立て付けの悪い扉を開ければ、目の合った顔馴染みのバーテンが
「相棒のかたが先にお見えですよ」
開口一番そう言った。
つい俺は腰の刀に手を遣ったが、十年来の愛刀は今もベルトにぶら下がっている。店に置き去りにしたまま一日以上腰の軽さに気付かないなど、確かめるまでもなくある筈のないことだ。
考える時の癖で顎を撫でつつ奥のカウンター席に向かえば、グラスを磨くマスター相手に愚痴垂れる、典型的な“ちょっと困った客”がいた。陽気なイタリア男のマスターは生まれつきの赤ら顔だが、こいつの場合はぐでんぐでんに酔っ払っているだけだ。俺を見たマスターは、助かったとでも言いた気に目配せを寄越してきた。
相棒……相棒なぁ。
世間的には、こいつと俺は一セットで数えられているらしい。改めて認識するとショックな事実だ。
「んー?獄寺も来てたのか」
うんざりした内心はおくびにも出さず、俺は朗らかに笑って隣のスツールを引いた。人の期待は裏切れない性格なのだ。
「………ちっ、てめえか」
俺相手にこんな態度に出て、剰え舌打ちまでするのはこいつだけだ。それで何故端から相棒だの親友だのと称されているのか謎だが、こいつのこれが気の置けない間柄らしさに見えているのかもしれない。遠慮がないというのも善し悪しだ。
「ビール」
「はいよ」
「ブランデーお代わり」
「………」
笑顔で俺にジョッキを寄越したマスターが、獄寺の注文には躊躇いを見せた。あいつお気に入りのヘネシーの瓶片手に、窺うように俺を見てくる。だから何で俺に訊いてくるんだ。苦笑しつつ肩を竦めれば、何を納得したのか言われるままに注いでやっている。
「何杯目だ?」
「……うるせー、お前には関係ねーだろ」
据わった目で睨み付けられる。全くだな。他の人間もお前と同じように思ってくれるんなら俺も楽なんだが。
「まーまー」
イタリア人にビールを冷やして呑む習慣はないが、俺の好みに合わせてこの店では常に一瓶を冷蔵庫に入れてくれている。ジョッキに次いでツマミが出てきた。クラッカーの上にチーズやらアンチョビやらをペースト状に練った物が乗っている。一口齧ると俺にはよく判らない香草の風味もする。料理がメインの店ではないが、いつ来てもそこそこ美味い物が出てくるのも贔屓にしている所以だった。
「十代目ぇ……」
カウンターに突っ伏して、獄寺がしくしくと鬱陶しく泣いている。
恨むぜ、ツナ。よく冷えたナストロアズーロに舌鼓を打ちつつ、俺もこっそりと溜息を吐いた。
 
獄寺とこの店でばったり出くわす頻度はそう多くない。一番間隔が短い時で月イチくらいか。
ボンゴレは年中無休で視察だ取引だ殴り込みだと、常に大勢の関係者が出入りしている。その中でも普段から毎日本部に詰めてる奴らは基本的に、市内のアパルトマンから国道をドライブして出勤している俺みたいな風来坊と、先祖代々麓の村に住んでるような一族ぐるみの連中とに大別出来る、獄寺以外は。
守護者クラスにもなると屋敷内に専用の仕事部屋を持っているが、プライベートの部屋まで用意させて、住み込みの使用人かボスの身内のような顔をして寝起きしているのは獄寺だけだ。ファミリーという意味では身内で間違っちゃいないが。
二十四時間仕事中も同然な獄寺を心配してツナは何度か休暇を言い渡したが、休みを謳歌する筈の当人がオフ日の朝早々にツナを起こしにやってくる始末。業を煮やして、最近では無理矢理屋敷の出入り禁止を厳命して外に放り出すようになった。それが大体月に一日。
普通の勤め人からすれば驚く程の超過勤務だが、獄寺の場合ツナと二十四時間以上離れれば死んでしまうと本人が頑なに信じ込んでいるので、言い渡す側もこの程度が限度だった。
 
ストーカーもどきから解放されて、今夜はツナも久々に羽根を伸ばせてるんだろう。
「やっぱり小僧と一緒だったのか?」
ぐいと呷れば、口の中で泡の弾ける感覚が爽やかだ。我らがボスの様子を訊けば、獄寺の嗚咽はますます酷くなった。マスターが迷惑そうに見てくるので、片手を上げて軽く拝んでみる。日本人にしか解らないジェスチャーだが、それで何となく相手に通じてしまうくらい、同じ動作を繰り返している。本当に迷惑な客だ。
ツナと小僧がどんな関係なのか、俺は正確なところを知らない。家族みたいなもんなんだろうと思うこともあるが、それだけではないような気がすることもある。
判らないといえばツナと獄寺の関係もだ。獄寺はこんな奴だし牽制のつもりなのか何でもべらべらと喋ってくるが、全部こいつの妄想じゃないかという気もして今一つ信用が置けない。紛うことなき事実を語れるのはツナ一人だけだろう。
俺が思うに、ツナの一番になる為の最大の難関はあの小僧だ。ここまでやってる獄寺だってその壁を越えられていない。だからこそ、こいつを闇討ちにしてやりたい衝動を未だに抑えたままでいられるのだが。
「十代目のお傍にいられないなら、生きてる意味がねぇ……」
んー、相変わらず気持ち悪い発言だな獄寺。救われないのは俺を含む周囲の人間大半が、獄寺みてーに口に出さないだけで、揃いも揃って物欲しげな眼をギラつかせてるってことだ。器用に立ち回れる性質でもないのに、熱い眼差しを一身に受け止め上手く捌かなきゃならないツナはとても可哀想だった。
だからツナが時々小僧に逃避したくなる気持ちも解らなくはない。小僧だけはツナが居なくなったとしても、クールに淡々と己を崩さず生きていけるだろうと、ツナはよく承知しているのだ。とはいえ理解と納得は別物なので、腹の内がもやもやするのは仕方がない。俺がこんなに想っているのに、という独り善がりな言い分は、下腹辺りで今もとぐろを巻いている。
「俺は、こんなに!あなたのことをお慕いしてるのに……ッ、一体何がご不満なんですかじゅうだいめぇぇぇぇ!!!」
それを何でもかんでも口に出しちまうのが獄寺だ。こいつのように生きられたら人生随分楽だろう。自分の知らない場所でこいつがボンゴレの恥を上塗りしてると知ったら、ツナは血相変えて駆け付けて来るに違いない。そんなのは羨ましいので報告はしないが。
「まーまー、折角の酒が不味くなるぜ?」
聞いていないと思っていたマスターが熱意を込めて何度も頷いている。
「うっせえ、この馬鹿!能天気な顔しやがって……!!」
突っ伏したままでよく俺の表情がわかるもんだ。実際もおそらく獄寺の想像通りだろうが。酔っ払いの話に耳を傾けることほど、面倒で無駄なことはない。世界中で自分が一番不幸だと信じて疑わない、悲劇ぶった野郎の話は特に。
早く酔い潰れないかな、こいつ。俺が来るまでに何杯呑んだか知らないが、様子を見る限りそろそろ限界が近そうだ。
「じゅーだいめぇ……」
獄寺の口からそれ以外の語彙が出て来なくなったら、意識が朦朧とし始めた証拠だ。何で自分が泣きながら酒かっくらってんのか覚えてるかも怪しい。
俺はそれに構わず三杯目のビールを注文した。この後も車を転がさなきゃならないので、強い酒は呑めない。獄寺が完全に寝入ったら、こいつを担いで毎月この日しか使わない獄寺名義のアパルトマンに放り込んでくるのが、俺の本日最後の仕事だ。
本部を出る直前に見た、俺に合鍵を渡しながら
「獄寺君のことよろしくね」
と頼んできたツナの苦笑を思い出す。片手で拝む仕草にはとても愛嬌がある。ワイングラスを弄びながら小僧は鼻でせせら嗤っていたが、俺はそこまで自分に自信を持てないので快く引き受ける以外を選べない。
報告の名目で、明日の朝一にツナの顔を見られることが唯一の特典だった。まあ今夜の払いもツナのポケットマネーから出るんだが。
そこまでして獄寺を休ませてやっても、泣きながら自棄酒呷ってそのまま寝ちまって明日はおそらく二日酔いでのたうち回って、そして二十四時間が経てば目の色変えて本部に帰ってくるのだ。獄寺の為を思うなら、寧ろそんな休日ない方が良い。
そう注進しないのは――
「だって俺、ツナの味方だし」
ボスの意向に従っているだけで、獄寺への嫌がらせという訳ではない。多分、きっと。
真の相棒たる腰の愛刀に語り掛けながら、俺はついでにもう一杯だけボスの奢りで呑むことにした。
隣の獄寺はとっくの昔に眠りこけている。
 
 
 
 
 
Allora.