寝やがった。
たかがワインをグラスに一杯引っ掛けただけのクセして、あっさり寝ちまいやがった……。
天下に名の知れたヒットマンは怒りを覚える前にいっそ愕然として、ソファの背凭れに頭を預けすぅすぅと寝息を立てる不肖の弟子を凝視した。
そもそも、例年の如く日付を跨いで二人の誕生日を祝おうと切り出したのはツナの側である。渋々の態を装い、その実弟子の生まれた年のボトルを予め用意していたリボーンの立場たるや一体。
普段のザルっぷりは演技か?それとも今のが演技じゃねぇよなテメエ……。
混乱の余りの自問自答は、しかし綱吉が完全に寝入っていることを判別出来ない筈のないリボーンにとっては虚しいばかりだ。
機嫌良くかんぱーいなどとグラスを鳴らし、景気の良い調子でぐいと一杯目を飲み干すのをリボーンは止めなかった。この弟子が童顔に見合った幼さで振る舞うことは別段珍しくない。ただでさえ威厳に欠けるボスではあるが、見せる相手を選んでいる限りは、ささやかな甘えを許してやるくらいの度量は持っている。
しかし一旦テーブルに置かれたバカラのグラスに、リボーンが次の一杯を注いでやろうとすれば、
「ごめん……ちょっと限界……」
あまり酔いも見えない白い頬で、しかし瞼を半分以上閉じた半眼の綱吉に制止された。そしてそのままことりと首が仰向く。何の前触れもなく、正におやすみ三秒と呼ぶに相応しい早業で誕生日のリボーンは放置されるに至った。
多少の甘えは許してやるが……これは……。
どちらかといえば完璧に侮られている、或いは男として見られていないといった話ではないだろうか。一気に虚しさが襲ってきた。
この恨み如何で晴らさん。ごそごそと油性ペンを取り出した(どこに仕舞ってあるかは企業秘密だ)リボーンは綱吉の座る向かいのソファへと席を移した。惰眠を貪る馬鹿弟子の隣に腰を下ろせば、スプリングが撓んで座り心地の良い皮張りのソファの座面が沈む。僅かな傾きに従って綱吉の体はゆっくりと倒れ、リボーンの肩に頭を凭せる形で再び安定した。
全くもって警戒心が足りない。より居心地良い角度を求めて無意識に擦り寄ってくる弟子を見下ろし、リボーンは溜息を吐く。確かに昔から寝汚い奴だったが。
二人きりの静かな部屋では、アンティーク時計の針が進む音と、綱吉の微かな寝息だけが響いている。軽く開いた唇のあどけなさは、中学生の頃と何も変わらないように思えた。ペンを机の上に置けばかたりと硬質な音がしたが、綱吉は目覚めない。
勿論綱吉は十四歳の少年ではないし、ここは漫画やゲームやCDディスクがごちゃごちゃと乱雑に散らばる、日本の狭い子供部屋でもない。眠気は全くなかったが、綱吉を寄り掛からせたまま、リボーンも目を瞑ってみた。
あの頃は一身上の都合で綱吉より早く就寝していたが、昔から寝汚い少年だった綱吉は朝なかなか起きることが出来ず、教え子が遅刻しないよう叩き起こすのが家庭教師の日課だった。赤子の姿をしていても根っからの兇手であったリボーンは、寝ている間も同室で眠る少年の息遣いを今のように感じていた。慣れぬ気配が落ち着くものに変わり、空気のように馴染むまでの時間はどれくらいだったのだろう。人の出入りの絶えない騒がしい家だったが、一日のうち数時間だけ、少年とリボーンは二人きりでいた。
綱吉の頭が滑り落ちないよう肩を抱いて支えつつ、身を乗り出したリボーンは手近にあった綱吉のグラスへワインを注いだ。宝石のように精緻なカットが深紅に染まる。仕方がないので、誕生祝いは一人で続行することにした。もうすぐ日付も変わることであるし。
あの頃はこうして抱き留めてやることも出来なかった。不満など感じたことはなかったが、お前の…お前達の呪いを絶対に解く、と断言した綱吉の瞳を前にして心が震えた。この自分が、教え子の言葉を一片たりとも疑わなかった。その結果、二人は今こうしている。
寝入った綱吉を傍らに置いて、それから一時間ほどリボーンは一人酒盛りをした。
気付けば何時の間にか時計は翌日を指していたので、手の掛かる教え子を寝床に運んでやることにした。続き部屋の寝台の上には、リボーンが用意していた綱吉の年齢と同じ本数の薔薇が束ねて置いてあったが、横抱きに運んできたボスを下ろすのに邪魔であったので、脚を使って蹴り落とす。
改良品種の蒼い薔薇は女達に贈れば珍しさから大層喜ばれたが、綱吉の雰囲気にはあまりそぐわない。寝台の下に哀れっぽく転がる花束を見下ろし、ちらりと後悔が過った。
ワイシャツとスラックスの姿で、くたりとシーツの上に横たわる綱吉の手足は、既に少年のものではない。夕食の後も、十一時近くにリボーンの待つ部屋に戻るまで、ずっと執務室に籠もっていた。通常業務に加え、抗争の後始末があって近日は目の回るような激務なのである。
いつもは愚痴と弱音だらけの駄目ボスが、明日は笑顔で皆に祝われてやる為に、文句一つ言わず二日分の書類に目を通している。その為に家庭教師様の誕生日を蔑ろにされるというのは非常に不本意ではあるが、疲れた笑顔で安堵したように戻ってきた綱吉を見れば、何も文句は言えなかった。例え早々に脱落されたとしても。
「Buon compleanno! Il mio caro rosa.」(誕生日おめでとう!俺の可愛い薔薇)
リボーン自身、家族に対するような情愛は確かに持っているのだ。本人に向かってなど、口が裂けても一生言うつもりはないが。シャツのボタンをいくつか外し、風邪を引かないよう上掛けをかけてやる。リボーンは子供を寝かし付けるみたいにして、綱吉の額に口付けてやった。
翌朝目覚めた綱吉は、一つ布団で身を寄せ合うように眠っている家庭教師に驚き、顔を洗おうと入った洗面所で落書きの限りを尽くされている己の顔を発見したことで二度目の驚きに見舞われた。
「リボオオォォォォォォォォォォン!!!!?」
怒りに満ちた絶叫に、狸寝入りを決め込んでいたリボーンはベッドの中で爆笑を堪える。
この馬鹿弟子。誕生日の主役を、羽子板に惨敗した奴みてーな顔でパーティー会場に連れて行く筈がないだろう、お前。
これ見よがしに洗面所に置いてある油性ペンではなく、落書きに使ったのは化粧品のアイライナーだ(何故持っているかは企業秘密だ)。クレンジングを使えば簡単に落ちることは、慌てふためく様子が面白いので暫く教えてやるつもりはない。