に願いを
 
 
 
 
「わー!きれいだよね――、ナタク兄ちゃん!!」
歓声に、ナタクは暫く考え込むと、一つ頷いた。
 
満天の、としか言いようのない星空である。
 
「眠くはならないのか」
「ううん、折角の七夕なんだから!晴れて良かったよねー」
天祥は朗らかに笑うが。太乙真人が聞いたら、「キミも保護者が板に付いてきたよね――ぇ」などとニヤニヤ笑うのであろう。先刻もわざわざ玄関まで見送りに来て、「頑張ってくるんだよー」などと手を振り回していた、その様を思い出してナタクはやや不機嫌になる。
そういう太乙が、息子同然の弟子の成長ぶりを一種微笑ましい気持ちで見つめていることに、ナタクは当然気付いていない。名義上、蓬莱島でのナタクと天祥の保護者は太乙ということになっているが、太乙の完全な夜型生活と育ち盛りの天祥では、ライフサイクルが全く噛み合わない。道士、しかも宝貝人間であるナタクは基本的に睡眠をあまり必要としないが、それでも天祥に付き合って毎日夜九時には就寝する律儀さが、太乙に言わせれば「初々しい」ということになる。
今日も今日とて「七夕だから」と夜間外出をせがむ天祥に、嫌な顔一つ見せず同行してきている。折角の太乙の「天体望遠鏡貸そうか」の申し出をけんもほろろに断った以外は、非常に協力的だと言えた。
親の心子知らずとはいえ、「本当に大きくなったねぇ」などと自称『父』が感涙に噎んでいることを知ったとしても、ナタクは嫌な顔をするに違いなかったが。
「晴れたら何か良いことがあるのか?」
「雨が降ったら、おりひめさまとひこぼしさまが会えないんだよ。可哀相じゃない」
「そうか」
“おりひめ”と“ひこぼし”が何者なのか、知らない。雨が降ると何故二人が会えなくなるのか解らなかったが、その二人が会いたいのに会えないというのは確かに可哀相だと、ナタクは思う。
時々は、離れて暮らしている母親に会いたくなったりするから、その気持ちは理解出来るような気がする。
「それは可哀相だな」
「でも今年は大丈夫みたいだね!こぉーんなに晴れてるんだから!」
両手を広げてこぉーんなに、のゼスチャーをする天祥の満面の笑顔に、並んで腰を下ろしたナタクは不器用な笑みを返した。
 
 
 
「あ!」
夜空を、何かが横切った。
封神台へと向かう魂魄によく似たそれに反応して、天祥は弾かれたように顔を上げる。
すっくと立ち上がって、
「かえるかえるかえる!!!!」
力一杯叫んだ。
そのまま天祥はぜえぜえと肩で息をしていたが、無表情のままで自分の方を凝視しているナタクの視線に気付くと、含羞んだ笑みを見せる。
「あ、カエルが欲しいんじゃないよ?」
「……………」コクリ。
無言の頷き。実際問題、そもそも勘違いする者など居ないだろうということは、二人にとっては慮外の範疇である。
「何か欲しいのか?」
「ううん、そうじゃないよ。あのね、流れ星を見たらね、消えない内に三回お願い事を言えたらそれが叶うんだよ」
欲しい物があるなら何とか手に入れてこようと思ってナタクの発した問いは、否定される。『弟子にベタ甘』、崑崙究極の慣習は、ナタクの思考回路にも忍び寄っているらしい。
「流れ星か……」
魂魄の方が、よほど見慣れた光景だった。
「うん。成功のひけつはね、かんけつに短い単語で勢い良く!
たいこーぼーが教えてくれたんだ」
 
 
『モモ!モモ!モモ!!!……と、まあわしならこんなもんかのう?』
 
 
「そうか、あいつか……」
役にも立たない、ナタクにはよく解らないことをべらべらと喋る男だったから、太公望ならそんなことも知っているだろう。ただ、太公望と天祥がそんな会話を交わしていたという事実が意外だった。
――奴は魂魄でない星が流れるのを見たことがあったのか。
それが意外の感である。
あれでも太公望はナタクより何十年も長く生きていたし、未だに理由は解らないが、実はもっと長く生きていたらしい。
だが、ナタクの人生と呼んで差し支えない年月の内の大半を、強い奴やあまり強くなかった奴の魂魄を見て過ごしてきた。
だからか、太公望や他の奴らが、自分の知らない魂魄の飛ばない空を見て過ごした年月というものを実感出来ないのだ。
戦いの申し子であるナタクにとっては、平和な現在の方が世界としては異質である。……他の奴らにとっては、今の方が普通なのかもしれないが。
だから皆弱いし死んでいくんだ。そして、死んだ後も神だか何だか知らないが、へらへらとしている。……太公望は、ゴキブリのようにしぶとく死ななかったが。
「太公望か……」
「うん、早く帰ってきますようにってお願いしたんだ!みんな待ってるんだから!!」
ナタクの呟きを取り違えた天祥は、誇らしげに顔を輝かせた。これで彼が姿を現したら、願を掛けた天祥の功労ということになる、とその顔が語っている。
「たいこーぼーとはねぇ、周にいた時は七夕かざりとかも一緒に作ったんだよ!
ササを切ってきてね、かざりと一緒に短冊にお願い事を書いてつるしたら、おりひめさまたちが叶えてくれるんだって」
色々な方法で、願い事とやらはするらしい。
「『みんなでずっと一緒に暮らせますように』ってお願いしたんだけどなぁ……」
その願いは叶わなかった。
「だけど流れ星の方は絶対大丈夫だからね!今度はナタク兄ちゃんも何かお願いしなよ!!」
そう言われても、ナタクには願い事などない。例えば強くなるという望みは、実際に強い奴と戦ったり、太乙が強力な宝貝を造ったりすると叶えられるもので、星がどうにかする余地は存在しない。
「会いたいなぁ……」
だが、天祥にとってはそうではないらしい。確かに、太公望をこの場所へ連れてくる方法など、ナタクにも解らないが。
「でも僕が人間界に行った方が早いかなぁ?そしたら会えるかもしねないよねっ!」
 
「――人間界に行くのか?」
「うん、いっぱいいっぱい修行してナタク兄ちゃんみたいに強くなったら、周の国で王サマを助けて、おとーさんみたいなエライ人になってみんなを守るんだ!!」
今初めて聞く話に、ナタクは何と返そうかと迷い、
「…………そうか」
とだけ言う。
「僕がエライ人になってお仕事している間に、ナタク兄ちゃんは仙人になってね!そしたら今度は僕がここに戻ってきて兄ちゃんの弟子になるんだ。エライ人のお師匠さまだから、ナタク兄ちゃんはもっとエライ人になるね!!」
天祥は熱心に将来設計のプランを語る。しかし、ナタクは自分が仙人になった姿を想像することが出来ない。宝貝人間は仙人になれるのだろうか。
これからのことも、肉体と同じで、何も変化しないと思っていた。しかし、天祥などはこれから肉体も変化していくのだ。
ナタクには、成長という概念が解らない。あるとすれば、強くなることと弱くなること。
ふと、太公望ならどう言うだろうと考える。
またナタクにはよく解らない小難しい理屈を長々と喋るのだろうか。その話が理解出来たなら、解らなかった色々なことも解るようになるのかもしれない。だが、はぐらかすように、奴は何も言わないような気もする。
 
 
『でもまぁ、キミはキミらしい方がいいさ――』
 
 
いつだったか、別の奴がへらへら笑って言った言葉が甦った。あの二人は時々似たような目をして自分を見ているような気がする。……なんとなく神経が苛立った。
 
流れ星が、つい、と落ちる。
「コロスコロスコロス!!!」
「あー、駄目だよそんなのお願いしちゃあ――」
夜空に向けて今にも乾坤圏を発射しそうな勢いのナタクを、慌てて天祥は止める。
 
 
どうせなら、何も変わらない内に全ての願い事が叶えばいいのに、と思う。
 
 
 
 
 
――人でも神でもない星は、いつ願い事を叶えてくれるのだろうか。