海外旅行者がホテルの部屋で一息吐くのと同じ感覚で、ネクタイを投げ捨てた俺はスプリングの効いたベッドへとダイブした。
「……チッ、みっともねー」
すかさずカテキョーの舌打ち。俺も結構イイ年になってきた訳だけど、未だこいつの前では教え子ポジションから脱却出来ていない、情けないことに。
「だって、」
口から滑り出たそんな口調が自分でもうんざりするくらい子供っぽく、いっそのこと駄々を捏ねるみたいにベッドの上で足をバタつかせてみる。
「ああもぅ疲れたー」
「そんなに草臥れてたんならホテルに泊まってくりゃ良かったじゃねーか。部屋用意して貰ってたんだろ?」
「げ、勘弁してよ!」
ローマ郊外にあるオフィスの階上。それなり格調高く設らえられたボスの私室は、美しい夜景も見えなければ、かといってシチリアの本部ほどには自宅という感じもしない。
しかし自分のテリトリーに帰って来たという安心感を与えてくれるところに、旅行者にとっての宿屋と一脈通じるものがある。この商売をしていると無条件の安心は万金を積んでも購い難い価値に思えてくるものだ。
「覚えてるだろ、二年前。やっぱ会談があった後で鍵渡されて、タダでスイートに泊まれると思って喜んだらさぁ……」
客室に足を踏み入れた瞬間、さっきまで腹黒い話してた相手のおっさんがバスローブ姿でお出迎えしてくるとはまさか誰も思うまい。あれは俺のクソ最低な人生の中でも一、二を争う悲惨な出来事だ。
護衛に連れてたリボーンが手を押さえてなけりゃ、反射的に取引相手を撃ち殺すところだった。これで護衛が獄寺君だったりした日には建物ごと木っ端微塵の大惨事だったに違いない。運が良かった、と言うには抵抗があるんだけど。
当然覚えてたらしいこのガキはクツクツと悪人臭く含み笑いしながらワイングラスを傾けたりなんかしている。……勝手に呑むなよ!可愛い部下が俺の為に用意してくれた上物なんだから。
今日話した外務大臣には男色の噂を聞かないけど、俺は二度とでっぷり太ったおっさんの半裸を見たくないので用心するに越したことはない。
「俺にもワインちょーだい」
「俺をパシらせる気か?ボス」
「だって俺ボスだもーん」
某王子様の口癖を真似して要求すれば、裏社会の帝王に対する敬意など1ミクロンも所持していないだろう凄腕ヒットマンは、肩を竦めつつも瓶ごとベッドまで来てくれた。お、珍しく優しい。
「で、どーすんだ」
コイツが俺に意見を求めてくることも実は珍しい。自分の裁量で捌ける些事なら大抵勝手に処理して事後報告してくるだけだし、逆に重要な案件では一言も口を出さずに俺の決断を待っている。決して責任を肩代わりしてくれない。
「……さっきの女の子だよね?」
心当たりを確認すれば、僅かに顎を引くだけの頷きが返る。
俺が受け取った瓶に直接口を付ければ、厳しい家庭教師様は彼の美学に反する行為と感じたのか忌々し気に眉を顰めていた。口に出して注意してこないので俺も反省はしない。じわじわとアルコールが胃の腑に染み込む感覚。
俺の隣に腰掛けて、リボーンもネクタイを緩めて寛ぐ態勢に入ったようだ。トレードマークの帽子はベッドの上、俺との間を仕切るように置かれる。
こいつが気を抜いた風に見えるのは気の所為で、例え今ここで俺が銃を取り出しても、照準を定めるその前に脳天に穴が空けられるんだろうけど。
 
 
 
会談自体は大した中身もなかったんだけど、ホテルを出る際にちょっとしたイレギュラーがあった。
 
なるべくなら目立ちたくないと思っている後ろ暗い人間にとって、実は有り難くないのがローマという都市だ。
少々地面を掘り返すだけで歴史的遺物がゴロゴロ出てくる土地柄なので、保存の観点から条例で地下駐車場なんかが作れないからだ。つまりアクション映画によくある、無人の駐車場でこっそり遮光窓の高級車に乗り込んだり、そこを敵に襲われて銃撃戦が始まったりするあのシーンが再現出来ない。
似たような条件の古都である京都の条例がどうなってたのか俺は知らないし、生まれた国について殆ど語る言葉を持たないこういう部分がダメツナたる所以であるような気もしてる。
その代わり、うちの場合は大抵ホテルの裏口に車を回させているが、幾らマフィアでもそこら一帯の交通を完全封鎖するなんて横暴はおいそれと出来ない訳で。
(それを思えば駐車場の襲撃シーンは実にナンセンスだ。あんな出入口の限定された密閉空間に敵の侵入を許してる時点で、彼らの警備体制には根本的な問題があるとしか思えない。しかし大人数を配備しまくって尚且つ人目を欺いてるつもりの俺らも大概だ、嗚呼!)
そういった事情で今夜も某老舗ホテルの従業員出入口に接した路地裏に迎えの車を横付けさせていたら、黒服の部下に囲まれた明らかに堅気じゃない俺が姿を現した途端、近くの建物の中から人が飛び出してきたのだ。
顔を強張らせた皆が一斉に懐に手を突っ込んだが、俺の目配せですぐに得物から手を離した。ペンと手帳を携えたその若い女の子…といっても俺と同年代くらいの駆け出し社会人風な彼女は所謂ブンヤさんのようで、溌剌としたボブカットの似合う、うん、なかなか結構可愛かったかな?
彼女はどうやら先日うちのファミリーがトルコのホワイトマフィアを一つ壊滅させて、芥子畑と麻薬工場の跡地に野菜農園と小学校を建てた件に興味があるみたいだった。
斯く言う今夜の会談もそれ絡みで、土地の再開発はボンゴレ傘下の企業が請け負ってたんだけど、国の内外にはイタリア政府との関わり薄からぬNPO団体の名前が表に出るよう根回しを図るのが目的だった。双方にとって悪くない話で、元々親ボンゴレの大臣は勿論快諾してくれた。
政治家の汚職を取材してるうちにマフィアとの癒着に辿り着いたとかそんなところだろう。記者さんは最初俺の『慈善事業』についてインタビューを求めてたのが、部下達のバリケードに護られた俺とリボーンが、完全に彼女を無視したまま後部座席に乗り込むに至って完璧頭にきたみたいで。くっきりとした眉をキリキリ吊り上げ、最後は弾劾するような調子で声を荒げていた。
発車する直前、最後に聞こえたのは「偽善者!」という罵りだ。
 
 
 
「……別に放っときゃいいんじゃない?」
何らかの制裁を指示するつもりは、今のところない。
「俺は頑張る若者の味方なんだ。普段自分が年寄りの間でいじめられてるからね」
「……よく言うぜ」
呆れたっぷりという感じではあるがリボーンの口調に怒気はない。しかし俺より若いのに老番頭みたいだよな、お前も。
声を立てて笑えば、程よく回ってきた酒精が気分を良くしてくれる。
「実際カメラマンも連れてなかったしね。勇み足の単独行動なら放っといても彼女の上が押さえてくれるよ」
そこらの弱小マフィアなら兎も角、この程度のことで軽々しく腰を上げるのも威厳に欠ける。この国でボンゴレに率先して睨まれたい人間はそういない。理想と情熱に溢れた若者以外では。
「新聞社ぐるみでうちをネタにしたがるようだったら、その時は社長のベッドに馬の生首放り込みゃいいじゃん」
うーん、大概俺も思考がマフィアナイズされてきたかなー。まあ今更か。
「好きにしろ」
と、これはリボーンなりの許可。意見を聞いてきた時点で俺の判断に任せるつもりだったんだろうから、単なる相槌みたいなものだ。
瓶をリボーンに突っ返して、そのまま仰向けに倒れ込んでみた。柔らかいベッドは俺の体重を優しく受け止めてくれる。
「でも偽善者かぁ……つくづく的外れだよな」
見れば、リボーンの置いた帽子は今ので床に落っこちていた。そのカテキョー当人は、俺から返された瓶が空なのを見て舌打ちなんかしている。いいじゃん、お前だって半分近く呑んでただろー。
見当違いの罵りは俺を全く傷付けない。
 
トルコでの一仕事を終えたばかりの獄寺君とは、明日本部に帰れば落ち合うことが出来るだろう。今回はお手柄だったから充分労ってあげたいし、俺にもまだ仕事が残っている。
お得意のダイナマイトで全てを木っ端微塵にする前に、彼は奴らの育てた原料を収穫させ工場のストック諸共残らず精製させて、ボンゴレとは関係のないルートを使い大量のクスリを市場に流した。過剰な供給は当然商品の値崩れを引き起こして、ホワイトマフィア勢力は現在大混乱している。ボンゴレとその同盟はクスリを扱わないのがモットーだから痛くも痒くもない。
この機にシマの切り崩しが容易になるだろうし、指示は既に出している。結果は近いうちに出るだろう。
出回ったクスリの所為で中毒患者が増えたって構わない。最初から見せ掛けにおいてですら、善行なんてしてるつもりはないんだから。偽善者じゃなく、悪魔とでも言われた方がまだ実像に近い。
「一人で呑んじまうなよ、この阿呆が」
「だからお前が先に……」
反論をつい呑み込んだのは、上体を傾けてきたリボーンが俺の唇の端を舐めてきたからだ。少しざらついた舌先の感触に、触れられてない場所まで肌が粟立った。
「ワイン付いてんぞ、ガキ」
「……悪かったな」
寝転がってる俺の頭の横に手をついて、覆い被さるみたいに覗き込んでくる。間接照明の淡い光が遠ざかる。逆光でリボーンの表情は読めない。
口調は嫌味ったらしい、俺の子供っぽさや馬鹿さ加減を面白がってるいつもの風で、だけど何となく心配されてるのが伝わってしまった。
……やだなぁ、お前が妙に優しいと気持ち悪いよ。的外れの言葉で傷付いたりなんてしないんだから。単に疲れただけ。
「悪かったな」
俺と同じ言葉を使って、読心術の使えるこいつは内心の気持ち悪い発言に怒ってみせた。
「……俺、生まれ変わったらワイナリーになりたいなぁ」
「今からでも葡萄園くらい南部に作りゃいいじゃねーか」
「そっか」
そりゃそうだ、諦めなくてもいいんだよな。上質のワインは素敵だ。恋みたいに人を酔わせて幸せにしてくれる。
今度は唇同士が合わさった。同じものを呑んでいたリボーンからは俺と同じ味がする。
珍しく甘やかされて、らしくないとは思うけど本当は嬉しくない訳じゃないよ。俺だってお前だって擦れっからしの悪党で、だけど人間には違いないから。
「――知ってる」
僅かに唇を離して、吐息を吹き込むように小さくリボーンは囁いた。夜を煮詰めたみたいな黒い瞳に見つめられ、俺の身体にアルコールの所為だけでない熱が灯った。
 
 
 
 
 
Allora.