轟音と共に、紅蓮の舌が鞭のようにくねる。その古びた倉庫は瞬く間に炎の渦に呑み込まれた。
倉庫に積み上げられていたのが爆薬の類であれば、彼らもこの場に身を潜めようと考えなかっただろう。麻袋の口から零れんばかりに姿を覗かせていたのは大量の小麦粉で、恐らく、最期の瞬間まで誰一人警戒心を抱かなかった。
粉塵爆発。敵対ファミリーのボスと幹部、乳飲み子を含むその妻子計43人の命は、呆気なく消失した。
目の前の光景が俄かには信じられず、倉庫の周囲で主らを守ろうとバリケードを築いていたマフィオーソ達は、急な展開に付いて行けず、一様にぽかんと目を見張っている。先まで騒々しい程だった銃撃音が、今はぴたりと止んでいた。轟々と燃え盛る火炎は圧倒的で、何処か神聖な美しさがある。
 
「武器を下ろしてください、雲雀さん」
炎の緋色に益々煽られていた原初的な興奮を宥め、雲雀は素直に手を止めた。鋭い一振りで付着した血を落とし、トンファーを構えた腕を下ろす。
闘争は雲雀の快楽だ。だが綱吉にとって殺人は苦行だ。雲雀の主は根本的に死を厭う。雲雀は逆える立場にいない。
自動車や警察から横流しされたジェラルミンの盾を掲げ、敵の築いたバリケードがこの場所だけ破られている。円錐状に生じた無形の道を悠々と歩み、先端に佇む雲雀の傍らまで綱吉は一人進み出た。
「君達も武器を捨てて?」
今し方まで対峙していた男達に、柔らかく微笑みかける。
一切の敵意も威圧感すらない呼び掛けに、呆然としたままのマフィオーソ達は敵のボスに武器を向けることも忘れ、正気を失った木偶のようにただその姿を眺めている。
「君達に死ねと命令する人間はいなくなったんだ。もう誰も、君達がこれ以上傷付くことを望んじゃいない」
がちゃりと、最初に銃を取り落としたのは誰だったか。その音を合図に、次々に投降の意を示すように男達は各々の得物を投げ捨て、その場に膝を付いた。
大きくもない声が隠々と染み込むように、直接耳にしていない者にまで伝播していく様を、雲雀は冷静を保った唯一人として眼に映す。
綱吉は、手近にいた一人に目を留め、薄汚れたその男へと手を差し伸べた。今し方雲雀のトンファーで薙ぎ倒され、しかし頭蓋を割られずに済んだ幸運な男だ。
「真っ当な職に付きたいなら、ボンゴレが全力で応援するよ。俺と一緒に来てくれるなら、今から俺達は愛し合う家族だ。君達の幸福を、俺は心から願う」
綱吉の細く滑らかな手を節くれ立った両手できつく握り締め、生半可な生を歩んで来なかっただろう屈強なマフィアの男は、無力な幼子のように嗚咽を洩らした。黒煤や流血で汚れた頬を、流れる涙が洗い落としていく。
何時からか、綱吉の言葉は人の心を動かす魔術じみた力を持つようになった。
耳障りの良い言葉の全てが、真情から発されたものであることを雲雀は知っている。如何なる術か、綱吉のことなど何も知らぬ相手にすらその心を伝え、誰もが綱吉にひれ伏すことになるのだ。偶々声を掛けられる栄誉に浴したその相手を、雲雀は情報部の調書で見たことがある。気にせず雑魚と思い殴り飛ばしていたが、確か件の組織では主流派に属しておらず、しかし末端への影響力の強い下級幹部である。綱吉も調書を読んだ筈であるが、しかし態度には微塵の作為も見えない。
その手に縋る男だけでなく、方々から啜り泣きが聞こえてくる。完全に、彼らの心は綱吉の手に落ちた。
 
「ボス。……こちらの死者は無しです。重傷者は十八人ほど出ましたが、救護班が担いでって今手当てしてる最中です」
「そう、良かった。またお見舞いに行くよ」
現場指揮の部隊長による報告を聞き、綱吉は安堵したように顔を綻ばせる。この規模の抗争にも関わらず、味方だけでなく敵の死傷者すら驚く程に少ない。
戦力は当初よりボンゴレの方が多かった。抗争というより鎮圧といった表現の似合う局面。どの道勝利は疑いないところだったが、陣頭に立った綱吉は数に任せた包囲を禁じ、一ヶ所の守りを敢えて手薄にするよう指示した。完全に逃げ道を塞げば、追い詰められた敵は死に物狂いで抵抗し、こちらの被害も甚大となる。
綱吉の目論み通り敗色が濃くなると、敵ボスと取り巻きは部下達を盾とし、包囲の薄い方面へと逃走を図った。合流した妻子らと共に、予め綱吉が用意した舞台へと逃げ込んで、……一巻の終わり。グローブの指先から放たれた小さな火種が、雲雀の特攻で生じた間隙から倉庫の扉の間を潜り、空気中を飛散する小麦粉に引火して。
あとは予定調和。
「さあ、俺達の家に帰ろうか」
眼前の男を立ち上がらせつつ、綱吉が周囲へと笑顔を振り撒く。途端、敵味方の別なく其処此処から歓声が上がった。降伏した側からすれば捕虜として連行される状況だが、彼らの表情には長い旅を終え我が家へ帰るような、安堵と喜びが満ちている。
組織はこのままボンゴレに吸収、再編される。今までの遣り方から推測すれば、綱吉はある程度の自己裁量を認めた上で旧来の仕事に当たらせる腹積りだろう。何人かお目付け役を送り込むのは当然だが、事後処理に関する話に雲雀の出る幕はない。綱吉が右腕の犬辺りと話し合って決めることだ。
早くもボンゴレの一員となりつつある彼らの頭に、焼け死んだ旧主は既に存在しない。大して良い主でもなかったろうが、明らかに異常な精神状態だった。……気味が悪い。
 
闘争は雲雀の快楽だが、綱吉にとって殺人は苦行だった。根本的に死を厭い、しかしこの座にある以上は日々流れる血から眼を逸らせない運命であると悟って、以来。
綱吉は最小の死者で最大の結果を出す為の方法を模索し、独力で技術を磨いた。
薄汚れた石塊をひたすら研磨し、綱吉は己の精神から輝く貴石を取り出した。何時からか、雲雀の主は人の命を奪う代わりとするように、人の心を思うがままに操ることに天才的な手腕を発揮するようになった。會て彼をこの座へと導いた師と非常によく似た手法であったが、しかし決定的に違う。意識せぬまま、綱吉は己の心すら道具のように操っている。
足を止めたままの雲雀を不思議に思い、部下に囲まれ歩き出した綱吉が後方を顧みる。その顔には、焼け死んだ43人を悼む様子はない。
本来の綱吉はこうではなかった。ちらと過る不安に似た感情を振り捨て、雲雀も己のボスの後に続く。綱吉は誰の前にも立ち、誰に対してでも手を差し伸べる。そうであっても、ボスの隣に立つ権利を与えられているのは雲雀の他、数少ない幹部だけである。
ふと炎の照り返しを受けた横顔が剣呑な色を帯びた気がした。雲雀の気の所為、もしくは願望だったかもしれない。
ひたすらに身を削り、鋭利な輝きを放つに至った綱吉が殺意を抱くのは、唯一人に対してのみだった。
その特別な一人となれなかったことを、雲雀はとても残念に思っている。
 
 
 
 
 
Allora.