簡単に言えば、ドジを踏んだというやつだ。
近頃同盟ファミリーのシマを荒らしてる一家が大規模なヤクの取引をするとの情報に手勢を引き連れて襲撃すれば、港では返り討ちの準備万端。とっくに裏切ってやがった元同盟相手から情報はダダ漏れで、こちらに数倍する黒服野郎どもが手ぐすね引いてのお出迎えだった。
「思ったより手こずらされたのは、流石スモーキン・ボムの面目躍如かね」
運の悪い部下どもは一人も残っちゃいない。相棒たるダイナマイトどころか予備の弾倉すら撃ち尽くした俺は、こんな見晴らしの良過ぎる波止場で胸糞の悪くなるツラの中年と対峙させられている。
「うっせー…」
いや対峙なんてもんじゃねえ畜生。今までの戦闘で奴らの鉛玉が数発かすって、腹に食らったやつが特に酷い。
痛みに呻きながら蹲る俺の前に、何処からか見物してやがったらしいこのオッサンが二十人からの部下を引き連れ、優越感に満ちた薄笑いで姿を現したという糞ッ垂れな状況だ。
「うちの全兵力が殆ど一人に壊滅状態だ。それでもボンゴレを釣るには高くない」
べらべらと不快な喋りは沢山だ。口振りに反した蔑む目付きはこの国で飽きる程見てきた。余裕綽々にしてんのは俺が抵抗する力も尽きてると知ってるからだ。しかもその予測は間違っちゃいない。雑魚に侮られる位なら死んだ方がマシだ。しかし糞野郎の阿呆面拝みながら死ぬのは最悪だ。
十代目。
十代目じゅうだいめ。
死ぬなら一目あの人の顔が見たい。あの人の前で死にたくない。だって絶対に泣く。俺はあの人を俺なんかの所為で悲しませたくない。
 
 
 
「なにしてんの」
 
……到頭幻聴まで聞こえてきやがった。
糞ッ垂れなこの場には似付かわしくない、柔らかでいて凛と響くうつくしい声。
「ははッ!……なんて運の良い!右腕を餌にドン・ボンゴレまでが釣れるとは神のお導きか!」
「初めましてドン・カッティーヴォ。ご機嫌良さそうで何よりです」
!?
まさか、本当に?激痛を堪え、殆ど恐怖に近い感情で振り返れば居る筈のない人が立っていた。十代目。
一見穏やかとも表せそうな微笑を浮かべ、この人の前では取り巻く空気すら色を変える。何物にも侵されない真の王者、俺の至高のボス。
傍らには影のように……と言うのが憚られる物騒な気配を撒き散らす雲雀の野郎がトンファーを構えている。他には誰も居ない。
「いやはや、噂に名高いドン・ボンゴレも実態は単なる愚か者でしたか。たかが部下の為に危険を顧みず単身敵地へ乗り込んでくるとは」
対する糞野郎は格の違いを悟りもせず、自分に酔い痴れて臭気に塗れた言を吐き散らし続ける。
「当然だろう、ドン。
彼らは俺の腕だ、脚だ、血と骨だ。
臓腑だ。魂だ。
痛みを感じない人間は存在しない」
語調は穏やかなままで、だがこの人は慟哭している。激昂している。
大きな瞳はゆっくりと橙色に染まっていく。十代目の炎の色に。
「指先一本傷付けられたとして、俺はそれを許さない。
俺のファミリーの血を流した者は、それに値する報いを受けなければならない」
蹲った惨めな俺の傍らを一瞥すらせず通り過ぎ、敵との距離を静かに詰める。
小柄で華奢な、しかし誰よりも大きい背中が俺の前に聳え立ち。
 
「……なにしてんの、獄寺君」
 
再びの呼び掛けは懐かしい日本語で、そこでやっと腑甲斐ない俺の頭は先程の第一声も俺に向けてのものだったと知る。
「俺以外の前で膝を折って立ち上がれもしない、そんな情けない右腕はボンゴレにいない筈だよ」
出血の所為だけでなく頭がクラクラする。自然と涙が溢れてくる。
十代目は変わらず俺に背中しか見せてくれず、しかし未だこんな俺をご自身の右腕と思って下さるのだ!
「……ぐっ」
歯を食い縛りながら俺は言うことを聞かない脚に力を籠める。
こんな時に親切ぶって手を貸したりしないのが雲雀の数少ない美点だ。 「ふん」 馬鹿にしたように小さく鼻息を零す態度は非常にムカつくが。
「ちっくしょ…!」
体を起こす。持ち上げる。
意地でも立ち上がってやる。十代目とファミリーと、俺自身の誇りの為に。立ち上がった瞬間死んだって構わねえ。
頭はみっともなくふらつくが、地面に足を踏張って何とか俺は体を持ち堪えた。すると十代目の頭越しに豚野郎と取り巻きどもが再び視界に入る。
「綺麗事は結構だがね、ドン・ボンゴレ。そこの死に損ないを除いた幹部クラスは接近戦以外に能がないと評判でねぇ……、これだけの距離。ああ、intervallo(間合い)という言葉は御存知かね?」
あからさまにジャッポーネの俺達を愚弄する嘲笑に、カッとなった俺は衝動的に飛び出したくなる。しかし今の俺には武器がない。それでも十代目の盾くらいの使い道なら残っている。
「それ使いなよ。僕は要らないから」
そんな俺の決心を無駄にするかのように十代目の半歩前に躍り出た雲雀が、投げて寄越したのは黒光りのするリボルバー。
「礼は言わないぜッ!」
馴染まぬ感触のトリガーに俺が指を掛ける間もなく、 雲雀が地を蹴った!
「……は?」
次の瞬間、豚野郎の右隣に控えていた黒服どもが、トンファーの一閃で三人一気に吹き飛ばされる。
何が起きたか豚が把握する前に
「ぐえっっ」
その弛んだ顎を殴り付けたのはグローブを装着した十代目だ。
そのまま回し蹴りの連続技で豚を地に沈めたところで、鮮やか過ぎる急襲に呆然としていた敵も我に返ったらしい。慌てて十代目に銃口を向けてくるのに、
「させるかっ」
体調の問題で急所は外しつつも、俺の撃った弾丸が雑魚どもを薙ぎ倒していく。
接近戦組、特に雲雀の奴は少々の間合いなど蹴散らすくらいのスピードと脚力を誇り、そして銃だけに頼ってるような輩は懐に入り込まれると案外に脆い。
そして規模の大きさと若手幹部の精強さだけで語られることの多いボンゴレ、最強の切り札は意外と外部に知られていない。戦う十代目を見た敵で、生き残ってる奴が存在しないからだ。
「怪我人が僕の獲物を横取りしないでよ」
自分で銃を渡しておきながら不満そうな雲雀は次々に敵を叩き伏せ、十代目もまた圧倒的な強さで拳を振るう。
数分もしないうちに、波止場に立つのは俺達三人だけになった。
「アッディーオ、ドン・カッティーヴォ。命の対価は命で償うのがルールだよ?」
にっこりと東洋の菩薩のような美しい微笑を勿体なくも冥土土産にして、鼻血塗れで地べたを這いずる豚野郎の額には風穴が開けられた。
 
 
 
 
 
「――そう、処理班。救護班も来たいなら来てもいいよ。一時間以内に到着しないと噛み殺す」
雲雀が相変わらずの調子でケータイ片手に連絡を取っている間。
「獄寺くんっっ」
俺はいよいよ出血多量でぶっ倒れ、十代目に介抱されていた……しかも膝枕で!!
「じゅ、十代目、すすすスーツが汚れますっ!ィッたた…」
「ほら安静にする!いいよそのくらい。間に合って本当に良かった」
そのお言葉が勿体な過ぎて今にも昇天してしまいそうです十代目……。
「ちょっと綱吉、裏切り者の鼠はどうすんのさ。今から噛み殺しに行きたいんだけど」
「ああそれは別動隊が既にアジトを急襲してる筈ですよ。獄寺君とまだ息のあるファミリーを救護班に預けたら、俺達も様子見に行きましょうか」
「……ふん」
今すぐ俺をぶっ殺して戦場に急行したそうな眼で睨んできやがる。それでも十代目を置き去りに単独行動しない辺りはコイツも少しは成長してる……んだろう、か? ケッ。
「天国への切符はボンゴレの敵に全部渡してやりましょう」
これはすぐ傍で腕組みしてる雲雀の方を見上げて。そして俺の髪をゆっくりと梳きながら、囁くように十代目は仰った。
「代わりに俺達は生きるんだよ、この場所で」
 
――嗚呼、この人の存在さえあればどんな地獄だって芳しの楽園に決まってる。
 
 
 
 
 
Allora.