逃亡の算段を考えていた。
この期に及んでの巻き返しは難しいだろう。この身一人が逃げ切れるかも正直覚束ない。
「不様な姿だね、山本武」
野球に例えて言うなら相手チームのコールド勝ち寸前、マウンドに立ちボールを握る俺の指先はそろそろ感覚を失いつつあるが、控えの投手は不在。おまけにバットを構えるのは猛禽の眼を持つ四番打者ときた。
「よ、ヒバリ」
扉口に凭れ掛かり、何時からいたのか雲雀恭弥は俺の挙動を窺っていた。幸いと言うべきか、俺の動揺は面に表れていないと思う。
この展開を全く予想していなかった訳ではないが、俺はどうしてもこの事務所に立ち寄る必要があった。
「君が隠匿してた武器庫は右腕が既に押さえてるよ。部下は殆ど降伏して、従わない者は全員射殺した」
獄寺はこの年月で身に付けた冷静さをかなぐり捨て、今頃獣のように怒り狂っていることだろう。付き合いの長さの産物か、悪罵の台詞まで何となく想像が付いてしまう。
それに引き替え、雲雀の顔には怒りも軽蔑も浮かんでいない。圧倒的な無関心の中、僅かに面白がるような気配が漂っているだけだ。俺個人に対する好悪の情は窺い知れない。
「君は誰かの下に付くことの無理な人種だと思ってたよ、最初から」
「ははっ、それはお前のコトだろー?」
「うん。僕は誰の命令も聞く気はないよ。君なんか死のうが生きようがどうでもいいんだけど」
それはその通りだ。ボンゴレの有力な幹部と目されていながら、実際の雲雀は殆どファミリーの任を負わない。ツナは仕方ないと苦笑して大抵は雲雀の好きにさせている。雲雀のすることにはボンゴレの利益になることも不利益になることもあったが必ず破壊が付いて回り、ツナは命令は下しても結果については半ば諦めている節がある。
「綱吉は泣いていたよ」
表情には微塵の変化もなく、しかしその名を口にする瞬間のみ、雲雀の語調は僅かに険を失った。
俺は雲雀とは違った。
「君を過信しすぎて追い詰めてしまったって自分を責めてた。ボロボロ泣いて、それで尚更右腕は怒髪天。今頃血眼で君の行方を探しているだろうね」
俺が取り仕切る事務所の一つ。俺達の他に人の気配はない。車で乗り付けた時は出迎えの連中がいたから、既に逃げ出したか雲雀の餌食となり屍を晒しているか。二大幹部と祭り上げられようとも、末路はこんなものに過ぎない。
ここへ寄ったのはどうしても置いて行けないと思ったからだ。時雨金時。ボンゴレ開発部の量産刀ではなく、最後に俺が欲したのは親父から譲られた流派の古刀だった。
「……で、ヒバリ。ツナはお前に何て言った?」
気紛れのような俺の寄り道。自派閥の総力を挙げて俺の行方を追っている獄寺。単身、あまりにも早く現れた雲雀。全て見透かすように、先回りを指示出来るのは異能を持つただ一人。
「君を逃がせってさ」
溜息混じりに肩を竦め、心底茶番だとでもいうように雲雀は吐き捨てる。今度は我ながら自然な笑顔を浮かべることが出来、そして俺は手に持つ愛刀を上段に構えた。
「……僕個人としては、君が死のうが生きようがどっちでも構わないんだよね」
相手は中学からの先輩だ。黒髪の日本人が二人対峙して、しかし交わされるのは流暢なイタリア語、何たる皮肉だろう。
雲雀も身を立て直すと、両手にトンファーを構えて俺に向き直る。猫科の獣のように上体を低くし、いつでも飛び掛かれるような態勢。嘲笑か昂揚か、俺も似たような嗤いを口元に浮かべているに違いない。
屈辱に甘んじ地を這いずって生きるより、すぐに自暴自棄になり破滅を望むタイプの人間だ。精神力の面において、俺はどこまでもツナに及ばない。
期待に応えられず重責を背負いきれなかったのも、組織の法度に手を出し裏切り者として不様に死んでいくのも、全てが自業自得だ。
雲雀が床を蹴り、鋭く打ち掛かって来る。刀身で攻撃を受けた途端、俺の胸には喜びが溢れ、全ての思考を眼前の戦いだけで塗り潰した。