「六太君は延王が王で無かったとしても、好きになっていたと思いますか?」
露台の卓に頬杖を付いて、唐突に陽子が尋ねる。
雲海を茜色に染める夕陽が真紅の髪に燃えるような陰影を映し出している。
この女王が隣国の宰輔を名で呼び掛ける時に有する響きは、敬意といった以上に幼気な少年の外見をした胎果への親愛に満ちていて、その柔らかさに正直悪い思いはしない。
「……王である云々以前に、あいつのコトなんか全然好きじゃないんだけどさー?」
自国の麒麟との関係に悩んでいるか、甘い言葉を囁き掛ける男でも出現したか。その思惟に至った事情までは知らないが、若さ故の苦悩は他者の意見に拘らず自力で結論を見出だしていくべきものだろう、と幾ばくかの懐かしさをもって六太は思う。
意地悪く回答を逃げれば、やや不満そうな表情で若き女王は緑茶の碗を啜った。
十二国では緑茶の品種は其れ程一般的でないが、延など数国では比較的よく喫まれている。彼女は本来なら紅茶を好んでいるらしいが、生憎と此方の世界では殆ど入手出来ない。
「ずるい」
「年を取ると狡猾になるもんさ」
笑い混じりに言えば、唇を尖らせた少女はぱちくりと瞬きした。少年めいた凛々しさがあどけない風情に紛れ、矢っ張り女の子はいいなぁと心中で独白するけれど、主と違い柄ではないので口に出したりなどしない。
王でなければ、と幾度希ったとしても、故国で邂逅した男が六太にとって王以外の何物でも無かったからこそ、苦しむまでに惹れた。
麒麟の本性は少女の柔らかな心を傷付けるような気がして、話すことは到底出来ない。
■ □■ 綢 繆 ■ □ ■
宰輔としての己の行状も決して誉められたものではないが、それでも頭が痛くなるのは致し方ない。
朝議が終わってより夕餉も近い今し方も、府庫に入り込んだまま御物の匣を漁っては散らかし放題している。
下士の一人が涙混じりに注進すれば、昏君を叱れるのは自分しかいない、呆れつつも重い腰を上げた。
「何やってんだよ、馬鹿」
「何だお前か」
放っておくと碌なことをしないと一部では評判の玄英宮の主は悪怯れた風も無く、ひたすらに御物の中から女物の簪を取り出しては矯す眇めつして再び匣に戻す。無造作に床の上へ放り出した其れを、御物の管理を担当する司裘徒たちが慌てて丁寧な手つきで元の場所に仕舞い直す、過程を先程から繰り返している。
金銭に替えられる貴重品は多くを国の草創期に他国へ売り飛ばしたし、献上するにも公主も妃もいない雁州国では女物の装飾品は数が少ない。が、五百年に渡って富貴を極める国の、元から広い府庫に眠る逸品はそれなりに一昼夜では網羅出来ない程度に蓄えられては、いる。
「氾王に影響されて女装にでも目覚めたのか?」
「馬鹿を言え」
嫌味混じりの六太に目を向けるでなく、尚隆は珊瑚に繊細な彫刻を施した簪を手で捏ねくり回し、溜息を吐いて内側の布張りされた匣に納めた。
「馴染みの妓女が今度落籍されるというんでな、何か祝いを贈ろうかと思ったんだが」
「……だっせーの、振られたのかよ」
呆れ果てはしたが、身分隠しての妓館通いを止めない尚隆らしい事情だと六太は深く納得して肩を竦める。
「彼方も商売だからな、例え俺に惚れていてもどう仕様も無いのさ」
どこまで本音か推し量れぬ態度で負け惜しみを言う。贈り物一つで大騒ぎするのだから、きっとある程度は惚れていただろうに。
「金銭で愛情を売り買いするから裏切られるんだ」
其れが妙に面白くなくて、六太の声は尖りを帯びる。
本当に好き合うた相手なら、例えば落籍する相手以上の金を払えば自分の物に出来ように、あくまでも身分を明らかにしたくないのか其れをしない。六太の眼には惰弱で卑怯な態度に映る。
「王じゃなくても尚隆を好きになってくれる女を探すんなら、妓館なんかに行かずに街で困ってる娘さん助けるとかさ、他に無いのかよ」
「そうそう都合良い出逢いが転がってもおらんでな」
此方へは背を向けていたが、尚隆の声音からすると苦笑しているようだった。人の恋情を解しない自分の言い様が幼いのは充分承知していたが、哂われて平静でいられもしない。誰の為を思って、という気もある。
「あんだけサボって城下をうろついてて、今迄そういう相手はいなかったのかよ。仙に上げて後宮に入れたい女」
自分でも難癖を付ける調子になっているのは自覚出来たが、言い募る内に後へは退けなくなっている。
ああ何でこんな馬鹿相手にむきになってんだ俺。
「……王でない俺に惚れるというのも有難い話だが」
顔を上げた六太の主の表情は、腹が立つ程に平静で真剣に見えた。
「俺の方が、寿命の無い相手と思って愛せる自信が無いな」
何に傷付いたか自分でも理解せぬまま、六太はその場から踵を返した。
「……………」
王と宰輔が口論する風景には慣らされている玄英宮の有能官吏集団は、立ち去った麒麟の後を二三人が追った他は引き続き己の責務、この場合は府庫の後片付け、を続行した。
尚隆と言えば永い付き合いの半身を追う積もりも無さ気に、首を捻りつつ後頭部を掻いて、それきりである。
司裘徒たちの仕事に、汚い手に触れられた装飾品を丁寧に拭う作業が加わった。
「ん、こんな感じか」
程なく意に添う品を見付けた王は、銀台の花弁に孔雀藍の石を填め込んだその比較的地味な簪を使ってひらひらと、この場に待機していた責任者の司裘中士を招き寄せた。
「範に使いして、此れに似た品を取り寄せるよう手配してくれ。全く同じである必要は無いから、一から作るより多少違った物でも早い方が良い」
ぽんと手渡された女性官吏は、御物を押し戴いて拝命しながら、困惑を抑えられず確認を取った。
「あの、……この品を差し上げるのでなく?」
「宮にあるのはあれから預かった物だからな。私用で勝手に処分する訳にもいかん」
言って、一つ欠伸した。
丸一日の王務ボイコットを完遂し、今といえば陽もとうに暮れそろそろ夕餉の刻限だった。
口調から何から、何処のロイエド書いてるんだと自分でも思いました(死)。書き分け?ナニそれ食べ物ですか??
『詩経』の綢繆、序によれば晋の国が乱れ婚姻の時機を逸しているのを誹謗する内容だということで逆説的な題を狙った筈が、現代訳の本を見れば単なる新婚カップルが青姦出逢ってるだけだったりして、ちょっとハズした感は否めない……。
ちなみに「綢繆」単体だと絡み合うの意なので、厭なかんじに直球です(死)。