「へぇ、あんたがボンゴレ十代目か」
男の口調には、珍しい生き物を観察する時に似た、純粋な好奇心と感嘆とが滲んでいる。
そのラボは地下にあり、蛍光灯の蒼白い光が剥き出しのコンクリート壁、組み立て途中の鉄の塊、そこから伸びる配線やごちゃごちゃと散乱する何かの部品やらを皓々と照らしている。充満する機械油の臭気に、内心で綱吉は閉口していた。
曾て放り込まれた十年後の世界で出会った人々と奇妙な再会を果たす度、綱吉は可笑しいような哀しいような、不思議な心地に囚われるのが常だった。
自分にとっては再会でも、相手はこれが初対面。綱吉にとっての過去は彼らにとっての未来であり、歴史の書き替えられた今となっては、自分達が同じ記憶を共有することは決してない。
目の前の青年は、他組織のボスを前にしても不遜なまでにマイペースで、相変わらず点々と油染みの散るツナギ服を着ている。汚れきった軍手を外したのは、なけなしの敬意の表れなのか何なのか。
「どう、研究は進んでる?」
ひょろりと縦に長い体躯は同じだが、懐かしいその顔は記憶にあるより若干の幼さを残している。あの頃は随分と大人に見えたものだが、考えてみれば自分と変わらぬ齢なのだ。この若さで…と心中独白しかけ、つい綱吉は苦笑した。ぎりぎり十代の身空で、大ボンゴレの権を半ば握る自分の言う台詞ではない。
「……何処かで会ったことが?」
反応は予測の範疇内。ラルに初めて会った時も怪訝そうにされた。きっと懐かしさが顔に滲み出ているのだろう。綱吉はゆるゆると頭を振ることで相手への返答とした。
「それってナンパの常套句だよね」
「ナンパなんてしたことがないから解らないな」
よく言う。あれだけ熱烈に人のことを口説いておいて、全部無かったことにする気なのか。
自分でも見当外れと知る恨み言は口にしない。代わりに、精一杯の傲岸な、マフィアのボスらしく見える笑みを浮かべてみせた。
「じゃあ代わりにナンパしてあげようか。スパナ、ボンゴレに来ない?」
綱吉の似合わない虚勢など、身近な者達には笑い飛ばされるレベルの児戯である。事実、一歩後ろに控える山本をちらと顧みれば、苦笑を口中で噛み潰しているような、微妙で生暖かい眼差しを寄越されていた。
とはいえ綱吉を知らぬ者には有効であったようで、ラボまで案内した先方の幹部が山本の隣で目を剥いている。部下が目の前で、他組織のボスにヘッドハンティングされているのだから当然だろう。呼び付けても来やしないと綱吉に恐縮しつつ憤り、金食い虫と彼の研究を謗っていたのだから尚更だ。
伝統はあっても資金源の潤沢と言えないジッリョネロには莫大な開発研究費が負担なのだろう。それでも今まで養ってきた辺り見栄と野心だけはあるようだが。あの未来世界で二つのファミリーが手を組んだ理由も、黒い制服の立場が弱いものだった理由も、今の綱吉には容易に推測出来るようになった。
勧誘を受けたスパナ当人は、感情の読み難い薄い色の瞳でまじまじと綱吉を観察している。と、不意に視線を外してツナギのポケットをごそごそ探り始めた。何箇所か手を突っ込んで、目当ての物を見付け出したらしい。棒付きのキャンディーを取り出して口に啣えた。
「ちょっと席を外して頂けませんか。ここからはファミリーとは関係のない、彼の一身上の話なので」
その間に、綱吉は案内役の追い出しに成功する。そのつもりは無かったのだが、気を利かせた山本も扉の向こうに出て行ってしまった。追い出した男の話相手でも務めてくれるつもりだろう。
改めて向かい合った綱吉とスパナは、互いに相手が口を開くのを待って暫く沈黙の時を過ごした。
 
「……いきなりだな」
根負けしたのはスパナの方だった。それだけでも綱吉は喝采を上げたくなる。
「ウチを雇って、あんたに何のメリットが?」
飴を口に含んだままなのでやや不明瞭な発音だが、聞き取れない程ではない。よく考えればあの時はスパナが日本語で話し掛けてくれていたから、彼の母国語で会話するのは綱吉にとっても正真正銘これが初めてのことだ。
「優秀な人材は一人でも多く欲しい……というのは建前で」
表情は変わらぬままだが、綱吉が言葉を切ると、啣えた棒がぴくりと上下した。彼は権威など意に介さない人間だと思っていたが、それでも多少は緊張しているのだろうか。
「ボンゴレとしては、あなたの研究をあまり野放しにしておきたくないんだ」
「モスカのことか?」
間髪入れず即答したところを見ると、ボンゴレがあの兵器の開発に着手していた事実は把握しているのだろう。綱吉の苦々しい過去までは当然知らないのだろうが。
「うん。あれとは浅からぬ関わりがあってね。本来なら開発中止を求めたいところなんだけど」
「動力源が非人道的なことを問題にしてるのか?それなら今ウチが無人でも動く機関を試作中だ、まだパワーは実用に足るものじゃないが改良次第で今以上の出力が見込めると思う。例えば生体の積載スペースを……」
「うわ、ごめんストップ」
研究者としてのスイッチが入ってしまったのか、途端立て板に水の如く喋り出す男を慌てて綱吉は遮った。今はモスカ談義に付き合いたい訳でなく、そもそも工学関係の知識はさっぱりだ。
「……ボンゴレが何を言おうと、あなたはモスカの研究をやめる気はないだろ?」
良くも悪くも、スパナの本質が研究者であることを綱吉は知っている。善悪も利害も処世も関係なく、己の好奇心の向かう先を追究せずにはいられない生き物だ。
「ジッリョネロとの今後の関係を考えたら、あなたを暗殺するより引き抜く方がまだしも平和的かな、と」
「はぁ、なるほど」
武闘派からは程遠くともマフィアには違いない。この程度の脅し文句で動揺するのは、逆にある程度の席に着く年寄りに多い。
「つまり、命が惜しければ監視下に入れと」
「そう思ってくれて構わないよ。ただあなたにとっても損な話じゃないと思うんだけど」
それにしても、見上げるだけで苦労する相手だ。自分とてあの頃に比べれば背丈も伸びたのだから、もっと差が縮まったと感じても良さそうなのに。綱吉の勧誘に興味があるのか如何かさえ、ひたすら凝と見下ろしてくる無機質な表情からは窺い知れない。内心の怯みを押し隠し、綱吉は言を継ぐ。
「研究成果を外に持ち出さないという条件さえ呑んでくれれば、自由にしてくれて構わない。それなりの待遇と役職も約束するよ。資金面や設備も此処よりは恵まれてると思うけど」
ミルフィオーレでは、スパナはBランクだと言っていた。かなり高い地位だ。あの悪夢のような未来は、少なくとも彼の人生にとっては望ましいものだったのだろう。と言っても、綱吉の提案しているのは贖罪の申し出などではないが。
「ボンゴレで設計、製造したモスカも残ってる。試作機の中には人を乗せずに動くものもあった筈だし、参考になると思うよ」
「あんた」
「え?」
「あんたのデータを取らせてくれるなら考える」
綱吉から片時も目を離さぬまま、スパナは淡々とした口調を初めて崩した。
「……俺?」
十年後世界での戦いを思い出したが、このスパナは別人のようなものだし、綱吉に興味を抱く動機などない筈だ。半信半疑で自分を指差した綱吉に、スパナはゆっくりと頷いた。
中身の消えた飴の棒を口から取り出し、二本目を取り出そうとしたのだろうか暫く手を彷徨わせ、何故か気が変わったのかそのまま拳を握った。
「戦闘データとか、そんなの?」
「そう。生物学は専門外だけど人体構造も調べたい。あんたの体に興味がある」
誤解を招きそうな表現だと思ったが、スパナにそんな意図のないことは見ていれば解る。気まずいのは綱吉だけで、相手の真摯で、ある意味で純真な瞳には、研究のことしか頭にないらしい。
「あんたの戦闘データは伝聞でしか知らない。映像資料も幾つか見たけど、被写体が小さすぎてよく解析出来なかったし」
「映像なんて残ってるんだ」
「攻略法を研究しようって意味で出回っているが、あんたは完璧だ。人間を越えてる」
「はぁ、それはどうも……」
誉められているらしいが、人間じゃないと言われてもあまり嬉しくない。そういう台詞は雲雀さんみたいな規格外キャラに言って欲しいところだ。
「グローブから生み出される高純度の炎、相手から射出されたエネルギーを吸収する零地点突破・改、敵を凍らせる初代エディション、全て人間業じゃない」
綱吉の気も知らず、スパナはますます熱の籠もった口振りで、彼の思う人間じゃない点を挙げていく。
「特にあのX BURNER!あのシンメトリーから発射される二種の炎は、力学の生み出す美の極致だ」
それ、あなたが開発協力してくれたんですけどね……。知らずとも彼の琴線に触れるものがあるのか、やたらと絶賛される。
「……ストップ、ストップ。分かったから、うん」
完全にスイッチが入ったスパナを押し留めようと、綱吉は片手で額を押さえつつもう一方の手を遮るように突き出した。
「仕事に支障を来さない程度になら協力する。それで来てくれる?」
「本当か?」
スパナは頬を紅潮させ、初めて明らかな喜色を浮かべた。
「モスカであんたを造りたいんだ」
「は?」
「ボンゴレ十代目は完璧で最高の人間だ。人の手で、ウチは完璧を越える存在をこの手で創り出したい」
相手が先程から緊張しているように見えた訳を、やっと理解したように思った。綱吉は、嬉しいような哀しいような、不思議な心持ちになった。
あの時も彼は綱吉の技に興味津々だった。彼の操る機体が炎を吸収する技術を持っていたことを思い出す。綱吉と遭遇する以前から、あの彼はこの彼と同じように未来の自分のことを映像やそんなもので研究していたのだろうか。あの彼が自分をどう見ていたのか、実際会った自分にどんな感想を抱いたのか、尋ねてみたくなった。けれど、あの彼と綱吉は、もう二度と邂逅することはないのだ。
「……………」
この彼とあの彼は果たして同一人物なのだろうか。改めて綱吉は自問する。
スパナに告げた勧誘の理由は、真実の全てではない。未来世界でミルフィオーレとして立ち塞がった敵。ボンゴレはこの五年、判明している限りの幹部クラスだった者達の現代での居所を突き止め、間違っても結集することのないよう監視を続け、時には人生を誘導してきた。ジッリョネロからスパナを引き離すのもその一環だ。綱吉達時間旅行者以外では、ボンゴレでも一握りの幹部しか知らない事実である。
機械工学において、スパナはマフィア界でも有数の腕を持っている。五年もすれば、あの未来のようにモスカを実戦投入させることも可能だろう。しかし綱吉はそれを望んでいない。
命を奪う必要もない。マフィア界から放逐するだけで、綱吉とボンゴレの意図は充分に果たせる。わざわざ手元に置いてまで、望まぬ兵器開発をさせようとする理由が自分でも理解出来ない。
「それにしても小さいな……」
「んなっ!?」
何の脈絡もなく頭上に手を置かれたかと思えば、随分と失礼な台詞だ。しかも気にしていることを。
「この体の何処から大量のエネルギーを生み出しているんだろうな。動力部の大型化だけ考えていたけど、それより変換効率を考えて機関の素材を……」
綱吉の頭に手を載せたまま撫でるでも叩くでもなく、ぶつぶつ独り言を呟いている。己の思考の海に沈んでいるのは綱吉一人ではないらしい。
とにかく相手は乗り気だ。それは良いことだ。難しいことは後で考えようと、綱吉は憎たらしい手を取って、自分の頭から丁重に退かせた。
 
「――これでも大人用のSサイズ作業服ならダブつかないんだけどな」
「ん?」
「こっちの話」
 
 
 
 
 
Allora.