例えば、ジッリョネロで一番のトラブルメイカーは誰だと質問したとする。幹部から新参までのファミリー各々が並べる『問題児』の数は、おそらく片手の指では収まりきらないに違いない。最近では若手の取り纏め役のような立場を任されているγにしろ、古参幹部の一部からは未だにやんちゃな小僧っ子として扱われている節もある。
マフィアというまっとうでない職業を選んでいるという時点で当然ではあるのだが、この業界、ジッリョネロに限らずやたらと変人の類が多い。
「……何の騒ぎだ?」
痛むこめかみを押さえつつγは問うた。野猿の説明は要領が悪過ぎて何を言っているのか理解不能だったが、現場まで無理矢理引きずってこられてもなお、状況がさっぱり掴めない。
敵の目を逃れるための仮のアジト。皆が食堂と呼ぶ、一階ホールにほど近い広間である。不揃いな高さの机や椅子が急拵えといった風情で並ぶ部屋の中央近くで、ひょろひょろしたフォルムの青年と小柄な少女とがデジカメのような形状の機械を必死に奪い合う図が展開されている。
「これは絶対に没収します!」
カメラの本体を両手で掴み、渾身の力で引き寄せようとしながら、ファミリーが初めて聞くような大声でユニが宣言する。
「絶対にダメ」
ストラップの紐部分を引っ張りながら、珍しくしゃっきりした表情のスパナが、断固とした口調でそれを拒否した。
事情は把握していないが、このままでは埒が明かないことだけは確かである。ニヤニヤと笑みを浮かべるだけで知らぬフリを決め込む無責任な野次馬どもを横目で睨み付け、大股で渦中に歩み寄ったγは真っ先にスパナの頭を軽く殴っておいた。相手は筋金入りの変人メカニックだ。どのみち、空気を読まない態度で姫に迷惑を掛けているといった事情に違いない。
「姫に何をしているんだ」
「……痛い」
殴られたスパナは不服そうに文句を述べたが、どこか浮世離れした空気を纏っているこの男、怒りの度合いが端目からは甚だ読み取り辛い。硝子玉のような瞳を向けられ一瞬怯んだ本心は表に出さず、γは幹部として重々しく宣告を下した。
「この騒ぎの原因を説明しろ、スパナ。何かは知らないが、そのカメラらしきものも俺が没収……」
「ダメです!」
最後まで言い切る前に、思わぬ場所から反対の声が上がる。
「姫?」
変人による被害を蒙っていたはずの我らがボスが、柔らかな頬を真っ赤に染めて憤慨している。藍色の美しい瞳の破壊力たるや、スパナのそれとは比較にならない。しかも、何ということだろう!γを非難するその瞳が、じわじわと涙に潤み始めたではないか。
「これは絶対に渡しませんから!γなんか大っ嫌い!!」
「……………!?」
あーあ、と呟いたのは誰だったろうか。そいつは後でシメる。しかし現実のγは、カメラを完全に奪い取ったユニが泣きながら部屋を走り去っていく姿を呆然と見送る以外、何も出来なかった。
数分後、一部始終を見ていたらしいニゲラに軽く肩を叩かれ、ようやくγは氷像から人間に戻ることが出来た。
「………あー、大丈夫か」
「ごめんよ兄貴ぃ……」
俺が呼んできた所為で…と項垂れる野猿を宥めつつ、この場に残った面々は各々手近な椅子に腰掛ける。
肩を窄めて落ち込む兄貴分と弟分を交互に眺め、太猿は苦笑混じりの溜息を洩らした。
「いや、お前の所為じゃねえ。気にするな」
では誰の所為かというと、やはりスパナがそもそもの原因であるらしい。
「というより、あいつの発明品だな」
最初から見聞きしていたらしい太猿が、γへの説明役を買って出ている。ふむふむと、スパナ以外の全員がそれに頷いた。
ジェッソファミリーとの抗争激化後も、我関せずとばかりに黙々と実用化の目途の立たないロボットの開発に勤しんでいたらしいスパナは(ここでスパナ本人からの反論があったが当然のように無視された)、その一環で変わったプログラムを考案したらしい(機体に搭載する予定の人体認識機能を改良して云々と本人から解説があったが、当然のように聞き流された)。
武器としての実用化の前に、ひとまず肝心のプログラムと表示結果の画像保存機能だけを小型の筐体に搭載し、スパナは持ち運び可能な試作品を組み立てた。己の実験の成果を試すためにサンプルの集まっているであろう食堂に姿を見せ、たまたまユニと顔を合わせたことで揉め事に発展した、らしい。
「姫様は俺達とトランプしてたんだぜ!」
「ここぞという時に強いカードを引き当てる強運、相手の手札を見透かす眼力。流石先代の血を引いておるだけのことはあるわい」
「それは分かったが、その話でどうして姫がスパナと喧嘩するんだ?そこまで物騒なシロモノを引っ提げてきたのかい」
γの疑問は当然のものだったが。
「それは――むぐっ」
「そんなことはどうでもいいじゃねーか、兄貴。しつこい男は嫌われるもんだぜ」
「おい……?」
「しかしご立派なものだよな!こないだのアレ、……」
スパナの口を両手で塞ぎ、食堂に集う面々は息の合ったチームワークで話題をボス自慢へと横滑りさせていった。γでなくとも怪しむ、露骨なまでの作為に満ちた態度である。真剣な表情で自分と歳の変わらないボスを讃える野猿以外の大人連中の、ニヤニヤと笑み崩れた訳知り顔は先程の喧嘩を見物していた時と同じ種類のいけ好かないものだ。
散々勿体ぶっておいて連中、結局まともに説明する気はないらしい。悟らざるを得なかったγは、もやもやとした割り切れなさを腹の内に抱え込む羽目になった。
「……で、昼間のあれは何だったんだ」
といっても、はぐらかされたままでいる気は毛頭ない。余人の目がなければ邪魔も入るまいと、深夜ひっそりとスパナの部屋を訪れたγである。
「ああ、わざわざ聞きにきたのか」
「当然だ、姫のことで俺の知らないことがあってたまるか!」
……ひっそりと訪問したはいいものの、猛烈な速度で数列の踊る液晶を凝視しつつキーボードを叩くスパナに延々無視され、既に十数分を無駄にしてしまっている。痺れをきらして怒鳴りつければ、「いたのか」と真顔で訊かれて脱力するしかなかった。
「人工のプログラムが数限りない人間の中から一人を特定するためには、どんな材料が必要だと思うか?」
「は?……顔や指紋か?」
唐突な問いである。γは困惑したが、件の発明品のことを指しているのだとすぐに気付いた。映画などで見た知識を総動員して、何とかそれらしき回答を捻り出す。
「常に好条件な環境で照合出来るとは限らない。体温、脈拍、脳波、動きのパターン、膨大な分野のデータを蓄積したデータバンクを別途作って、通信で情報の遣り取りをして一致する人物を特定するのが一番実用性の高い運用方法だとウチは思ってる。でも、それでもウチ的には不充分」
普段はファミリー内の人間関係に無関心な態度を保っているメカニックの舌が、その気になればこれほどの勢いで動くのだということをγは知らなかった。薄い色の瞳が爛々と熱を帯びて輝くのが、意味もなく背筋をぞくりとさせる。
「古いマフィアの家系に時々現れる《見透かす力》、ウチはあれを再現したい。森羅万象は一と〇のデジタル信号に置換可能だ。人の心も電気信号の一種だし、人工的に再現することは将来的には可能だと思う。あの能力の仕組みも解明出来るかもしれない」
「な!貴様、姫を実験動物か何かだと思ってるのか!?姫は……、あの娘はただの女の子だ!!」
「?それがどうかしたのか?」
γにとって、スパナの視点はユニへの侮辱としか感じられなかった。叩き付けた激昂は、しかし何の感銘も与えることなくつるりと二人の間を滑り落ちる。スパナはきょとんとしていて、何がγの癇に障ったのかすら全く理解していないように見えた。
「………で、あれは何だったんだ」
悪意はないのだ。悟って、γは己の怒りを引っ込めるしかなかった。見ているものが自分達とは異なっているだけで、スパナは小さなボスを非人間的な存在と考えているのではない。
「ウチの作った、脳にある視覚情報解読システムの試作品。十年くらい前からアメリカの脳科学者を中心に、脳の神経活動を分析して対象のイメージした画像を再現する試みが続けられているんだ。これをスキャナーと一緒にモスカに搭載すれば、対象の脳の活動を分析、測定して特定の目的を持った人間だけを排除することも出来る」
「さっきからてめーと話が通じてる気が今一つしないんだが、平たく言うと人の心が見えるカメラ、なんてもんなのか?」
「正確には違うけど大体合ってる」
不毛な会話に振り回され延々寄り道した挙句、γは最大にして唯一の問いをやっと口にすることが出来た。
「姫がその機械に拘ってた理由、お前は知ってるのか?」
つまらないジョークを聞いたとでもいうかのように、スパナは肩を竦める。
「見られたくないものが写ってたんだろう?」
なし崩し的に、件のカメラはユニが持ち続けることになった。γが実物を手に取ることが出来たのは、ジッリョネロの名が消えてしばらく経った後である。
あれだけの大言壮語を吐いていた割に、γの目から見た保存《写真》は限りなくお粗末な、モノクロの影絵だった。脳科学は専門外であるはずの工学者が、先行研究を見様見真似で模倣して作成したシロモノなのだから、この出来でも充分凄いのかもしれない。それこそ全く知識のないγに判断しようもないが。
画像は何枚もあった。愛すべき仲間達は、この毛色の変わったおもちゃを嬉々として弄り回したのだろう。胸の大きな女、髪の長い女、若い女と子供達、腰の曲がった麦藁帽の老爺、田園風景、海辺の風景、スーツを着たファミリーの仲間らしい立ち姿。
撮影時間の一番新しい画像も見た。髪をオールバックにした、長身の若い男が写っている。誰の姿であるかは一目で解った。
――不鮮明なモノクロ画の青年は、穏やかな微笑みを浮かべているように見えた。