冒頭
 覚醒は痛覚によって促された。
 後頭部がずきずきと鈍い痛みを訴えてくる。またベッドから落ちたのだろうか、それとも修行で酷い目に遭った?全然覚えていないけど。
 ぼんやりと揺蕩う思考を追いかけ、その段になって漸く、綱吉は眠りの最中にいる自分の現状を自覚した。このまま目を閉じてずっと微睡んでいたい。しかし気付いたからには起きねばならない。
 綱吉は瞼に力を込めた。だが無意識は頑強に覚醒を拒んで、瞼の薄い筋肉を小さく痙攣させる以上の成果は上がらない。落胆する綱吉の程近く、僅かな睫毛の震えを悟ったようなタイミングで、誰かが息を詰める音が聞こえた。
 枕元に誰かがいる。
 何者かの呼吸音、傍に人がいると意識すれば、今まで微塵も感じ取れなかった気配が途端に生々しい。ゆらゆらと頭の中で形を成す、どこか覚えのあるような輪郭。
 その正体を知ろうと、綱吉は再び目を開こうとした。最前の抵抗が嘘のように、瞼はあっさりと持ち上がった。
「………十代目!」
 途端、覆い被さる黒い影にぎょっとする。感極まったように呻くその声で見当が付いた。黒い影と見えたのは逆光の所為で、枕元、本当にすぐ近くまで顔を寄せ、獄寺は綱吉を覗き込んでいる。
「獄寺、くん……?」
「すみません……ご無事で……本当に……っ」
 獄寺の告げようとしていた言葉は中途で消えた。息を呑む音。眩しい物を仰ぎ見る時のように目を細め、眉間には深い皺を刻む。眉尻は気弱気にハの字形を描いて、唇は確かに微笑を湛えているのに、その右端が僅かに引き攣っている。くしゃくしゃに歪められた顔なのに、不思議と彼の美しさが損なわれていない。
 歓喜しているようにも、絶望に打ち拉がれているようにも見える。獄寺の表情は綱吉が今まで一度も目にしたことのない、不可解なものだった。
 大人びた雰囲気……ではない。実際に大人の顔立ちなのだ。綱吉は気付いた。未来世界へ放り込まれるという異常な体験をした際、僅かな時間だけ言葉を交わした、あの十年後の獄寺と同じ容姿をしている。
「十年バズーカ?二十四歳の獄寺……さん、ですよね?」
 またランボが寝呆けてバズーカを誤射したのだろうか。綱吉が寝ている間に?
「――いいえ」
 獄寺の表情を確認する前に、伸ばされた手に目が吸い寄せられた。袖口からちらりと覗いた白い包帯。布団の中から綱吉の手を探り当て、痛い程の力で握り締める。獄寺も怪我をしている、だが何故?
「ここは、十年後ではありません、十代目」
 ゆっくり、一節ずつ区切って語られる言葉は、奇妙なまでに断固とした響きを持っていた。
 
 
Sample2
「Signore.」
 見覚えのない少年に呼び掛けられ、綱吉はきょとんと目を瞬かせた。
 不貞腐れたようにも見える無表情なのは、面識のない人間に声を掛けることへの緊張だろう。癖の強い黒髪、やや浅黒い肌。半ズボンから細い脚がひょろりと真直ぐに伸びている。
「俺?」
 しかし綱吉には呼び止められる心当たりなどない。万国共通だろうと自分の顔を指差しつつ確認すれば、簡単にSi, と首肯される。
「黒い服のお兄ちゃんが呼んでた」
 獄寺君が?黒い麻のジャケットを着た獄寺の姿を咄嗟に思い浮かべる。それでなくとも、この街に滞在する綱吉の知り合いは一人だけである。
 
 
Sample3
「どういうことだよ、もう……!」
 絶句する獄寺君に当たり散らすだけの余裕もなく、俺は頭を抱えて机に突っ伏した。
「ドイツ支部はなんてことをしてくれたんだ!!」
 
 まさか、俺のファミリーがあんな連中を取引相手にしていたなんて!