で逢いましょう。
 
 
 
 
 
 
闇一色に塗り込められた空間。
広さも、高さも判らない。ただ、そこに存在しているだけの、文字通りの「空間」。
そもそも果て、という概念があるかどうかも疑わしい。
 
 
中途半端に空間内を漂いながら、老子は覚醒しきっていない頭で考えた。
 
 
まあ、夢に対して固定した概念を確立することなど土台無意味である。
老子は地面が必要でないから宙に浮いているのであり、他の者が必要だと感じればそこには大地が存在するのであろう。
夢とはそういうものだ。
この世の何処にも存在しない場所、全ての法則は無意味。「有」と「無」が混じり合い流転し、「玄」を成す。それは太始の世界の姿に似ている。
全ての存在が此処では一つであり、全ての意思は繋がっている。一にして全。全にして一。世界の根源ともいうべきものであった。
 
 
老子は目を開く。
金の瞳。感情の見えないそれは、玄き虚空へと向けられる。
 
 
ぼんやりと、そこには映像が映し出されている。映像、と意識すると、それは風景となった。
都市の上空を、老子は漂っている。
高度な文明を誇っていたであろうその都市が、閃光に呑み込まれていく。目を開ける前、覗き見していた女の夢であった。
何度も、何度も女は故郷の夢を見ている。そして、彼女が滅ぼした幾つもの歴史の夢も。
気の遠くなる程の回数繰り返された夢を、老子もまた見続ける。あまりにも繰り返される光景に、老子自身、これが女の中の光景か自身の内にある風景か判別出来なくもある。
眩い光が全てを舐め尽くす。そして、全てを消し去った後残されるのは闇。
先程の女禍の夢をリプレイしていると同時に、これは老子が見ている夢でもあった。
 
 
初めは、偶々意識と同調したこの夢が何を意味するものか、知らなかった。
真実を教えたのは、あの存在。
  
 
 
 
 
傍らに気配を感じた。



 
 
「……何故、あなたが此処にいるのかな?」
首を傾けると、膝を抱えたまま宙を浮かぶ彼はくつくつと笑った。
先日会った時は、地面を歩くように立っていたものだが。
『どう解釈しても。空間を共有した際に混じり合った思念の中から、私の意思が突出して形を成したということでも。この空間を彷徨っていた私の残滓が引き寄せられたということでも。ああ、そなたが私を思い出したからかもしれないな。
この身は残像。何にせよ意味のあるものではない』
王奕の、少し長い髪がはらりと揺れて肩にかかった。
確かに、先日まみえた彼は違う姿をしていて、『太公望』という名であった。この姿の彼は、老子が初めて出逢った時の彼のものである。
『そなたが、そんなに私に逢いたがっていたとは、意外だな』
「悪いけど、それは誤解だと思うよ」
ずるずると引きずる服の所為で外見から判別しづらかったが、老子は肩を竦めた。
「何度も私の安眠妨害をしてもらいたくないんだけど。
ちゃんと太極図は渡した。今更何の用事があるというの?」
今の現状も、夢には違いない。睡眠は妨げられてはいないが、余計な脳の酷使は不快感を催した。
『私にではない』
「あなたにだよ」
はぐらかす王奕に、珍しいことに、老子はやや強い調子の声をあげた。
「燃燈道人辺りを何と言って言いくるめたのかは知らないけど。
あなたは王奕であり太公望であり、伏羲だ。その事実は変えられない」
記憶の有無や肉体の器など関係ない。その魂魄が同一の光を放っている限り、それは同一の存在である。
『機嫌が悪い。そなたが感情を乱しているところなど初めて見た』
老子の呆れた眼差しを平然と受け流して、王奕は笑う。
「初めてと言えば。この姿のあなたが感情を見せること自体初めてだよ」
『太公望に引きずられているのかな。だとすれば嬉しい』
どこかうっとりと、王奕は呟いた。その瞳には慈愛に似た彩が浮かぶ。自己愛、とは違うかもしれない。彼は、一人の人格として『太公望』を愛しているに違いなかった。同一の存在、といっても、その精神構造の有り様など老子の知るところではない。
彼とは、長い付き合いであるにしても。
 
 
 
 
 
 
 
 
『時が満ちたようだから、これを預けておく』
王奕は淡々と述べ、淡く光る球体を差し出した。
陰と陽が絡み合う文様。彼らの故郷では多いデザインであることを、老子は知っている。そして、仙人界にも。
「封神計画。導からの世界の解放……」
老子に、大した興味はない。意味がないからだ、自分にとって。
絶対者たる女禍とて、自然界にとっては一つの矮小な存在に他ならない。その傍若無人な行いに眉を顰めることはあっても、積極的に排除する意志は起きなかった。
 
天地すらなお久しきこと能わず、而るをいわんや人においてをや。
 
疾風驟雨を起こす天地すら、その不自然を永続させ得ない。
女禍の不自然な行動は、やがて綻びを発生させて瓦解するだろう。それを、わざわざ人為的に起こそうなどと。
或いは、それが天意なのかもしれないが、自らを神としない彼はそれを否定するだろう。
『機というものはある。しかし、この意志は私のものだ』
自分の我が儘でかつての同胞を至高から引きずり降ろすと言う。
私欲でもなく、それにしては執拗な意志の有り様が、理解出来ない。
その夢を共有し、無数の滅びを追体験し。
伏羲……王奕の次に、女禍を意識せざるを得ない老子が、彼女の実在を知る者の中で最も彼女に対する関心が薄い、というのも傍目から見れば充分に理解不能ではあったろうが。
「預かるのはいいけれど、これを使う気はないよ」
スーパー宝貝太極図を受け取りながら、老子は気のない声で確認する。
彼の手に渡った球体は、複雑な呪を記した一枚の札に形を変え、虚空に消えた。
彼ら程の術者になれば、カスタマイズに時間はかからない。そして老子は最高の力を持つ仙人であり、地球の生命の中で最も始祖に近い存在でもある。彼と気を合わせることは難しくない。
『渡してくれればいい』
誰に、とも言わず。
「わざわざ動きたくないなぁ……めんどくさい」
『自分で取りに来るだろう。そうでなければ困る』
突き放すような調子で王奕は断言した。熱意を感じられないのは老子とも同じで、失敗すればそこまでのことと思っている風にも受け取れる。しかし、それは錯覚であり。
虚ろな大きな瞳が、いつも何処を見据えているのか。読心術は強大な始祖には通用しないが、それでも知っている。
(燃燈道人などはさぞ気を揉んだろうね)
わざわざ口にしないが。
 
 
 
 
 
王奕の意図は解っている。
老子の存在は、彼にとって切り札なのだ。燃燈道人とはまた違った意味で。
神界の建設。最終決戦への助力。彼が燃燈に求めている役割は、直接的で、より積極的な計画への参加だ。
目立つ行動をしなければならない為、姿を隠し、影に回らなければならなかった。恐らく、彼の存在は計画の最後の最後まで伏されるだろう。『太公望』も、燃燈の生存を知らないようだった。
それとは逆に、老子は目に見える形で存在するが故に、行動を起こしてはならない。
三大仙人の筆頭。小さな動きが大きな波紋を呼ぶ立場。
あくまでも計画にとっては傍観者の立場を貫かなければならず、それでいて協力を求められている。
 
 
今までのところ、やや癪には感じつつも、彼の想定通りにことを進めている。
伏羲の能力を最も活かす、最終決戦になくてはならない武器である太極図を、他者の手には渡らないよう、計画のぎりぎりの瀬戸際まで保管した。
そして、あくまでも求めに応じたポーズを崩さずに持ち主に返却し、慣れるまでの修行に付き合い。
記憶を失っている彼に最低限の情報を与え。
歴史の重要人物となる少女を養育したのも。……これは、あながち計画の為だけとも言い切れないが。
女禍は、太上老君が封神計画に参加していることに気付いていないだろう。
燃燈とは全く違う、しかし王奕の描いた封神計画の影のサポーター。
今も老子は封神計画などどうでもいい。
それを見抜いていて、なおかつ思い通りに老子や他の存在をコントロールして計画を進めているのが、伏羲という存在の怖ろしいところであった。女禍以上にその支配の仕方は巧みで、どちらかというと彼女の配下である狐精にやり方は近いかもしれない。
自ら手を下さず、受け身の態度に見えるからこそ、思うままに他者を操ることが可能なのだ。
 
 
 
 
 
『何が可笑しい?』
現在の、幻影のような彼が不審そうに尋ねる。
誰よりも支配に長けている者が、よりによって万物の支配からの脱却を望むか。そのアンバランス。
「……そういえば、あなたに同じ台詞を言われたばかりだ」
『私に報復されても困る』
……本気で彼は、あの若い道士を他人と思い込みたいのかもしれない。話を合わせてやるべきかどうか。
他者をコントロールする影の導とも言うべき超越者。
『王奕』は死んだということにした方が、色々と各方面に都合が良いようだし。
楽屋で出番を待っているであろう者と、表舞台で彼の補佐となっている者。
物見高い弟子程の好奇心は持ち合わせていないが、少々意地の悪い気持ちで心中ほくそ笑む。
『……未練ついでに言っておこうか』
「未練?」
……未練?
 
 
 
『何故私が今の器を選んだと思う?』
選んだ、ということは『太公望』の存在に自らの意志が介在していると認めているのか。全くの他人だという認識でもないらしい。
「……さぁ?」
王奕は自らの手を伸ばした。何かを掴むような仕草。細い腕と無骨な手袋。こればかりは今も昔も似たような趣味である。
『そなた、話していたろう?子孫の誇り高い在り方を』
そういえば、そうだったかもしれないが。
『山を崇め、地を歩み、羊を飼って、自然と一体となって生きる。作為を棄てあるがままに任せた生き方を誇っていた』
我が愛しい子孫達のことを、そう評したことがある。自分が人間だった頃と比べて、確かに生活の大きな変化はあったが、基本的なところは変わらないと、今でも思う。
『同胞達とこの地球がひとつになって生きていることを実感した。
……私もこの星の一員になりたかったし、だから羌族になってみたかった。まあ、短い間だったが』
やや後悔を感じさせるその笑みは、王奕の外見をしているのに、何故か若い道士の持つ表情に酷似していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
「……ふーん……」
ややあって呟きを洩らした時、既に視界には何も存在しなかった。
暗闇。だが少し念じるだけで、そこは果てしない草原にも過去の風景にもなる。ここは現実ではないのだから。
「相変わらず、人を扱うのが上手いね……」
『彼』の姿で現れて。太公望は『彼』のことを知らないのだけれど。
自分程扱いにくい人材を(自覚はある)、いともたやすく踊らせてみせる。
「ひょっとしたら未練があったのは私だったりして……」
あまり考えたくない可能性。
失われてはいないはずで、そもそも興味もなければ関係もない超越者。
 
 
 
『そなた、この夢の意味を知っているのか?』
 
 
 
出逢った当初から、今に至るまで人の安眠を妨害してばかりいる。
現実になど何の興味もないのだ。自ずから世界は動き、人為の入る余地は、ない。
長い間夢の中を漂い、過去と未来を行き交い、実際は今が何時なのかしかとは判らぬ程。
……そう思い、養女と村を思い出す。
気が向けば立体映像で会話する。そして、こんこんと眠る体は草の上、羊と共に。
血縁なのか、養女と彼の今の姿はよく似ている。邑姜に彼の本当を教えるべきか、多少逡巡した。教えないことにする。
本当に、コントロールされている。
未練?
少し念じるだけで。『彼』の姿を見ることが出来る。……自分の心の中に居る姿。
そんなに逢いたかった?
 
 
 
 
 
呼び出された。
 
 
 
 
 
「老子」
「なんだい、邑姜?」
立体映像ながら、欠伸を噛み殺す。何をどう言い訳しようとも、眠いものは眠い。言い訳する気もないが。
見れば、養い子は上着を着て正装。手には剣が握られている。
「機は熟しました」
「ああ、いってらっしゃい」
娘を戦場に送り出すにしては、気のない言葉である。しかし、邑姜はふっと力強い笑みを浮かべた。
殷周革命もクライマックスを迎えつつある。
機を読むのに敏な彼女は、今から決戦の場へ赴くのだ。
羌の助力によって周に対し恩を売る為、そして革命の実行者である彼の道士の切り札となる為。
全ては計画通りである。
「村人も戦闘には参加しますので、留守の間羊達をよろしくお願いします。……もう帰らないかもしれませんけど」
多分、その通りになる未来を知っている。が。
「……うん、頑張っておいで」
青空を背に、しっかりと地に足をつけ其処に在る邑姜は美しかった。小さな体から生気が溢れているのを感じ、立体映像は目を細める。
「彼」が、太公望に対して抱く羨望もこれなのだろうか。ふと思った。
一礼すると、邑姜は従者に牽かせていた悍馬の手綱を取り、ひらりと馬上の人になる。
次々と礼を取る羌の戦士達をぼんやりと見送り、土煙に顔を顰め、気付けば草原に一人。
「……ま、いいか。ねむ………」
立体映像は消える。
土埃の去った広い草原には、不格好な怠惰スーツの固まりと、白い羊の群。
天にはひつじ雲。蒼い空をゆっくりと流れている。
平和な光景は、しかしまやかしではあった。暗闇に沈む老子も、充分承知している。
これから、歴史は転換点を迎える。
 
 
 
 
 
……彼の望みは叶うのだろうか。
夢も見ないような深い眠りへと向かいながら、そんな疑問に一瞬すれ違い、すぐに忘れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 




〈了〉
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……どこかで見たことがあるようなないような(汗)。
いつものあずさのパターンってトコでしょうか……。
牧野直前ですが、老子はひたすら寝てるので、動きが皆無。だらだらとつまらない話になったのは私の所為。
ああ、次はもっとマシなのを、と言っていたのに……(死)。

少し、燃王テイストでもありました。後日、アップ日時未定の燃王で、この辺の老子の嫌味の意味は解るかと(…本当だろうな)。
老子の気持ちは私にも解りませぬ(死)。燃燈を妙に気にしてはいますがなんなんでしょう……。

徳間書店発行、中国の思想シリーズの『老子・列子』を参考に、ところどころ老子思想の勝手解釈と歪曲化を行いました(最近そんなのばっか…)。
「玄のまた玄は、衆妙の門なり。」とか「天地すらなお久しきこと能わず。」とか「牝は常に静をもって牡に勝つ。」とか。
真面目に思想を学んでる方すみません。素人のやっていることだから許してください。っていうか、私の人間性が低俗だから、ちゃんとした解釈が出来ないのかもしれません……。


それでは、こんなモノまでお読みになってくださり、有り難うございました m(_ _)m

タイトル文字の一部(「夢」)は、こちらのダウンロード書体を使用させていただきました。