初めてこうなった時、周囲の取った反応は驚きであり、また慨嘆であった。裏切られたという悲憤の声すら漏れ聞こえ、綱吉は随分と奇異に感じたものだ。
端目から自分達の関係が如何映っていたのか。誰もが口を噤んだ今となっては推測するしかないが、事実だけは昔からとても明瞭りしていた。物の解らぬ者が時折羨み且つ称賛したような、あいつとの絆など一度たりとも存在してはいなかった。自分達は決して対等ではなかった。
獄寺君や山本との間に固く結んだ友情、信頼、敬愛……そんな人間らしい感情の一切からあいつだけは無縁なのだ。呪われた生を蜿蜒と巡るあの金銀妖瞳の守護者ですら、あいつに較べれば感情豊かな、至極まっとうな人間臭い男だと断言出来る。
例え何万里と突き進んでも、石猿は釈迦の掌から逃げ出すことは適わない。自分達の関係はそれに似ている。あいつが綱吉を見る眸は、道端の蟻を一瞥するのと何ら変わらなかった。無理矢理そこに愛情めいたものを見出だすにしても、手ずから餌を与えた生き物に対する尊大で一方的な満足感に類する愛情であっただろう。当たっているかは解らない。綱吉にはあいつの考えなど、今になっても想像の埒外だ。
あいつはあまりにも異端で、特別すぎた。本人がそれを望まなくとも、自明の理としてそのようにしか在れなかった。綱吉があいつにとって多少特別であった理由とは、あいつが全くの一から育てた器であるという一点のみに帰す。綱吉は何もかもをあいつに教わり、教わるがままに吸収した。あいつは、己が詰め込んだ中身をこそ尊重した。自身の技倆を、手腕こそを尊んだ。その器が綱吉という名前を持つことなど些細な問題に過ぎなかった。
何時の間にか綱吉の心臓は抜き取られ、あいつの掌の上で弄ばれていた。それを嘆いたこともない。鼓動のしない空っぽの胸の穴も、気紛れで心臓を握り潰されるかもしれない恐怖も、気が付けば慣れて久しい。脈打つ自分の命を握ったままリボーンが姿を消しても、諜報部が近年台頭した敵組織の一員としてその名を告げても、綱吉は如何とも思わなかった。自分達に絆などない。そして綱吉は心臓がなくても人は生きていけるのだと、何時しか思い込んでいた。
今更だ。
その筈だ。
「ぅあ……かはッ」
靴底で胸部を踏み躙られ、綱吉は息の塊を吐き出した。末端から痺れが広がり、四肢を磔にされたように身動きが出来ない。すうと頭から血の気が退いていくのが、いっそ爽快なくらいだった。これが死だというのなら、一度くらい経験するのも悪くない。
綱吉の浮かべた微笑みは、次の瞬間消えることになった。胸倉を掴み上げたリボーンが蒼白い頬を平手打ちし、衝撃に目を見開いた綱吉を見返すことなく、自らが開けた銃痕を包帯で塞ぎ、その根元を縛り上げて手早く止血作業を行っていく。
綱吉は死が遠ざかる音を聞いた。だが何故敵のヒットマンが自分を手当てするのか見当も付かなかった。しかも自分の両手、足の甲を撃ち抜いた、その当人が。
「なん、で……」
「ツナ」
リボーンは笑っていた。快活でどこか得意げな、全く普通の少年のような笑顔を綱吉は初めて見た。
再び後頭部が床に触れ、自分自身や忠実な部下達の流した血を吸って紅黒く変色した髪が、べちゃりと濡れた音を立てた。額に掛かった髪を、矢張り血に塗れたリボーンの指先が、ぞっとする程優しい手付きで後ろへと撫で付けた。黒いスーツの袖口は、酷く厭な臭いがした。
「お前を迎えに来たんだ、ツナ」
「…リボーン……?」
綱吉は震えた。死の恐怖よりも強く、明るく笑うリボーンを恐ろしく思った。
ボスでなくなった綱吉はもう何も持たない。組織も、仲間も、リボーンは綱吉の何もかもを奪った。余剰物を取り除き、そうして自分の与えたものを回収に来たのだ。綱吉の心臓だけでなく、全身がリボーンの所有物だった。抗う術など最初から存在しない、自分の物を如何扱おうと、あいつの自由なのだ。
力を失った綱吉の体を、リボーンは丁寧に抱き上げた。何処へ向かうつもりかは解らない。現在属しているファミリーとは関係のない場所だろうが、具体的には見当も付かない。リボーンのすることなど。
連れ去られるままに、綱吉は馴れ親しんだアジトから引き離されようとしていた。幹部達は無事なのだろうか。それすら確認しようがない。誰か生き残りがいれば、あの部屋の死体の山と血痕を発見して、綱吉が死んだと確信するかもしれない。消えた死体の謎!
間違っていない。もうこの瞬間から、綱吉は個としての一切の尊厳を奪い取られた屍も同然の体なのだから。綱吉はリボーンのことなど理解していない。そしてリボーンもまた、綱吉のことなど微塵も理解していない。
廊下は無人で、しかし散発的に銃撃音が聞こえてくる。本丸が陥とされた後も掃討戦は続くのだ。現実から目を背ける代わりに、綱吉は黒スーツの腕の中で意識を失った。