。


近々、文字通り天地を揺るがすような事態が起きる。
 
 
 



 
だが、『特別』の時間が、共に在ればいい。


意味のないかもしれない、そんな祈りはいつも真摯なのに。
 
 
 
 
 
 




 
少しぬるくなった液体を啜り。
「……………」
玉鼎は、再び眉を顰めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あまりにも甘かったので。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


〈了〉


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……最初に謝らせて頂きたいと思います(唐突)。

すみませんゆうた様、さんざお待たせしてこの程度しか出来ませんでした (/>_<)/
今からお詫びの切腹をっっっ!!!


と言う訳で(死んでないし)、9696=クログロアデランス番号をゲットされた(笑)、ゆうたさまのリクエスト。お題は『玉鼎×太乙』でした。
拙作「飛べない鳥の唄をきいた日」を読んで下さった心優しい方です……。っていうかゆうた様の大好きな太乙を穢しまくっている気がして仕方ないんですが(涙)。

頂いたメールが奇跡的に残っていたのでここに引用出来るのですが、

「二人を幸せにしてください、とは言いません(笑)
あずささんの玉太って、通じ合っている部分とすれ違っている部分が、微妙に交じり合っているような気がします。
「飛べない鳥・・」が微妙なすれ違いの話だったとしたら、今回は、ラブラブじゃなくていいので(笑)、
微妙な通じ合いの話が読んでみたいです。」

……とのこと。
なんとゆーか、ラブラブの加減が自分ではよく解らないので、とにかく不安です……(苦笑)。
つ、通じ合ってますか!?
なんとなく『一般的な老夫婦の生活』みたいなイメージで書いたのですが……(笑)。
リク頂いたのが夏前だったので「かき氷ネタでいこう!」と思いつつ季節は流れ、現在冬真っ盛りです(苦笑)。夏の名残が意味もなくちらほらしてますがー。
そしてココアにしてたんですが、牛乳は生臭ではないかと気付いて慌てました(笑)。ホットチョコレートとココアの違いは、よくわかんないんですけど(なら使うな)。


ああ本当に重ね重ねのご無礼で、申し訳なさここに極まってますが(泣笑)。
ここはもう人間の格が違ったということにして、ゆうた様に白旗を揚げるのみです。
そして、キリ番ゲット&リクエストをありがとうございました。
ゆうた様にはいつも、拙作を非常に深い部分まで読み込んで頂いていて、本当に感謝に堪えません。
私なんぞがここまで最上の読み手を得ても良いものか、それだけの価値があるものか思わず自問自答しますし(苦笑)。そして、反応を頂ける有り難さ。
今回の我がアホっぷりを芸の肥やしに(笑)今後も一層精進するつもりですので、
今後も温かく見守って頂ければこれ以上の喜びはないと、不逞にもお願いしたりする次第なのであります(^-^;)ゞ