太公望について。
☆概観
☆容姿
☆過去と現在
☆男関係(笑)
☆概観
崑崙山、元始天尊が一番弟子である将来有望な若手道士。同時に周を勝利に導いた天才軍師。外見と中身のギャップが甚だしく、酒と甘味を愛して日夜サボリに励むお子さまジジイ。……かと思いきや、実は宇宙人だったという衝撃の真実を見せてくださいました、我らがヒーロー

私にとっては
最愛の人であり理想の人。そして永遠に謎の人でもあります。

解ったような顔をして師叔視点の話とか書いてますが、絶対解っちゃいねえ。その分、必要以上に楊ゼンのことが解った気になるんですが(汗)、きっと「師叔に比べて」であって、実のところ誰のことも真には理解出来ないんでしょうねぇ……。

基本的にこの人は
「格好いい」人だと信じておりますが、どうもうっかり「可愛い」とか言いたくなります。そして、何故か私が書くと「母性の人」とか「悪女の深情け」とかそんな風に……(死)うぬう。

そして、私の師叔好きはもう
信仰の対象にまで達しています(笑)。

何通かのお便りで、「師叔が素敵」などと頂きましたが(本心か社交辞令かは知りませんけれど・苦笑)……まあ私にとっての理想像を師叔に託してるんで、(技術は兎も角)意図としては素敵でない師叔など書けないというか何というか。

欠点もある人
だというのは承知しています。仙界大戦とかタイ盆事件とか、失策がなかった訳じゃないし、あの極端な責任感は全てが自分の所為に帰結させる傲慢さ故でもありますし。意外と支配者タイプだとか。

ですが、そんな欠点がどうでも良くなるくらい、太公望という人のカリスマに心酔しています。それを含めて好きなんだ、というのとは微妙に違うのですが、師叔の全体的な魅力に比べたらそんなのは些細な傷にもならないというかんじで。

多分、師叔が現実に存在するとして、笑顔で「頼むぞ」なんて激励してくださったら、強盗でも神風特攻でもなんだってやっちゃうような気がします。優しい師叔はそんなこと頼まないっていうのは重々承知してますけど。

この辺で、私の師叔への愛というのは、楊ゼンの熱い想いに一部リンクするところがあります(笑)。の書く楊太その他は、全てこの愛が原動力にして根底。私≒楊ゼン、というのが一部の真実、かもしれません(苦笑)。



     
☆容姿
身長158p、体重43s……くらいが私のイメージです。下手したら体重はもっと無さそうですが、曲がりなりにでも男ですから(でなければ何だ)痩せていても骨の分の重さがある、と想定して。

外見年齢は14歳くらい
。12歳で加齢は止まっていそうでしたが、それだとあまりにも楊ゼンが犯罪者臭いので(笑)それはちょっと……遠慮したいところで。

声変わりはまだ
の方がいいなあ。成長期、とか変声期、とか全てそのぎりぎり直前で成長が停止したというイメージ。

の色は、原作では黒だったり茶だったり赤だったり色々ですが、個人的には黒髪希望。少なくとも、夜は黒髪でいて欲しいところです。

日中、太陽光線に透かしてみれば実は赤、というのは良いのですが。まあなんですか、血液の凝固した黒、ということで(厭な例えだな…)。
の色は、これもまた原作では色々でしたが、、というのが一応のイメージ。碧と言っても想定する色のイメージは各人によって違うような気もするのですが(苦笑)広辞苑では「@あおみどり色。ふかいあお色。」とあります。私のイメージは「あお
みどり」
の方。細かく言うと、緑がかった青色で明るく澄んでいるのに底が見えないような色。南洋の海、みたいな色でしょうか(むしろ温泉?)。
元々黒髪に緑の瞳、というのが幼児期の小公女セーラ以来個人的にツボだったりします(笑)。そういえば、アニメ版のカラーリングと同じではないですか。……ええ、外見はアニメ版師叔は私の理想でした……ちょっとアニメについてはまた別項で語りたいと思います……。

そして、肝心の容姿の美醜についてですが。

誰もが振り向く美少年……ではない
でしょうね、恐らく。悪くはないと思うので、銀英伝のヤン・ウェンリーじゃないですけど(笑「よく見ればハンサムと言えないこともない」の美少年版というかんじでは……。「よく見れば可愛い」程度。

あと、ビーナスを色仕掛けで誑し込んだ際も、武器は雰囲気とか演技とかだったところを見ると、普段は自分の外見の良さを悟らせないように間抜けな顔をわざと作っている…と思うのです。あの簡略顔とか「にょほほ〜」というのも地ではあると思うんですけど。

よって、魅力的な美少年の表情を造り上げようとすれば可能なのではないでしょうか。そして必要があればやったでしょう、師叔なら(笑)。

寝ている時も寝相が悪かったり鼾をかいたりしそうなので(汗)、師叔が一番美少年な時とは、意識を失って昏睡状態にある時、な気がします……。

本来の顔立ちで言うと、楊ゼンが完全無欠の万人ウケする美貌なら、師叔のはそれよりややきついめの、硬質な美貌。邑姜ちゃんがきつい感じの顔立ちでしたし。ですが、それを感じさせないような暖かみとか間抜けさ(涙)とかが滲み出していて、印象としては柔らかいイメージになっている、というかんじです。

以前「美しい人形」とか「端正で可憐」とか、自分でも鳥肌が立つような描写で師叔のこと書きましたが、元は良いと思うんですよね、師叔……。

あと、肌の色は物凄く白いと思いますよ!あの着込みようを考えれば!!色白で、目が大きくて、その他のパーツは小作りで、ええ、やっぱり可憐ですよねぇ……。睫毛の長さは悩むところですが、夢を見ても良いならば長めの方がいいなぁ……。

そして、よく考えれば先刻挙げた鳥肌描写。両方楊ゼン一人称……。奴の目が曇っている、という可能性も考えられてなかなかスリリングですな(笑)。



☆過去と現在
「性格」という欄も作ろうかと思いましたが、前述の通り私に深遠なる師叔の本心などは把握不能なので、勝手に妄想する過去などから、私なりに考える師叔の一端でも照射してみようかと、そういう試みです。こういう考え方も出来るぞ、とその程度(それを言っちゃあ全部だろ)。

取り敢えず私の中では、師叔の抱えているテーマとして「民族愛」「自分殺しへの罪悪感」「復讐心の昇華」…を意識しているのですが。

羌族
山岳信仰自然神崇拝かと思うのですよ、元々。それと仙人などの生老病死を脱却した不自然な存在とは概念的に相反するものではないかと。呂望少年は、羌族の頭領の御子息で一族に責任を持つ立場の人間で(この辺が後年の責任感を作る基礎になったのだと思いますが)。護るべき一族を失い、仇を取るという羌としての責任を果たす為に仙人界入りして、結果羌である資格を失ってしまったというパラドックスを抱えている存在が太公望なのでは、と思うのです。

それで、太公望として生きていく為に羌である自分を殺したと考えるも、思考パターンは相変わらず羌至上主義的で。特に下山したばかりの頃なんかは。申公豹の攻撃から護ったのも、陳桐の人狩りから助けたのも羌族ですし、姫昌にカリスマ見出したのも、羌を保護している現場を見たからですし。邑姜ちゃんも師叔を「羌族の人間」として見てますし、彼らの誇り強さとか結束の堅さとかが、太公望である人のにもなっている気がします。

最初、太公望が昇山した動機は、妲己憎しの一念のみだったでしょうね。理不尽な運命の象徴が、妲己という一人に集約される形で。その憎しみを正当化し、支えていたのがが残酷な支配者であることと、仙人が大きな力で人間界を好き勝手に操っている、という二つの要素。

それとは別に、一族の老人の末期の言葉である「世の中全体を変えなければ」というのがあって、年々そちらのウェイトが大きくなっていったと思うんです。「自分殺し」を事実として仮定するならば、「太公望」が生まれ存在する意義はここにある訳ですから。実際師叔が封神計画で歩んできた十数年は、これが根底にあっての行動ですよね、全て。

ですが、「世の中全体」という抽象的なものを相手にしていると憎しみの対象が拡散していくのでは、という懸念が。少なくとも殷の人間もある意味被害者ではあり、立場が変われば支配者・被支配者はすぐに逆転するということですから、「変えるべき世の中」とは、羌も殷も等しくあるべき世の中として理想を設定しなくてはならないじゃないですか。そして、やむを得ぬとはいえ既に太公望も仙人界の一員なんですよ。妲己だけじゃなくて初めは崑崙すら憎んでいたと思いますが、そこで暮らして色々顔見知りも出来て、第二の故郷としての愛も芽生えたと思うんですよね。基本的に目の前にいる人間(など)に悪意を抱きにくい性格の人のような気がしますし。その辺で妲己を憎む基盤が脆弱になってくる。

最終的には妲己のことも憎んでいなかったんじゃないでしょうかね。ただ変わらず、妲己が師叔にとっての現実の象徴とか心の拠り所であったのは疑いないと思いますけど。もう最後は「復讐」じゃなかったと思います。「倒す為に倒す」ようなかんじ。

また、世の中をどうやってどういう風に「変える」のか、という問題もありますよね。最初から師叔が深謀遠慮を持ってて目的の為に邁進してきた、とは考えにくいです。五里霧中の処を手探りで歩いて、結局「概念的・物理的な仙人界の人間界への不干渉を徹底」「周という中立民族による統治と政治体制改革」に辿り着いたのではないでしょうかねぇ。それには姫昌という個人によって得たインスピレーションなどもあって。

封神計画発動まで60年もの月日があったのですから、呂望の誓った当初のままでは当然ないですよね、心は。色々悩んで、大きく成長して、その結果身につけた包容力大度ですから、だからこそ師叔を形作る全てがかけがえないと思えるのです。



☆男関係(笑)
来ました本命項!(笑)ここからはもう更に妄想度アップでお送りいたします(笑)。オリジナルだと思っといてください…。

ええと、以前も書きましたが師叔って結構遊んでて、しかもちゃんと真剣な恋もしていそうです。

それだけなら普通の人ですが、私のイメージの度し難いところは、付き合った相手と好きになった相手が過去一度も合致したことがない、というところでしょうか(死)。

幸せな恋愛に縁がなさそうと以前書きましたが、関係した相手には全く好意を持っていなくて、寧ろ自分のことが好きということ自体が嫌悪を抱く理由になるような、そんなかんじです。自分が好きになった相手には完璧に片想いを通して、想いを伝えるという選択肢自体が存在しない。

実を言うと、私の中での師叔の
初めての人って、人狩りに来た殷の兵士Aに無理矢理とか、崑崙で優遇されているのを嫉妬した他の道士に暴行受けたとか、元始天尊によるセクハラ(爆)とか、なにしろロクなイメージ持っちゃいません(死)。これは初恋の人が初めての人だったら楊ゼン勝ち目ないじゃんという思いやりでもあるのですが、楊ゼンが初めてでも…嫌。なんか一生引きずりそうではないですかその相手。

と言う訳で、師叔には性関係のトラウマがあって欲しいのです(本当に師叔信者か私)。初めの頃は不本意な経験でも、流石に年齢上がってきて撃退方法も身につけたらそんなことはなくなりますよね。しかし何処かに不快感とか恐怖心が残っている、というのを希望です(苦笑)。それで、自由意志で付き合うようになってもその癖が抜けない。更に言うなら、本末転倒で気持ちよくなってしまう自分自身への嫌悪感も生まれてくるような。師叔はマゾっ気あると思いますし(死)、丁度前項で触れたみたいにもやもや自分の存在意義について悩んでる時期があったというのが私の持論なので、自罰的な衝動を満たす、自傷行為として、交際やその延長の大人の関係があった、という話。これは最後の方では既に相手がどうだとかは関係なくて、向こうが真剣に想って大切にしても、そのアタックとかが師叔にとってはイタイ行動だ、というかんじです。一夜限りの関係でも、一人の相手と暫く一緒に居ても、師叔の感覚ではどちらも完璧な遊び

さて、本命はどうよと言うと。これは結構反応が怖いのですが、ファーストラブ父上とか兄さまとか身内の者に淡ーぁく。で、セカンド玉鼎、サード姫昌。好みのタイプで言えば飛虎なんかも好みじゃないでしょうか。と…あくまでも私の個人設定ですので(^_^;; お怒りになられたらすぐに忘れてください…。っていうかみんな男なのか(死)。勿論本命とは付き合ったことないという設定です。好意持っている相手にホ○と思われて嫌われるのが怖い、というのはボーイズラブでもよくありますが、師叔の場合はそれ以前に、恋愛に付随してくるものに対して自分が嫌悪を持っているので、好きな相手をそれに巻き込みたくないという観念が働くということで。この場合嫌悪を持っているのは主に自分の周りで、その相手に妻がいようが男の恋人がいようが相手に対するマイナスにはならなく、まあ余計遠慮を加速させるだけのことで。

駄文で書くかどうか解らないのでもうここで書いちゃいますが、玉鼎は太乙と付き合ってるというMY設定ですがそれで太公望が太乙に遠慮したという形。それでもって太乙は太公望と関係していて(精神的には肉親的・同志的愛情)太乙の本命は別にいる、という腐った設定です(私が腐っているのだわ)。太公望が玉鼎譲渡を寝台の上で太乙に強請って、太乙がそれを一蹴。

普賢とはおともだち
。精神的にはかなり微妙でも、お互いのスタンスとして親友という立場を守り抜いたのでは、と。特に普賢などそれに満足してたかは別にして。


この辺で、楊ゼンの特異さをもって私は楊太人を堂々と名乗ろうと思います(笑)。いえ、本当に。

楊ゼンは師叔が初めて付き合った好きな人なのです。と断言。そんなもの私が勝手に決めてるだけですが、師叔にとっての楊ゼンの特別さを考えようと思ったらもうこれしか残されてませんでしたよ……。

好きな人とどうこう、はちょっと段階を踏むには精神的抵抗が大きいので、付き合ってて、気がついたら好きになってたパターン。しかもよくよく思い返してみたら、当初から好きだったのに自分が気付かないでいただけなのではないかという過去の記憶改竄パターンです(笑)。それにしても受け入れるのには抵抗感が。この辺の葛藤が楊太ラブを盛り上げるエッセンス〜♪(アホですか私…)楊ゼンって見るからに遊び向き、というのは言い過ぎですが、本気で迫ってくる奴に押し切られて「まぁいいか…」で、それを受け入れた理由好意、なのですよ。そのまま何事もなかったら仲間への純粋な好意だったのが、恋人という関係を結んでから変質しちゃう、と。

楊ゼンは手が早いこと請け合いですから(笑)交際当初からアダルティ路線だったと思うのですが(ええそりゃもう)、師叔の恐怖感はなくなった訳じゃなく、それを無理に抑えるかんじ。初めの遊びだと思ってた頃はその嫌悪感を享受してたのが、それを矯正しようと誰にも相談出来ず一人で意識改革を行おうと努力してまた悩んだりするようになって、その動機は楊ゼンへの「愛」なのです、なんて。

自分で言ってて恥ずかしくなって参りました……。

一度楊ゼンのみと決めてしまったら、もう一切浮気はしない人だと思います。色々遊んでたのは後天的な環境によってで、性格的には誠実潔癖でもあると思うので。その辺で色々楊ゼンに恋敵が現れても、基本的には安心。ただ、仲間としての愛情はもうみんなに対して持っていて、その量は世間的な恋人に対する好意を凌駕する程の愛だと思うので、その辺は微妙です…。ただ、恋人以外アウトオブ眼中には絶対なれない人で、それがまた魅力なのです。仲間で太公望に好意を持つ側もそれが解ってて、好意を失いたくないから変な真似は出来ないし、しかも諦めきれないような酷い状態(苦笑)。私の中では、主に姫発がこんなイメージ。普賢とかもこの部類に近いかもですねぇ…。姫発は、師叔にとってずっと子供で、守備範囲に入る直前に諦めきっちゃって邑姜ちゃん一筋に切り換えた、というイメージです。守備範囲に入っても、師叔はどうせ楊ゼン一筋ですから意味はないんですが。ただ、好みのタイプでいえば、楊ゼンよりむしろ姫発の方が好みに近いような気もするのですが……(汗)。何故よりによって楊ゼンなのか。楊太人の癖にかなり疑問に思ってます……(苦笑)。