「強くなったなぁ、オメェは……」
上を見上げて、男は言った。
その声に、感嘆するような、しかし何かを惜しむような響きを感じ取った太公望は笑みを浮かべる。
武成王が言っているのは、タイ盆事件の時、彼に太公望が助けられた際を思い出してのことであろう。
混乱の中武成王の別宅に運ばれ、彼の叱咤によって己を取り戻すまでの数日間、何をして過ごしていたのか記憶がすっぽりと抜け落ちている。確かに、あの時自分は死んでいたのだと思う。
恐らく、あのような出来事が目の前で繰り返されたとしても、もう太公望は自失状態になることはないであろう。武成王が言う通り、そういう意味では太公望は強くなったと言えるのだろうし、また何かを失いもしたのだ。
それを惜しんでくれる優しさが、太公望には嬉しかった。
「聞仲にとっても、おぬしは良き友人であったのだろうな」
「よ、よせやい。おだてても何も出ねぇぜ」
「それはお互い様だのう」
頭を掻いて照れたように笑う。遙かに高い場所にある彼の頭を見上げて、太公望も微笑む。
何かあると山に登って考えたくなる太公望の居場所をどうやってか突き止めて、何度も武成王は岩の上、傍らに座って話し相手になろうとする。昔からの決まり事であるかのように。
よく考えれば短い付き合いをそうと感じさせない男が、元は殷の人間であったことをふとした瞬間に忘れそうになる。それだけの、周囲に溶け込む配慮を殷の将軍であった男は持っていた。
姫昌にせよ、この男にせよ、人間界に居ると、生きた年齢とその人間性の円熟味は比例しないことがよく判る。無為に永遠の命を生きる仙人よりも、彼らはずっと豊かだ。
巨きな体を見上げていると、自分の方がずっと年下であるような錯覚を覚える。
そして、それは聞仲も同じであっただろう。
以前対峙した際の、絶望に歪んだ貌を思い出す。今自分の傍らにある男が、どれだけ孤独な男の支えになっていたことか、想像するに難くない。
なんというか、……ままならない。
妲己が現れる前、殷は輝いていたのだろう。稀代の賢君が君臨し、両雄によって支えられた帝国には、一点の曇りも見当たらなかったに違いない。
武成王がその時のことを忘れられないのも当然かもしれない。
「オメェにとっても、周の為にとってもいけないことかもしんないけどな。俺はアイツを今でも友人だと思ってるんだ……」
だから、その姿は自然で潔い。
「おぬしはおぬしらしくあるのが一番だよ」
言外に、それを許容していることを伝える。察して、巨漢は照れ笑いのような、複雑な表情を浮かべた。
「………悪ィ。あの時俺は『甘えは許さねぇ』って、言った筈なのにな。テメェが甘ったれたトコ見せてどーすんだか」
「ここでの会話はオフレコだ。のうスープー?」
「そうっスよ!大丈夫っス!!」
四不象は、生来のお人好しさでもって精一杯気を引き立たせようとする。その微笑ましい姿に、武成王も一瞬懊悩を忘れた貌を見せた。これは、太公望には無理である。
ちらりと、まっさらの包帯を巻かれたかつての左腕を眺め遣る。
殷郊・殷郊兄弟の苦しみに比すれば、殷という国の断末魔の苦しみを鑑みれば、腕の一本など安いものであろうに、皆はそう思わないらしい。
太公望は、苦い笑みを刷く。
武成王も、かつて己の言った言葉を悔いているように見える。本当に、腕を呉れてやること位で霧散する罪悪感などあろうか。皆は勘違いをしている。
その点では、王太子封神に罪悪感を感じている武成王も思考を自らに引き寄せすぎて考えている。
「くくっ……」
「なんだ、気持ち悪イな」
「なに、情けなくしょぼくれている開国武成王の姿など、滅多に見れるもんではないて。貴重なモノを拝ませて貰ったのぅ」
「御主人!!」
四不象が咎めるような視線を寄越す。それにニヤニヤ笑いで受け止めると、怒りが一転、呆れた溜息に換わる。こうして、相棒は色々なことを受け入れてくれる。
「まぁなんだ。……ままならないモンだな」
最前の太公望の思考と同じ言葉を口にして、武成王は彼方に目を遣った。
つられるように太公望も、視線をそちらに向ける。
最初、太公望が見ていたのは西の空。
黄飛虎が眺めていたのは東。……待つ者の誰一人居ない彼の故郷。
「……ま、そんなにままならんもんでもなかろうよ」
あっけからんとした口調で呟いて、太公望は遠い空……、今も友の住んでいる第二の故郷のある方角へ目を向けた。
視界が、紅く染まっていた。
長年連れ添った霊獣が死ぬ前に感嘆していた、夕陽の所為であろうか。
……額から流れる血が、霞む視界をより阻んでいることを知っている聞仲だった。
もう痛覚も麻痺してしまった脚がふらつき、絶えきれず聞仲は地に膝を着いた。
太公望はそれ以上の攻撃を仕掛けてくることなく、力無く咳き込む自分を見守っている。
この敵の持つ高潔さこそが、聞仲をして最後まで太公望に対する憎しみを抱かせなかった、理由であるかもしれない。
何故か、二人の関係は甘えたものであった。お互いの生き方に共感を感じ、許容していたのだろう。しかし、太公望はそれを踏み越えて自分と対峙している。
甘えを捨てきれなかったこと、それが聞仲の敗因。
『このバカ野郎っ!!!』
しかし、それで良かったのだろう。結局全てを捨てることが出来なかった自分こそが真実自分らしい。あの男も、これならば笑って許してくれるだろう。
……彼女も。
無くした物を取り戻したくて始めた戦いで、それを捨てることなど初めから不可能だったのだ。
「飛虎が死んだ時……、気がついた……」
苦しい息の下、声が漏れる。
「私が取り戻したかったのは殷ではなく……、飛虎のいるかつての殷だったのだ……」
せめて、太公望にだけは話しておきたかった。これも甘えであるのだろうか。
「失った時が戻ると信じて……」
「聞仲………」
太公望が名を呼ぶ。ふと衝いて出たといった言葉からは、深い許容が感じられた。つくづく不思議な縁だと思う。
不倶戴天の敵同士でありながら、飛虎を通じて自分達はいつでも理解者だった。
「――太公望よ、人間界はおまえにやろう。おまえの言う『仙道のいない人間界』を作ってみるがいい」
さあ、これは自分に残された最後の務めだ。
「だが私はおまえの手にはかからない!」
もう力は残っていない。しかし、誇らしく、凛と立ち上がろう。それが、許された私の生き方なのだから。
ゆっくりと、後退する。その先には、口を開ける奈落の深淵。
見えない目で、それでも、真摯に自分を見守る視線を感じる。
「おまえともっと早く会っていたなら……、私ももっと違う道が見えていたのだろうな……」
今更詮無いことだが。
選択肢が幾らあったとしても、……きっと、自分はこの道を選んでいた。
聞仲は満足感の中、そう思う。
全てを失って、それでも。
これが私の生き方だ。
「さらばだ太公望!」
そうして、足を一歩踏み出す。後方へ。
――随分昔から、その男は旅が好きでした。
年を取り、家族も出来、課せられた責任を果たしている間も男は幸せでしたが、
しかし自由に憧れていました。
愛する者の死によって、男は故郷を離れましたが、
未知のものと出会えるその旅に、男の心は胸騒いでいたのです。
しかし。
男が旅に出掛けられるのは、
必ず待ってくる人が居たからなのです。
何処にいても、帰りを待つ視線を感じられたから。
男は寂しくなかったのです。
……もう、故郷は何処にもなかったとしても。
〈了〉
……ええと、そういうことで。(そそくさ)
!!!帰っちゃいかんですねっ(^^; い、…いえ、ねぇ?
5800ゲッター様、いつもお世話になっている桔京院祇音嬢のリクエストです。
お題は『飛虎×聞仲×太公望』。
………………。
すいません。相変わらず此処の管理人は『×』が何を意味する記号であるのか理解していない模様です……。
ぎゃあああ、済みませぬ〜〜〜〜〜っ(/>_<)/ †
手法としては結構楽しませて頂きました(言う程のモン使ってませんが)。
取り敢えず、視点は太公望→聞仲→飛虎、です。
今までは、原作のエピソード間に好き勝手な話を埋め込んでいく、といったものが多かったので。
今回のようにテキストをなぞりながらその行間を読んでいく書き方が、とても楽しかったし有意義でした。またこういう形式もやってみたいなぁ、なんて(言うだけタダ)。
原作(フジリュー封神)をじっくり読み返したりね。……やはり名作です。
タイトルは、大して意味なっしんぐ。
原作の、聞仲封神の回のタイトルが『老いたる象徴と風の分岐』だったから『風』の字を使用してる、ってくらいですか。、
それでは、祇園嬢。
期待していた(とすれば)モノと180°違うでしょうけど許しておくれ!!
私にはエロも甘々も無理なんですううぅぅぅぅぅ〜(T_T) ←しかも3人……ι