時間軸交差点
唐草模様の風呂敷でほっかむりをしたベタな出で立ちの曲者は。
扉から頭だけを出してきょろきょろと左右を見回した後、大きな音を立てないように両手で押し開いた。
深夜の禁城はひっそりと静まり返っている。
それは、城の主である周の人間の数が少ないからか。
先の支配者から受けた打撃に国全体が力を取り戻していないのか。そのどちらでもあるのだろう。
しかし、数日間の滞在の間にも、春に種子が芽吹くかのような力強い復興の様を“かれ”は見て取った。
その芽は、いまに大輪の花を咲かせるのだろう。
無人の執務室を一瞥し、書簡の間に置かれた書き置きの姿を確認すると、体を反転させる。
後ろ手に扉を閉め、満足気な吐息を零した。
石造りの回廊は、夜気の深々とした冷たさを運んでくる。
忍び足でそのまま立ち去ろうとしたところを。
「行くのですね」
突如掛けられた声を当然のように受け止め。
振り返ると、そこには女らしさを増したかつての係累が燭台を手に佇んでいる。
昼間の格好に、粗い織りの布を肩に羽織っているだけである。その薄着に、かれの眉は顰められた。
その非難の視線を受け流し、邑姜は探るような双眸をかれから離すことがない。
「――何故、そう思う」
いっそ柔らかな声音で返されたのはそんな応え。
その反応に、生真面目そうな彼女の表情が硬さを増した。
「判ります。あなたは、本当に大切なことは何も残して下さらない」
別れの言葉もなく、立ち去ってしまうつもりだったのでしょうと非難の言葉は続いた。
「しっかり見破られとるのう」
「血が繋がっていますから」
笑い混じりの声に被せられるように発された言葉に。かれ、は一瞬硬直した。
何事かを口にするために開かれた唇は、しかしそのまま閉じられる。その後には、いつもの食えない笑みを浮かべたかれの姿が残された。
そんな曾祖母の兄に対して、邑姜は苛々とした表情を見せる。彼女も、言うべき言葉を模索しているようだった。
「あなたは――――狡い人だわ」
しかし、発された言葉は真っ直ぐに切り込もうとするそれ。
今度は応えを返すでもなく、先を促すようにかれは首を傾ける。
邑姜の頬は紅潮した。その勢いのまま、一歩かれに近づく。
「さよならを言う機会すら与えないで。
別れをそうやって逃げることで、自覚させないことで。
あなたはあの人の中で、永遠に想い出の中の慕わしい人でありつづけるのだわ」
唇を噛み締める少女の眼差しに籠められているのは悔しさの感情。そして、それ以外の何か。
「そして、私はそれを繋ぐ縁。そうやって近づいたのだから当然なんでしょうけど」
「邑姜」
困ったように片手を伸ばすと、哀れみを拒否する強い視線にぶつかる。
そのまま、よく似た面立ちの二人は人気のない廊下に佇んでいた。
「……邑姜」
再び呼びかけられる。そこに籠められた慈愛に、少女は泣き出しそうに顔を歪める。
「確かに卑怯かもしれんが。はっきりと終わりを自覚したくないのはわしの我が儘かもしれんがのう。………だがな、これからの未来を創っていくのは隣に居る者にしか出来んのだよ」
「……それでも、私はあなたの影だわ」
「邑姜」
今度は窘める声。
「きっかけが何であろうとも。おぬしがそうなりたいと望むのであれば、それがおぬしの真の姿だ」
僅かに自嘲的な笑み。
「それにおぬしは……そんな未練がましい男なんぞについて行きたいのか?」
「――いいえ……」
少女の薄い肩に手が置かれる。伝わるのは温もりと情。
「そんな人、私の方からご免です」
俯けた顔を上げると、祖父のようなかれは笑って頷いた。
「おぬしには迷惑を掛けるだろうが、……あやつをよろしく頼む」
ふと浮かんだ懐かしむ表情は、誰を想ったものか。邑姜は、訊きそびれた。
他にも口を衝いて出そうな言葉は幾らでもあったが。
それらを全て封じ込め、代わりにとびっきりの笑顔を贈ることにする。
「お元気で、――太公望さん。
偶には顔を見せて下さいね。あなたを、……私の想い出の中で一番慕わしい人にしておきますから」
かれは、太公望は虚を衝かれた表情で目の前の少女をまじまじと眺める。
先程とは逆転して、今度は邑姜の方が余裕の笑みを浮かべる番だった。
ぱくぱくと口を動かして、その後肩を落とす。
そうやって見せた表情は随分と照れを含んでいて。
自分のことには不器用な太公望の姿が可笑しくて、邑姜はつい吹き出してしまう。その辺はお互い様なのだけど。
「上手くやれよ」
「そちらこそ」
お互い照れ隠しの応答。
ひとしきり笑って次に顔を上げた時には、目の前には誰もいなかった。
回廊の窓の一つが開け放たれていることだけが、気配もなく立ち去ってしまった人の唯一の痕跡だった。
夜風に煽られてばたばたと音を立てるそれに近づいて、閉め直す。
窓の外には、月が不思議そうに彼女を見下ろしていた。それに挑戦的な視線を返す。
足下の燭台を持ち直す。
すると、回廊からは一切の痕跡が消失する。日常空間の足音。
世界は深としていて、全ては夢であるかのようだった。
先程のやりとりも。かれの存在も。
でも。
「…………忘れないわ」
不敵に呟いて、邑姜は笑みを浮かべた。その表情を彼女の想い人が見たら、やはり親代わりの人との類似に目を見張るのかもしれなかった。
今でも太公望には色々思うところがあるけれど。
それごと忘れないでいれば、心に彼の場所を留めておけば、いつかかれが帰ってきた時の縁になるだろう。
自分も。あの人も。
邑姜は、短くなってしまった燭台を一瞥すると、自分に与えられた寝所へと戻る。
近くに位置する彼女の王の部屋を覗いても良いかもしれない。夜は寒いから、しっかりと襖を被って寝ていると良いけれど。
明日、かれの痕跡である四畳半スペースの片付けは自分でしようと思いつつ、邑姜は小さく欠伸をした。
<了>
旅から戻ってきた(早)あずさです。修行の成果や如何に・・・って全然駄目ですがな。
個人的にずっと書きたかった邑姜ちゃん話。彼女のことは好きです。失礼承知で言わせてもらえば一番共感し易いキャラ(^^)
発ちゃんが姫昌サマを乗り越えるのが大変だったように、彼女もこれから太公望越えていかなくてはいけないんですよね、王の補佐としても、発ちゃんのお嫁さんとしても。(発→太前提の発邑女なので・・・)
また先人が偉大であればあるほど大変だという。
発太テイストや(出てないけど)発邑や、ちょっと太邑色なんかが出したかったのです。
師叔が置手紙した相手って、楊ゼンと姫発だけなんですよねー(笑)その辺ツボなんですよね、考えると。
そして気づいたのですが、<了>と<完>が入り乱れてるこの駄文・・・(死)その内どちらかに統一します。どちらがいいと思いますか??(おいおい)←本気でご意見下さると有難いです。