「劉禅様には誰か心に決めた方がいらっしゃるのでしょうか!?……いえ、あの……唐突でした……」
納屋の近くで遊んでいた雀が数羽、大声に驚いてばたばたと騒がしく飛び立っていくのを劉禅は横目で見送った。今日も良い日和である。
これを言い出したのが他の者、例えば費や董允などのお目付け役達なら正妃がどうの世継ぎがどうのという話をし始めるだろうし、馬岱や関索といった比較的気安い面々なら星彩との関係に探りを入れようとしているのだと推測出来るが、相手は他でもない耳まで真っ赤にした姜維だ。可哀想なくらい狼狽して、ぼんやりと彼を見上げる劉禅の視線から逃れるように顔を背け、ついには片手で覆い隠してしまう。
……同じ仕草(ポーズ)を賈充殿がするとどうしようもなく邪気眼めいた風情となるだろうに、姜維がやると可愛いばかりである。これも一種の人徳と言うのだろうか、それとも自分より上背のある武人を可愛いと評してしまう審美眼の方にこそ問題があるのか。
汚れた手で顔に触れるのはあまり衛生的でない気がするが、外してやろうにも劉禅の手とて爪の間まですっかり泥塗れである。現在は農場担当に任じられた劉禅が水遣りと草毟りを行っていたところ、たまたま通り掛かった姜維が勢い込んで手伝いを買って出た……将星モードに手伝いコマンドは実装されていないが、概ねそのような状況だと思って頂きたい。
劉禅は劉玄徳の志を継ぐべき者だが現在この城市の領主ではなく、様々な立場の者が出入りするここでは外と違い、厳密な身分はあまり重視されていない。姜維がうっかり口を滑らせたのは、この城市独特の自由な空気に触発された故かもしれない。
「……すいません、忘れてください」
ぼんやりしたまま返事一つ寄越さない劉禅の反応を言外の拒絶と受け取ったのか、声に落胆を滲ませた姜維はなおも顔を背けたまま、ぎくしゃくとした動きで腰を浮かせた。今にも逃げ出しそうな雰囲気を感じた劉禅は目の前に垂れ下がる飾り紐を咄嗟に握って引き留めつつ、口の方も慌てて動かす。考えるのに忙しかっただけで姜維を傷付ける意図はなかったのだが上手くいかないものだ。これだから暗愚に真っ当な人付き合いは難しい。
「姜維、少し待って欲しい」
「はっ……はい!」
幸いなことに、姜維は大人しく従ってくれた。不器用な上に、何事にも言い出したら聞かないところのある頑固者だが、劉禅に対しての対応はその限りではない。
「姜維はどうなのだ?」
「はい……、はい!?」
一旦は促されるままその場にしゃがんでくれた姜維だが、覗き込むように見上げればびくりと大袈裟に反応される。彼にとっては両者の顔の距離が近すぎたのか、勢い良く仰け反ったかと思えば、そのまま歴戦の武人らしからぬ不注意さでどさりと尻餅をつく。滑稽な姿に吹き出してしまいそうになるのを堪え、劉禅は笑っているのか無表情なのか判別出来ないと言われる、常ながらの曖昧な微笑を顔に貼り付けつつ相手に向き合った。
「私の想い人の有無を告げるのは構わないが、姜維も同じように意中の人を教えてくれなければ不公平だろう」
「わっ、わわ、私っ!ですか!?」
「それとも私などには言いたくないか?」
「滅相もありませんっ!!」
「そうか、それなら良かった」
反射のような速度で返答しつつも、姜維は座り込んだままぐるぐると百面相を続けている。自分の意が伝わっていなかったことへの安堵と落胆、どの道これからはっきり告げなくてはならなくなったことへの焦りと羞恥で、今の姜維は大混乱の状態なのだろう。この様子だとうっかり身を捩った拍子に畑の畝を破壊してしまいそうで、見守る側も心配になってくる。
勿論、冒頭の姜維の問いが自分への告白も同然であったことを劉禅は承知している。にも関わらず敢えて言を重ねさせようとするのは、狼狽する姜維の反応を見るのが面白いからだが。
それだけではなく、……はっきり言質を取らなければ不安、という意識があるのかもしれない。
「まずは姜維からだぞ」
「あー…、えぇー……」
身分違いはこの際問題ではないと思っている。その逆で、劉禅は身分や立場を抜きにしてなお自分が姜維からの思慕を向けられるに足る人間なのか疑っている。
以前に町を散策していて、たまたま姜維が領主と雑談を交わしているところに遭遇したことがある。
――ただ安穏とした暮らしを求めるべきではない。
姜維は劉禅の本心を知らないので、その言葉は直接劉禅を非難したものではない。劉禅が領主に膝を屈したことでこれ以上自分が矢面に立たずに済むと安堵したことも、大義に殉じるあまり己を大切にしない姜維の生き方をずっと苦々しく思ってきたことも、当然知られてはいないだろう。
だが、劉禅は二人を隔てる意識の断絶に思いを馳せずにはいられなかったし、恐ろしくもなった。
姜維がまるで女神のように崇めているのは実体のない劉禅の虚像である。愛する人々が穏やかに暮らしていけるならそれで良い、そのような考えは、姜維にとっては唾棄すべき小人の生き方である。
いずれ敬愛する主の本性を知った姜維は、忠誠も、愛情すら無くして冷たい侮蔑の眼差しを劉禅に向けるようになるのではないか。幸か不幸か、忠誠の代替は既に現れた。そう遠からず恐れていた日が来そうな気もする。
それまでに言質を取って縛り付けておけば、生真面目な姜維は簡単に態度を翻したり出来なくなるかもしれない。……だが、いずれ離れていくことが解りきった心なら、そもそも想いを通わせること自体が不毛ではないか?
先程は面白半分に引き留めてしまったが、姜維が逃げるというならそのまま今の一時をなかったことにしてしまった方が、お互いにとって良いのかもしれない。自分のために思い悩んでくれた可愛く健気な姿を、記念に覚えておくことにして。
「……どうやらそなたを困らせてしまったようだな」
目線を外してやり、農作業に戻ることにした。話の流れが変わったことに気付けは、姜維も席を外すなり話題を変えるなりしやすいだろう。
「劉禅様、それは雑草ではなく大根の葉です……」
「おや」
今まさに劉禅が葉を毟り取ろうとしていた、その手首を軽く掴んで制された。さて言われてみればそのような気もするが、野菜といえば調理されて器に盛られたものしか知らない劉禅にとって雑草と農作物を見分けるのは酷く困難だ。姜維が来てくれるまでにも、いくつか駄目にした作物があるかもしれない、申し訳のないことだ。
「おかげで助かったぞ。ありがとう」
折角目線を逸らしてやっていたのに、礼を述べるのに合わせてついそちらを見てしまった。姜維は主君の暴挙を止めようとした際に冷静さを取り戻したらしく、もう赤面していない。穏やかな表情で劉禅を見下ろしていたが、眉を寄せたその顔はどこか苦し気にも見えた。
「あなたは、……だから私は心配で目が離せないのです、劉禅様」
握られたままの手首に力を籠められ、その痺れが伝染でもしたかのように胸まで苦しくなってくる。劉禅と同じ痛みを感じているかのように、姜維もますます苦しそうな顔をしている。
「あなたを、お慕いしております」
「……そうか」
「はい」
姜維の前向きさを見誤っていただろうか。この場では下手に考える余裕を与えない方が良かったのかもしれない。益体もない後悔を内心で玩びつつ、劉禅は確かな幸せを感じている自分を恥じる。
「私もそなたを好いている」
「本当ですか!?」
真っ直ぐな喜びに満ちた声が降り注ぎ、手を引かれたと思った次の瞬間には劉禅の体は伸ばされた腕に抱きすくめられていた。目眩でも起きたかのように頭がくらくらする。劉禅が振り回しているようで、本当に相手を翻弄しているのはいつも姜維の方なのだ。
頬に押し付けられた戦袍からは、湿った土と青臭い草の汁の匂いがする。血臭ではなく薫香の匂いでもなく、自分達が健やかな生活の匂いを纏っていることが得難い奇跡のように感じられた。
きっと姜維は気付いていないのだろう。ここは農場で、近くでは姜維の大声を耳にした農夫達が先程からちらちらと好奇の目でこちらを見ているし、作業の手を一時止めて微笑ましそうに自分達の抱き合う姿を眺めている者もいる。自分の元々芳しくない評判など今更どうでもいいが、姜維の方は後で恥ずかしい思いをするのではないだろうか。
木製の大きな水車はゆったりと回り、その先の川面は陽の光を浴びてきらきらと輝いていて、対岸では八割方出来上がった銅雀台が霞みがかった姿をぼんやりと現し、平和な時代の訪れを今か今かと待ちわびている。
このままずっと、何もかもが上手くいきそうな、そんな予感のする春の昼下がりだった。
将星モードの告白台詞に萌えすぎた結果の産廃。ゲーム中のフレーズ引用するのがとても楽しゅうございました。
でも将星モードの世界観ってマジでどうなってるんでしょうね。