「そーいやさぁ、知ってる?」
「あ゙ぁ?」
あからさまに迷惑がってる獄寺には構わず、俺は俺の言いたいことを言うことにした。
ツナが傍にいない時の獄寺は極端なまでに周囲に無関心で、逆に話を遮られる割合が低く一方的な会話が進めやすい。
「クラスで噂になってんだぜ。お前と笹川が付き合ってるって」
「……はァ!?」
獄寺は全く知らなかったらしい。まぁそうだとは思ってたけど。
「……何だそりゃ……」
心底理解不能といった調子で獄寺は左右に目を走らせる。奴にはクラスの人間が狂人の集まりにでも見えているのだろう。おめでたいことに、自分が頻繁にツナから正気を疑われてる事実には気付いていないらしい。
まぁな、俺も野球部の朝練でこれを聞いた時は余りの馬鹿馬鹿しさに一瞬茫然とした。すぐ納得もしたが。
「でもさぁ、お前笹川とは結構喋ってんじゃん」
と言っても言葉少なに挨拶を交わす程度だが、奴を追っ掛け回すクラスの女子に対して「うっせー」「邪魔だ」以外の単語を発しないのに比べれば、確かに特別視していると受け取られても仕方ない態度だろう。意外とクラスの奴らも観察している。黙って立ってりゃ美男美女カップルに見えないこともないし。
俺の指摘に獄寺は
「って、それは、……」
痛いところを突かれたと言わんばかりの渋面。言い淀むのはツナの名誉を慮ったというよりも、その事実を奴自身が受け容れ難く思っているからだろう。何処まで自覚してるのかは知らないが。
「じゅ、十代目はご存知なのか……?」
「多分知ってんじゃねー?」
目に見えて蒼白になる。わかりやすい。
俺に話を振ってきた野球部の奴は探りを入れるのが目的のようだった。それは校内の常識で俺と獄寺が親友関係ということになっていて、当然俺が奴の女関係にも詳しいだろうと思われているのが原因だ。
つまりツナの存在がすっぽり抜けている。
獄寺がツナのことを敬愛――崇拝の域だな、するあまり、ツナが惚れている笹川京子にまで慣れない気を遣っているという単純明快な真実。それを知らずとも他のクラスメイトには何ら不都合ないし、大袈裟な言い方をすればその世界観に矛盾が生じるなんてこともない。
クラスメイト、チームメイト。響きの綺麗さが逆に中身の空虚さを強調していると思うのは俺だけだろうか。
「げっ、こーしちゃいられねぇ!十代目をお待たせしちまうだろこの野球馬鹿!」
自分が原因で愛する主人の心を傷付けていた可能性にわかりやすく意気消沈していた獄寺は、黒板の上に掲げられてる時計を見た瞬間これまたわかりやすく飛び上がった。手には最初から二人分の鞄を持っている。
ツナはといえば焼却炉までゴミ捨てに行っていて、何度も同行を申し出ては断られている獄寺は最近では学習して、鞄を持って階下まで迎えに行くと教室に寄らないまま二人で下校してしまう。つまりこれから部活の俺は、今日はもうツナの顔を見れないということだ。
散々俺への悪態を吐いて、獄寺はドア付近にたむろってる連中を突き飛ばして教室を出て行く。
合流したらしたで遅くなったことをツナにへこへこ謝り倒しそうな勢いだ。いつものように腰の引けた苦笑いでツナは獄寺の謝罪を制するに違いない。
出席番号の近い二人は掃除当番の班も一緒で、少しでもツナの傍にいたいだけの獄寺は単純に大喜びだが、本当は違う班の方が当番を代わってやれて都合が良いだろうことを俺は黙っている。
下らない用事で引き止めたのと同じ、獄寺に対するちょっとした腹いせだ。
獄寺ほどわかりやすくはないが、思えばツナも不思議な奴だ。
クラスという空間は仮面演劇の舞台に似ている。それぞれが台本片手に割り振られた役割を演じ、結果一つの集団として機能している。
その中でツナはいつも居心地悪そうにしている。
周りからも一応「落ちこぼれの劣等生」という役割を与えられているが、それすら忘れられたかのように最初から居ない者として扱われることも多い、例えば獄寺と笹川の物語に登場しないように。
俺から見たツナは、一人だけ台本を渡されず、劇の内容すら知らないまま舞台の上で途方に暮れているように見える。
そして獄寺は台本を渡されて即ゴミ箱に叩き込んだ類の人間だ。自分が納得しない限り一歩たりとも動かない。
今二人は外野の声を気にせず、自分達だけの劇を大切に演じている。動きがぎこちないのは演じることに初心者な似た者同士だからで、そんなあいつらには登場人物が少ないくらいが丁度良いのだろう。
俺はその小さな世界が何故だかひどく尊いものに見えて、だから無理矢理にでも奴らの「マフィア」ごっこに参加したくなるんだと思う。
だってツナのいない世界なんて詰まらないだろ?俺のヒーローを獄寺だけが独り占めなんて羨ましい話、呑み込めなんて方が無理だ。
「あれ、山本君、部活いかないの?」
「ん、これから行くとこ。そーじお疲れさん、黒川も」
そういえば笹川達もツナと掃除の班が一緒だったっけ。親友の黒川花と今から下校するらしい。……あー、ツナと獄寺のも、なんか女同士の友達関係みたいなのなー。
そんな俺の内心の呟きなど知らない笹川京子はにこにこといつもの笑みを浮かべて俺に声を掛けてきた。俺と会話したくて堪らない女子達と違って、ごく自然な態度で接してくる。
「……そーだ笹川。今付き合ってる男いるんだって?」
「?」
きょとんとしている笹川の隣で、黒川は厭そうに顔を顰めている。噂を知ってて、尚且つ笹川本人の耳に入れたくなかったらしい。
俺はといえば、教室に残っていた連中の注目が一気に集まったのを意識していた。
下校時間を過ぎてもう十人も残っていないクラスメイトだが、視線には結構な圧力を感じる。獄寺と俺が喋ってるのは皆にとって日常らしいから内容までは聞き流していても、俺と笹川京子の取り合わせはなかなか好奇心を擽る一幕なんだろう。
「えー?そんな相手いないよ?」
「ふーん?」
放課後の教室。ここは舞台裏か、或いは劇中の舞台設定の一つに過ぎないか。間違いなく後者だ。
「そんな噂があってさ」
だから俺はクラス用の顔をして、予想通りの答えに相槌を打つ。
明日には俺が笹川に横恋慕して探りを入れてたなんて噂になってるかもしれない。
まだ注目は途切れず、黒川は不機嫌にしている。以前似たような経緯で笹川が剣道部の上級生と揉めたのに懲りているのかもしれない。
「笹川は相手が誰か想像つく?」
一瞬怪訝そうにして、笹川は首を傾げると素直に思い当たる節を考え始めた。
ギャラリーの期待では獄寺の名前、普通の会話だったら思わせぶりに俺の名前を出したっていい展開。
「えーと、ツナ君とか?」
……またえらく意外な名前が出てきた。
ひょっとしてツナの片恋に気付いた上での冗談か嫌味かとも思ったが、単純に思ったままを口にしたというかんじで、笹川京子の様子に他意は伺えない。
「へぇー、沢田ねぇ?」
呆れたような黒川の台詞こそギャラリーの総意で、いや、周囲はもっと露骨に『ダメツナな訳ないだろう』と拒絶してるに違いない。
「え、違うの?」
自分の台詞に全く不自然を感じていないらしい笹川は、黒川の含みのある相槌を聞いて驚いた顔をした。そもそもギャラリーの存在に気付いているのかどうか。そーいやツナの気持ちにも気付いてない天然、ってキャラ設定だっけ。
……設定?なんてな。
「なに、笹川ってツナと付き合ってんの?」
ツナのことが好きなのか、と聞いてみたい欲求をギリギリで封じ込めて、俺は無難に揶揄う。
「ううん?」
これには(クラス的に)常識的な返答。誘導した俺は密かに安堵する。
たった今気付いたんだが、獄寺との噂が発生した要因にはもう一つの側面があったのかもしれない。
「ちょっと、アンタ達いつまで下んないこと喋ってんのよ」
「あ!山本君これから野球だもんね」
「気にしなくていいぜ?こっちこそ引き止めてゴメンなー」
慌てる笹川京子の反応はツナに似ていると思う時がある。台本の存在を意識していないのは同じで、なのに何故この女は「クラスのアイドル」として自然に溶け込めているのだろう。
話の終わりを察知して、周囲からの注目も外れていった。そそくさとケータイの蓋を開いてる奴もいて、わかりやすさに俺は苦笑する。
これで獄寺は噂の矢面から外れて、明日からは新しい噂が流れていることだろう。過保護過ぎたかもしれねえな、どうせ奴はツナの顔を見た瞬間に、罪悪感ごと下らないクラスの噂なんて忘れているだろうから。
新しい噂にもツナの名前は登場しないんだろう、不思議なことに。そしてそのことを望ましいとも感じている俺がいる。
時折見えないものに注意を喚起したくなるのは、ささやかな優越感と破壊衝動かもしれない。
屋上から飛び降りたくなるくらい生きるのが辛くなっても、俺に気付いて向き合ってくれたのはツナだけだった。今でもクラスや部活で望ましい演技を続けているのは単なる惰性だ。頼れる山本。明るい人気者。
こうしてても仕方ないので漸う部室に向かうことにする。
練習着はスポーツバッグごと向うに置いてあるので、持っていく物は学生鞄だけだ。このまま帰ってしまいたい気もする。でも部活は大事だ。
並中の野球部は入学早々に一年の俺がレギュラーを任されたくらい全体のレベルが低いが、投手の俺が完封して、打者の俺がホームランで一点でも入れられれば試合には勝てる。雁首並べてるだけの人員でも試合に出る為には頭数が要るから、部という体裁は必要だ。
校外のリトルシニアにでも入ろうかと思った時期もあったが、練習に時間を拘束され過ぎてもツナ達と遊ぶ時間が減るので、結局俺にはユルユルの中学野球部で丁度良いのだ。
もう一度笹川京子のことを考える。愛らしい顔立ちに、不思議と甘やかな想いは湧かない。
あの女は皆に見えない、獄寺や俺が知ってるツナの良いところが見えているのかもしれない。それが恋とかいった具体的な感情でないとしても。
俺が気付けないだけかもしれないが、笹川京子の態度に作為的な要素は見当たらない。
でありながら、どうして彼女はツナが弾き出された世界に、獄寺が背を向けた世界に、俺を擦り切らせた世界に拒絶されないのだろうか。
今の俺は結構幸せだからこれは嫉妬ではないが、しかし穏やかな笑顔を突いて綻びを見出したくなるのは、既に癖としか言いようがない。