(――なんてこった!)
 
 ホビットが勇敢な種族であるところを先日我が身を以て証明した英雄メリアドク・ブランディバックは、辛うじて嘆息を口からパイプ草の煙の代わりに吐き出さずに済んだ。……大いに天を振り仰いだのは、せめてもの心情吐露であったのだが。
 彼の従弟はそんなメリーの気も知らず、寝台の端に腰掛けてぷらぷらと足を遊ばせつつ、器用にナイフで林檎の皮を剥いている。
 最初の内、療病院の看護人達は一見不器用そうな幼子と映るピピンが刃物を扱うのに難色を示したが、ふっくりとしたホビットの手はこれで案外繊細に動くものなのだった。とはいえ大抵の場合、食欲旺盛な彼らは林檎を食すに皮を剥くなどという余計な手間を掛けることは滅多になく、現在の珍しい光景は利き手の不自由なメリーに果実を味わせてやろうというピピンの親切によるものである。
 
(なら、良かったんだけど)
 
 再びの嘆息は堪える間もなく漏れ出でてしまったが、手元と同じ程に忙しなく口を動かしているピピンには全く気取られた様子はなかった。余計に切ない。
「この前は兎型に切ってお出ししたんだよ、バンクス家のおかみさんが子供達に振る舞ってくれるようにね!そしたらファラミア様、こんな心尽くしのお八つに初めて出会ったって――」
 嬉しそうに捲し立てるピピンは、メリーの目には見慣れぬ黒い装束を纏っていた。ミナス・ティリスの象徴たる白の木を縫い取った銀糸が、彼の身動きする度にきらきらと自己の存在を主張するようで、苛々とメリーの癇に障る。早い話がメリーはゴンドールの次期執政への献身の、いわば実験台として数々の恩恵に浴している次第なのであった。
「こう、耳の部分を抓めば、指が果汁で汚れることもないしね。僕みたいに可愛いから食べるのが勿体ないなんて仰るんだよ、困っちゃうよね」
 一難去って又一難。古い慣用句がメリーの脳裏に浮かんだ。懲りない従弟は、初恋の人に面差しの似た悲劇の青年に、ころりと参ってしまったらしい。
 先日までの半死人は、散歩の序でに傷心のエオウィン姫を目で追い、尚かつ城の小姓に流し目を送る程度には回復しているらしい。重畳なことと言うべきか、其程舌が動くなら看護は必要ないように思われる。
 
(僕の場合、名誉の負傷で手が動かないっていう立派な事情があるってのにさ)
 大半の男性がそうであるように、メリーとしても憎からず思う相手が嬉々として他の男の話をするのに寛大な気分でいられるものではないのだった。当初は全く感覚の無かった右腕もあの素晴らしいアセラスの効能のお陰で、すっかりとは言わないまでも大方不自由なく動かせるようになっていたのだが、それでもメリーの意地は自分だけが特別扱いされるべきと信じて疑わない。まあ偉大なフロドに対してだけは、謙譲の念を抱くに吝かではないが。
「あーん」
 ピピンの独白を遮って、林檎の欠片を口元まで運ぶよう無言で要求する。
「はい、あーん」
 くすぐったそうな顔で身を乗り出し、一片抓んでピピンは差し出す。メリーはそれを指ごと口に含み、舌先で一舐めしてからおもむろに解放した。
 それは確かに甘い林檎だった。古い物でない証拠に瑞々しい汁気が口内を滑らかに浸した。欠片を眺めてみれば、蜜が閉じ込められた部分は琥珀のように半透明となって輝きを見せている。
 モルドールの侵攻で疲弊していたミナス・ティリスに此程の良物が蓄えられていたとは思えない、王の帰還を祝って何処からか贈られた物かもしれない。それが易々と小さきホビットの口に入るのは、安物の果実を投げ付けるのと同じ、友である野伏王の好意なのだろう。
 メリーの食してきた中でも一、二を争う美味であるには違いなかったが、何故か彼の意識には全ての発端、ビルボの誕生日パーティーで囓った林檎の味が広がっていた。あれは彼の舌には酸味が過ぎたが、記憶の味覚では彼程に美味な物もそうはなかった。
「うん、流石においしいね」
「……もう!」
 さっとピピンは指を仕舞うと、もう一方の手で護るように包み込んだ。その視線は怨じるようで、しかし頬が林檎のように真っ赤に染まっている。
「それにこっちも美味そうだ」
 従弟の拗ねた素振りを無視して、細い首を引き寄せる。案外にあっさりと転がり込んできた赤い頬を、ぞろりと舐め上げた。
「紅くて瑞々しい」
「乙女の黄金色の蜜には敵わないけどね」
 擽ったそうに肩を竦め、ピピンは目だけは笑わずそれを受けた。
「……知ってるんだ」
「まあね」
 微笑と苦笑の中間の表情は、今まで可愛いピップの顔から見出したことのない種類のもので、目を閉じたピピンは小鳥が啄むように小さく、メリーの鼻頭に口付けた。
「僕だって身の程くらいは弁える頭を持ってるんだよ」
「てっきり空なんだと思ってた」
 幼いと思っていた従弟が意外に醒めている様子なのに、少々驚かされた。以前も彼程やきもきする必要はなかったかもしれない。嫉妬混じりに焚き付けた自分の言動が哀れなボロミアを追い詰めた一端であったかもしれないことを考えると、メリーは故人に申し訳なく思ってしまう。
「なんだって?ああ、僕の従兄はなんて思いやりがないんだろう!」
 大仰に憤慨するピピンを宥める為、今度は家族のような口付けを頬に贈った。
「大きい人はどう思うか知らないけど、僕にはホビット庄の林檎が一番なんだけどね」
「へぇ」
 機嫌を直したピピンは、にっこりと笑う。
「じゃあ、トゥック郷は大スミアル産の新鮮な果実を食する機会を君に与えようか、メリー」
「喜んで」
 感情の昂ぶりに内心くらくらしていることを気取られぬよう気軽を装い頷けば、ピピンはあっさり寝台から飛び降りて床の上に着地した。
「じゃあ、僕は傷心のファラミア様をお慰めに行って来るよ」
 駆け引きのつもりかそんな事を言いつつ、剥いた後の皮を集めるとナイフごと袋に押し込んで手にぶら下げた。
「じゃあ、今夜」
 苦笑するメリーに片目を瞑ると、ピピンは跳ねるような足取りで部屋から去った。
 病室内には、甘い薫りだけが漂っている。
 
 
 
 
 
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……あー、なんですか、物凄い自分設定爆発というか、……ごめんなさい。
メリピピ(?)三部作の予定で、真ん中部分です。だってここが一番書きたかったんだもん。これさえ書ければあとはいいやー(暴言)。
他の指輪キャラもカップリング判別不能な程にぐちゃぐちゃした人間(?)関係てんこ盛りの気分。信念カポーとか絶対見たくない配合とかお持ちの方が殆どでしょうし、随分不親切だよねとも思うのですが、管理人がそーゆー錯綜した関係が好きなんですよね。へこへこ。どのジャンル書いても盲目的ラブラブカポーなんかいやしない。

映画版ホビッツって隠し味ではニンジンだけど、寧ろ表出してる部分では林檎だよなあ、などと思いつつ。
第三部がメリピピ過ぎたのがいけないのです(責任転嫁)。おいらは
ボロピピが本命の筈なのに!(どっちにしろマイナー…)
あ、バンクス家はピピンの母方の実家(どうでもいい)。ピピンの父とメリーの母が兄妹なので、こちらはメリーと直接血縁ありませんが。