「いい加減こっちを向いたら如何です、沢田綱吉」
言い募る口調に明らかな嘆息を織り混ぜても、鳥の巣に似た頭を動かしもせず、部屋の主は客人を完璧に無視するつもりのようだった。嫌われているのは承知の上なので、甘ったるい声を出して呼ばわるのも一種の嫌がらせだ。
同じ外見、肉体をしていても、沢田綱吉はクロームに対して紳士的に振る舞っている。完璧にフリをしていても、骸が意識の表層に出ている時は必ず察知して邪険にするのだから、彼の超直感とやらもなかなか侮れない。
仮にも客が来ているというのに、おざなりに麦茶の入ったグラスを用意したきり、沢田綱吉は先程からテレビゲームに熱中していた。
骸とてマフィアと馴れ合うなど本意ではないが、あまりに頑なな背中は見ていて面白い。わざと擦り寄っていったり、クロームの年齢の割に豊かな胸を貧弱な沢田綱吉の背中に押し当てたりして、その度に驚いたように肩が跳ね上がるのを愉しんでいる。無視を決め込んでいてもその実、骸の存在をかなり意識してしまっている仮初めの主人。
「……ニフラム、ニフラム!」
早口に、沢田綱吉が呪文のような言葉を呻いた。意味は解らないが、ゲーム中の魔法か何かだろう。興味などなかったが、骸は惰性で小さな背中からゲーム画面へと視線を移し、しかしそんな呪文など表示されていないのを訝しく思った。見れば、沢田綱吉は落胆したように肩を落としている。
「ねえ、ボスぅ……」
「〜〜ッ!似てない髑髏の真似すんな!キモイ!!」
散々挑発したのが効いたのか、やっとコントローラを投げ出した沢田綱吉は骸へと向き直った。険しく吊り上がった眦は、想像以上だったかもしれない至近の距離や骸の浮かべる薄笑いに気圧されたか、すぐに怯えの滲んだそれへと変わったが。
「クフフ、折角遊びに来てあげたんですから、ちゃんと相手して下さいよ」
「うわっ!?や、やめろよ!」
手ぶらになった細い腕に両腕を絡めて密着してみれば、案の定顔色を赤くしたり蒼くしたりして、必死で腕を抜き取ろうとしている。クロームの女の体で簡単に拘束出来てしまう程、非力な少年。見るからに女に免疫がなさそうな初心な様子には笑ってしまう。
「もう訳わかんない!何がしたいんだよお前!?」
「勿論守護者として親睦を深めたいと思っているのですよ?親密になる方法は問いませんが」
思わせ振りに流し目を送りつつ舌舐めずりしてやれば、ヒッと悲鳴を上げて後退る。面白い。可愛らしい。
「もう…、変なことばっか言って揶揄って。お前、ちゃんと女の子好きな人種だよな?」
「そりゃあ勿論、僕も男ですから」
拘束を解き、ベッドを椅子の背代わりに身を凭せる。骸の返答を聞いた沢田綱吉は頬を弛め、同時に微妙に眉間に皺を作った。骸の求愛めいた言動が揶揄以上のものでないことに安堵し、しかし可憐な少女の外見で男を語られることにも違和感を覚えたのだろう。慌てて目を逸らしたのは、骸が短いスカート丈に構わず足を組み換えたからである。無論、わざと見せ付けているのだが。
「っ、…ふーん、髑髏?お前『僕の可愛いクローム』って言ってたし。あ、M.Mって子も『付き合うなら骸ちゃん』とか。なんだ、結構モテてんじゃん」
骸、或いは同世代の男子の恋愛事情にそれなりに興味があるのか、基本的に何事にも消極的な沢田綱吉にしては珍しく突っ込んで尋ねてくる。しかし愚図で知能が乏しい割に、下らないことまで一々記憶しているものだ。内心で舌打ちする。
「いいえ。僕の愛したあのひとは、当時僕の従兄弟だった男の妻でした。もうニ千五百年程前になるでしょうか……」
電波ーーーーーーーーーー!!!!! っていうか不倫!?昼メロ!!?」
思った通りの反応に、骸は堪らず噴き出した。
「クハッ……フ、クフフ」
「な!もしかして作り話かよ!?」
「いえいえ、本当ですよ。自分でも今まで忘れていましたが」
追及を躱したかっただけで、冗談と受け取られても一向に構わなかったのだが、憤慨していた筈の沢田綱吉は骸の微笑を目に留めた瞬間表情を堅くした。超直感とは本当に厄介な代物だ。
「……前世の記憶ってやつ?」
人の心を奥底まで見透かすような、その瞳の色が苦手だ。彼女のものに似ている、と感じたのは記憶の混乱だろうか。煙に巻く為だけなら、何も本当のことなど口にする必要はなかったのだ。
失敗した。演技ではなく、久方ぶりに本心からの溜息を吐く。初心な主を嬲っていた筈が、随分と面倒臭い流れになってきたものだ。
 
 
「かなりの美女って触れ込みだったんですけどね。実際会ってみれば特徴のない地味顔で中肉中背でセックスアピールなんて皆無で、身分の高さだけが取り柄みたいな至極つまんない女でした」
「おま、酷いな……」
仮にも好きだった人に対してその言い草はないだろ?と会ったこともない女の為に憤る沢田綱吉は、やはりと言うかお人好しだ。
「だったら何で好きに?」
「彼女の亭主がまた輪をかけてつまんない男で、しかしそんな男に彼女はベタ惚れだったんですよ。口惜しいじゃないですか、こんなイイ男がすぐ傍にいるのに」
「……そーいうムカつく台詞が許されるキャラっているよな……リボーンとか……」
「おや一緒にしないでくれません?心外です」
その頃の骸はかなりの艶福家で、陥ちない女などこの世に存在しないと思い込む増上慢でもあった。毛色の変わった相手への苛立ちと征服欲が、嫉妬となって腹の内を燻らせた。
「その内、彼女の亭主が失踪しまして」
「え」
「修行の旅に出るとか、笑っちゃうでしょう」
「…………」
沢田綱吉は笑わなかった代わり、胡散臭そうに骸へと向けていた双眸を戸惑ったように揺らした。続きを促されているのを察し、少女の貌をした異形の男は無意識に唇を湿らせる。
「見てられないくらいでしたよ、彼女の悲嘆ぶりは。僕は付きっきりで慰めて、口説いて、本当に昔から彼女のことを愛していたんじゃないかと自分でも錯覚したくらいでした」
報せを得て、誰より先に駆け付けた。彼女は骸の姿を見るや否や、両手に顔を隠してわっと泣き伏した。夫への恨み言を口にする彼女の涙に濡れた長い睫毛を、嫉妬に煮え繰り返りながらも貪るように見つめた。
沢田綱吉には言わなかったが、従兄弟の失踪には骸も一枚噛んでいた。世間知らずの坊っちゃんの悩みを聞き、同意するように相槌を打っただけで、世界を救うなどと愚にも付かない妄想を抱いたのは先方の勝手だ。綺麗事しか吐かないその口を軽蔑していただけで、男への親愛も憎悪もない。どうせ世間の厳しさを知って逃げ帰ってくる。それまでに彼女の心を我が物とし、口惜しがる姿を見たいと目論んでいただけで。
「彼女も戸惑っていたけれど、段々と哀しみも薄れて僕に心を開いてくれた」
女を騙すのは簡単だった。彼の慰めに耳を傾ける彼女の口元に寂しげな微笑の過った時は、網に捕らえた魚を思い歓喜した。愛の言葉を囁いた時、彼女は慄き途方に暮れたが、決して彼の求愛を退けはしなかった。
弱った心は付け入る隙だらけで、しかし榛色の大きな瞳に凝視される度、下劣な本心を見抜かれる恐怖に骸の心臓は動悸した。あの静かな月の晩。高殿の欄干に手を重ね、彼女の唇を初めて奪った時、その柔らかさに胸が押し潰されそうになった。
ともすれば凡庸にも見える、真面目で優しい印象を与える彼女の容姿は、元来彼の好みではなかった。しかし目を閉じ、力なく彼に身を凭せる健気な女を、可憐と思わずにはいられなかった。
「それから両想いになれたの?あれ、そもそも骸の方は……、そっか。好きな人の話だったよな」
理解を得る為に語っているつもりなどない。概略ではなく断片、それも殆どの言葉を胸に押し込んで自分に都合の良い上澄みだけを謳う物語に、それでも沢田綱吉は核心を取り逃がしていないようである。見るからに愚鈍そうな顔付きをして、自分でも話を理解している自覚があるのかどうか。
「……さあ」
骸は本心から首を傾げた。
泣きながら逃げ帰ると思っていた男は、高名な聖人という評判と共に故郷へ帰還した。
あの男が恥知らずにも城へと足を踏み入れるその前夜、彼女の部屋へと忍び入った骸の頚に女は自ら縋り付き、接吻を強請って泣いた。「またあいましょう」その濡れた頬に唇を落とし再会を約した骸は、彼女が自分を愛していると信じていた。
「確信を得る前に、夫だった男が彼女をこの世から奪い去ったので」
沢田綱吉は絶句した。目を逸らされたなら微笑することも出来たろうが、痛まし気な眼差しに凝と見据えられ、何故だか骸の心は騒々と揺らぎ、落ち着きを失う。
敢えて、夫が女を殺めたと誤解させる表現を使った。彼女は自刃した。骸にとっては同じことで、自分にとっての真実を事実として伝えることに躊躇いはない。
血溜まりに伏す屍骸を抱き、顔を埋めて号泣した骸を、平然と見下ろした男。その静かな冷ややかさを骸は何よりも烈しく憎んだ。一語をも発せず、表情一つ変えようとせぬ非人間さよ!もし慚愧や憐れみ、妻の不貞を察した怒りといった負の感情の片鱗でも男が見せたなら、ここまでの腹立ちはなかっただろうに。
彼女の死は世界の滅びに等しかった、それを些事のように扱う男を許せはしなかった。そして彼女は夫への愛故に死を選んだのではないかという疑惑は、死の事実以上に骸を打ちのめした。
「そして僕は生きながらにして無間地獄へ堕ち、長い輪廻の旅が始まった……なんてオチはどうでしょうねえ」
復讐さえ遂げられるなら、残りの人生など棄却して構わない。あの男ひとりに勝利の日を楽しませはせぬ。……男への復讐を果たせぬまま、魂に憎悪を刻んだ骸には際限ない時間だけが残された。
 
 
「何て顔をしてるんです、単なるお伽噺…いや昼メロですよ」
ぽたりと、堪えきれなかった水滴が沢田綱吉の膝を濡らした。ほんのり色付いた眼のふちが、どこか少女めいた可憐さを漂わせている。はぁ、と熱を帯びた呼気が少年の唇から洩れた。
「骸が六道を巡ってるのって、……もう一度好きな人に会う為?」
質問の形だが、確信を抱いた風に沢田綱吉は骸を見据える。榛色の瞳に映された眼帯の少女は、らしくもなく少々戸惑っているように見える。思わず得てしまった同情の為か。……いや、敵として対峙した時や霧の守護者として戦った時にも、この少年は致命的なまでの甘さを見せていた。
「クフフ、妬けますか?」
「……なぁ!?何で俺が!」
「僕の場合は記憶力が人並みでないだけで、この世のありとあらゆる生き物は輪廻転生を繰り返しているんですよ。それこそ君とも前世の何処かで出会ったことがあるかもしれない」
「ぎゃっ!」
「クフフフフ」
両手を広げて抱き付こうとすれば、流石に反射神経の死滅している沢田綱吉でも正面からの動作には対応出来るらしい。這いずるように逃げられて、そのまま床に倒れ込んだ骸は下半身の方を上体に引き寄せて起き上がり、ローテーブルに置かれた麦茶へと手を伸ばした。窓際まで逃れた少年の引き攣った表情に名前を付けるなら、油断大敵、或いは肩透かしといったところだろうか。
「袖擦り合うも他生の縁といいますからね」
「多少…?ちょっとは縁があるってこと?」
「……明らかに漢字を間違えているようですが。君、本当に日本人ですか?」
「国語は苦手なんだよ!もう、折角リボーンがいない日なのに、何でゲーム邪魔された挙句お前にまで説教されなきゃなんないの……」
ぶつぶつ呟く惨めさを、骸は鼻で哂い飛ばす。湿っぽい空気は霧散した。こちらとしても鬱陶しいアルコバレーノの留守を見計らって訪っているのだから、呑気にゲームなど出来ると思っている方が愚かだ。
「君が馬鹿なのが悪いんでしょう。国語“も”苦手の間違いじゃないんですか」
「…………否定しないけど」
「他の生、つまり今生以外です。道で擦れ違う程度の関わりであっても、前世での因縁によって生じたものであるという思想ですよ」
「ふーん。じゃあ、お前が俺と戦ったり守護者になってくれたりしたのも、前世で何かあったから?」
「さて。万一にも君があの男の生まれ変わりなら、その首掻き切ってやるところですが」
「ヒィィ!!?」
身体的接触を嫌がるかと思えば、無防備に寄ってきて安易に同情する。かといって恐怖心を忘れた訳ではないらしい。沢田綱吉の態度は一定しない。だから骸も安心していられる。
警戒を解かれていないなら、その隙を探してもう暫く茶番を続けていられる。完全に信頼されていないなら、裏切る時に躊躇う可能性も少なくなる。……矛盾は承知の上だ。
「……ち、違うよな!?ていうか俺電波な人じゃないし、前世のことまで責任持てないんですけど!!」
「その卑怯な責任逃れ。まさにマフィアの理屈ですね」
ふぅと、わざとらしく溜息を吐くのは怯える姿が面白いからだ。案の定骸の嫌味を真に受けて、沢田綱吉は己が身を守るように両腕で自らを抱き締めた。手足を縮こめると、小柄な体がますます小さくなる。本気を出せば、骸を一蹴する力を持っている癖に。
グラスの中身を飲み干せば、麦茶は既に温くなっていた。ちらと横目で窺えば、視界の端で沢田綱吉は「もう…訳わかんない」独白めいた愚痴を零しつつ、骸を避けるようにコントローラへ手を伸ばしている。ゲームの続きをするつもりらしいが、……妙な所でしぶとい。
炎を纏う時はいざ知らず、こうして部屋で寛ぐ姿を見ていれば、何のオーラも感じない凡庸な少年である。何がそこまで骸の意識を惹くのか。


――骸の膨大な過去世のノイズから、特定の記憶だけが鮮明に浮かび上がるようになったのは、そう昔のことではない。精々がここ数ヶ月。
骸…現在そう名乗る魂は、あの男を否定する者だ。万物とは永遠に巡るものである。救済としての涅槃を骸は信じない。
この現象の原因については考えないでもないが、結論はまだ出したくなかった。
 
 
 
 
 
Allora.





名作レイプも甚だしい。ニフラムニフラム。

要はアレです、煩悩即菩提ってこと。