いちばん





――一体何がどうなってそうなるのか。





「好きです」

「………は?」

何の脈絡もない科白に、太公望は唖然とした。

腰掛けていた欄干を掴んでいた手が思わず滑り、仰向きに倒れ込みそうになる。

下は池だった。

近頃は随分暖かくなってきたとはいえ、水に浸かるのは寒いかもしれない。

数瞬の内に駆けめぐった心配は、しかし杞憂となる。

天地の反転した水面を弾いて、魚影が見えた。だけで。

しっかりとした手が腰に回されたかと思うと、仰け反っていた体が元に戻る。

そのままの力で、ぽすっという軽い音と共に布地に激突する。勿論池に落ちるよりは断然マシだが。

相手に助け起こされて、その腕の中に居ると太公望が自覚したのは、その後だった。

随分と動揺している。

「大丈夫ですか?」

「うむ」

反射的に頷いてから、そもそも何故こんな事態になったのか思い起こそうとする。

太公望自身が大半を整えた周の統治制度や官僚組織について説明していたような記憶があるのだが。それが何故。

……全く解らない。

ひとまず体を離そうとしたが、肩や腰に回された手は一向に力を緩める気配がない。

相手の心臓の音が、早鐘を打つのが聞こえる。

池に落ちかけたのは此方であって、力一杯しがみつかれるというのは、立場が逆ではないだろうか。大体体格が違うのだから、遠慮して貰わないと苦しいのだが。

ひとまず部下を落ち着かせるために背中に手を回して、数回叩く。すると……ますます強くしがみつかれる。逆効果。

この辺りで気付いた。

……ひょっとしてこれは傍目からは抱き合っているように見えるのでは?

マズイ。

白昼堂々男と抱き合っているところなど、他人に見られては妙な誤解を受けるし、何より未だに足が宙に浮いていて力が入らない辺り非常にマズイ。

――、そういえば、こやつは何か妙なことを言わなかったか?

ますますマズイ。

「……ええい!いい加減に離さんかっっ!!!」

前に押しては、反動で今度こそ後ろにひっくり返る。平手で、横っ面を思いっきりひっぱたいた。

非力とはいえ、これでも仙道の端くれ。的確なポイントをついた攻撃に、虚を衝かれた楊ゼンは回廊に倒れ込んだ。蒼い髪が翻る。

今度こそ両の足で地面を踏みしめた太公望は、恨めしそうな表情で睨み付けてくる男に冷ややかな視線を送る。途端相手の気勢が下がった……訳ではなかった。

落ち着きを取り戻したは良いが、何故か余裕綽々で笑顔を見せる。その辺の感情の動きが、全く理解出来ない。

「とにかく、師叔がご無事で良かったです」

「うむ。すまんな」

一応礼を述べると、随分と嬉しそうに、目を細めて微笑む。どちらかというと冷たさを感じさせる秀麗な顔立ちが、おやと思う程感じ良くなった。片頬が赤くなっているのはご愛敬と言ったところか。

不覚にも見とれてしまった隙に、頬に手が当てられた。そのまま、首を仰向かされる。

思ったより冷たくない、血の通った手である。

「それで、先程のお返事が聞きたいのですが」

「な、なんだ、その」

顔を覗き込まれる。紫水晶の瞳に、狼狽えた太公望の顔が映っている。

「僕はあなたをお慕いしています。宜しければ……付き合っていただけませんか?」

頭に血が上っている気がする。

仰け反った首が痛い。

紫の視線がから、目を離すことが出来なくて。

そのまま、顔がゆっくりと近づいてくるのを………え?

「〜〜〜〜〜っっ!!!!」

お互いの唇まであと数センチの距離、我に返った太公望は不埒な男を突き飛ばした。

「ダっっ、ダアホ!!!たわけたことを言うとる暇があったらきりきり働かんかい!!!!」

真っ赤な顔で怒鳴りつける。

そういえば、戦闘も頻繁には起こらないだろうから、政務の方も手伝わないかと打診していたのだった。それで具体的に説明していて……

何時の間に話がずれたのだろう。

……思い出せない。

顔を合わせづらい気がして、太公望は楊ゼンの反応も見ずに、踵を返した。

これからのことは、態勢を立て直してからである。本気かどうかは疑わしいが、万が一向こうがその気なら、餌をちらつかせて働かせるという手も存在する。




そんな、打算を表に出さず、あくまでも怒りをあらわにした様子で足音高く去っていく太公望の背中を見送るのは、不埒者。

「……結構脈ありかな……」

他人には見せられないようなゆるみまくった表情で去っていく人を眺める。

全く懲りていない。

多分に衝動的であったにせよ、楊ゼンにしてみれば必然的な告白であった。

「だって、小さく欠伸をするあなたが可愛らしすぎるのがいけないんですよ……」

目を閉じた、その様子にキスのおねだりを感じたと言っても。

太公望が聞いたら怒り狂いそうな理由である。

「ふふ、ふふふ………」

顔を真っ赤にした太公望の表情を頭の中でリプレイして悦に入る天才。

これで、太公望の純さを確信してしまっても仕方ないかもしれない。

一概に誤解と断言してしまうのもなんだが。……太公望の転んでもただでは起きない性格を失念していることだけは確かである。




とことんお互いの思考がすれ違っていることに、まだどちらも気付いていない。

一人にやける楊ゼンの長い髪を、木枯らしではない風が揺らしていった。

魚の跳ねる音がする。





全てはこれから。

革命も。恋も。



今はまだ、始まったばかりである。















<了>


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老子話に煮詰まって、気分転換にちょっと軽めの話を、と思ったら。
・・・内容ナッシング。
なんかずっとデキた後の楊太ばっかりだったので、偶にはどきどき告白編が書きたくなったのですねー・・・(汗)。
楊ゼンさん手ぇ早そう、とかこの二人の関係は心より体の方が先だろうな、とか考えると(←死刑)初々しくほのぼのしたのが書き難いです・・・。
ただ、いつもの嘘つきあいではなく、ナチュラルな関係ってやつを目指した努力だけは・・・っ(汗)

元々楊→太色の強いものしか書けないのに、最近逆の話を書く機会が多くてしんどいかも。(^^;
戦う師叔話もそっちなので、暫くは別口の物を優先させるかもしれません・・・。