可愛いエラノールは友達の家に泊まりに出掛け、久々にロージーはゆっくりと買い物を楽しむことが出来ました。
しかし、彼女が帰宅してみれば、居間の毛布に寝かせていた下の子の姿が見えません。
起き出してどこかへ行ってしまったのかもしれないと周囲を見回しましたが、一人で立ち上がることも出来ない乳児が自力でそんなに遠くまで移動出来るものでしょうか。ことりとも音を立てない居間の様子に、ロージーの心中では暗雲の広がるように不安が押し寄せました。
小さい子供の暮らす家の例に漏れず、触って危険な物はなるべく床の上に置かないようにしていますが、目の届かない場所も少なからず存在します。放置されたペン先が刺さったりインクを飲んだりしていないかと考えると(この場合置き去りにした犯人は一人です)、母親は発狂しそうになりました。
「フロドー、フロド!」
ロージーが息子の名を呼びぱたぱたと家中を走り回っていると、
「何だいロージー?」
さあっと謎の光が射し、彼女は眩しさに目を細めることになりました(ガラドリエル・ライト効果)。
家内唯一の魔の箇所、書斎の扉が開いて大きい方のフロドが顔を出したのです。
「いえ、旦那様ではなく息子の方の…」
夫の雇い主であり袋小路屋敷の所有者でもあるフロド・バギンズに、未だ馴染みきらないロージーはどきまぎと答えました。内心では紛らわしい命名を行ったサムに山程悪態を吐いているのですが。
「ああ、そうなんだ」
少し顎を引き気味に、ホビットらしからぬ美貌の中年は背後に花やら星やら背負いながらアルカイック・スマイルを浮かべます。何食ったらそんな面が出来るんだと、ロージーは妬ましく思いながら先刻買ってきた食材を脳裏に反芻しました。
「彼なら僕の部屋にいるけど」
「……えっ?」
なんと、よりによって!思考の所為で一歩遅れた反応を返しながら、ロージーは仰天しました。息子は無事かと、ドアと体の隙間から室内を覗き込めば、生後八ヶ月のフロドは揺り椅子の上ですやすやと安らかな寝息をたてていました。
「しばらく一緒に遊んでいたんだけど、今は僕の膝掛けによだれを垂らしてるよ」
「どうも済みません」
言葉に混じる微かな棘の気配を察知して、ロージーが恐縮して頭を下げれば、
「いや、サムの息子だと思うと僕にも可愛いから」
サム、の部分に妙なアクセントを付けて、息子と同名の佳人は言いました。
その心なし勝ち誇った邪悪な表情すら美しいのです。ロージーとしては詐欺ではないかと思います。
「小さいフロドはしばらく僕が預かっておくよ」
ロージーが圧倒されるやら激怒するやら目まぐるしく顔色を変えるのを後目に、無情にもドアは再度閉められました。
「あっ…あたしの息子よーーーっ!!」
ドアの前で絶叫したロージーは、後ほどサムにチクられて「旦那はお加減がよろしくないだよ」たっぷり叱られる羽目に陥るのです。
これは思いっきり嘘なのですがね。
サムとロージーの長男の名前はマジでフロドなのですが、映画ではフロドの出港時小フロドは生まれてるけどサム一家は袋小路とは別に暮らしてるようでした。
で、原作ではフロドの出航した翌年の1423年に小フロドは生まれてるのです。
その辺勝手に混ぜて、同じ家に同名のホビットが二人も暮らしてたら紛らわしいなあ、と。
そしてフロドが去った後ロージーは、姑を追い出した鬼嫁としてご近所の噂話になるのです、きっと。