雲雀さんと護衛。
この世に是程ミスマッチな取り合わせが存在するだろうか。するにしてもされるにしても。
しかし有り得べからざる両者は何の因果か奇跡の邂逅を果たし、今現在の雲雀さんは俺の護衛として某パーティー会場なんかにその身を置いている。
……パーティー!よりにもよって!!
うわ、眩暈がしてきた。シュール過ぎやしないかこの状況。
「どうしたの。貧血?」
ふらつく肩を支えてくれるのは有り難いが、惰弱な俺を咎めるような語調が恐ろしい。
「いいえっ、大丈夫です…」
「あっそう」
即座に手を離され、思わず安堵の息を吐く。えーと、別に迷惑って意味じゃなくて。ボスと守護者という立場はお互い定着してきたけど、この人を顎で使うに際し、未だ俺は平常心でいられない。
「あの、何か食べてきていいですよ?」
「あのちゃらちゃらした群れの中に突っ込めと?」
「ですよね!」
やたらとギラギラした眼で睨まれ、小心者の俺は震え上がる。俺の顔を見覚えていない人の目には、どっちがボスか判別出来ないんじゃないだろうか。そもそも、俺だってこんなパーティー出たくもないのだ。無闇に華やかで豪勢なこんな場所、素ではとても居たたまれない。
営業中の俺は大ボンゴレの看板そのものなので、いくらこれが立食パーティーで俺が空きっ腹を抱えてようとも、カウンターに並んでる美味しそうな牛フィレ肉やオマール海老にがっつくことは許されない。楽しくもないのににこにこ微笑んで、ドン・ボンゴレに渡りを付けようと近寄ってくるお歴々に当たり障りない相槌を打つのが、今夜の俺の仕事なのだ。
不幸中の幸いなのは、主催のファミリーはうちより結構な格下なので、やはり体面の関係から遅めの参加、早めの退場が予め決まってることくらいか。エカトンベファミリーとは多少の取引があるので、この規模の集まりには顔を出さねば義理を欠く。かといってあまり礼儀正しくても威厳を損なうらしい。面倒臭い世界だ。
「いつまでその変な顔してるつもり。気持ち悪いよ」
「もう少しの辛抱ですから……」
したくてしてる訳じゃないんですよ!などとこの人相手に八つ当り出来る筈もない。雲雀さん曰く「変な顔」らしい引き攣り笑いを張り付けたまま、斜め後ろに立つ人を顧みた。
あまり多弁ではないこの人が頻々に話し掛けてくるのは、そろそろこの状況に飽きてきた証拠だ。俺一人放置して帰るなら許容範囲でも、万一他家のパーティー会場で暴れられたりした日には俺の営業努力も水の泡。それだけは勘弁して下さい……!
「つまんない……」
「もう少ししたら帰れますから!」
俺から主催への挨拶は既に済ませてある。ひっきりなしに訪れてはボンゴレの仕事ぶりを褒めそやしたり年頃の娘の話をしていく群れも(雲雀語が伝染った…)、怒濤の攻勢に一段落ついたところだ。帰る為には、メインディッシュを残すだけ。
小声で念押しする俺を凝と見詰めた雲雀さんは、やがて大きく溜息を吐いた。如何なる納得をしたのか知らないが、飲み物を配り歩く給仕を物憂げな声で呼び止めている。この人も食事は摂ってない筈だけど、酒でも口にすれば多少気も紛れるんだろうか。
「……何?」
あ、やば。
「いえ!あ、俺にも同じのくれないかな?」
訝しげな雲雀さんから慌てて視線を離し、給仕に話し掛けた。危ない、いつも獄寺君が毒味したグラスを手渡してくれるから、うっかり待つ態勢になっていた。そんな献身的な雲雀さんは想像が付かないっていうか気持ち悪い。俺が万一毒に倒れたら、そこの壁を破壊する勢いで病院まで連れてってくれるとは信じてるんだけど。
「だから。さっきから何、じろじろと」
「……えっと、俺そんなに見てます?」
自覚はなかったけど、確かにさっきから事あることに振り返ってはいる。雲雀さんがいつ暴れ始めるか気が気じゃないからだけど。
「見惚れてる?」
「なっ!」
違いますよー!?
俺は慌ててぐりんと広間の方に向き直ったが、その動揺ぶりがなかなかお気に召したらしい。「ふぅん」とか万更でもなさそうな呟きが斜め後ろから聞こえてくる。骸ほど変態っぽくないから忘れがちだけど、この人も結構なナルシストだな!
……まあ、確かに雲雀さんは格好良い。漆黒を基調にした東洋的な容姿は硬質の宝石みたいで、挨拶に来ていた連中も男女問わず、俺の隣に凛然と控える雲雀さんをちらちら伺い見ていた。ちんくしゃな俺を観察するよりも、余程目の保養になったことは疑いない。
「君と二人っきりなら、こんな時間も悪くないのにね」
「そんなパーティー不気味ですよ……」
俺を暇潰しの道具にするのは一向に構わないが、何やら変なスイッチが入ってしまっている。まさかシャンパン一杯で酔ったんですか?ああああ空きっ腹にアルコール流し込むから!
小さく忍び笑いを洩らし、雲雀さんは俺の項をするりと撫で上げる。グラスを持ち替えたばかりの指先はひやりと冷たい。
「ッ!」
「ねえ、ちゅーしない?」
「人前ですよ……」
「へえ、気付かなかったな。何処に人が?」
さり気なく距離を詰められ、耳元に囁かれる。
この人は顔だけじゃなく声も良かったんだった。人の集まる所では大抵むっつり黙ってるから、これは身内しか知らない情報だ。こんなシチュエーションで思い知りたくなかったけどね!!
自分まで妙な気分になってくるのを堪え(あの酒ヤバい薬入ってなかったよね!?)俺は必死で他の話題を探す。えーとえーと、何かないかな適当な雑談ネタ……。
「あっ、そうそう、こないだゴッドファーザー観直したんですよね、三部作ぶっ続けで」
「うん?」
「中学生の時にもリボーンの奴に無理矢理観せられたんですよ。参考だとか言ってましたけど、今思えばあいつの単なる趣味でしたね、あれは」
「……ふうん、それで?」
少し不服そうに唇を尖らせつつも、雲雀さんは話に乗ってきた。どうやら本当に暇を持て余していただけらしい。リボーン絡みの話題なら結構食い付いてくるんだよね、この人。
「初めて観た時は、意外と内容が地味でびっくりしたんですよねー。なんか殺すにしても絞殺が多くありませんでした?」
「まあ、そうだった気もするな」
「マフィアっていったらもっと、銃でばんばんばーん、みたいな。イメージあったんですよ」
「……幼稚だね」
まあ、そうだったかもしれない。俺の場合アクション映画とアニメ以外まともに観たことがなかったっていう以上に、日常が銃弾とか手榴弾とかダイナマイトで溢れてた所為で感覚が麻痺してたんだろうけど。
「リボーンに訊いても、あいつ銃マニアだから答えてくれなくて」
「彼、絞める手際もかなり堂に入ってるよ」
「知ってます」
ふん、と嘲弄するような相槌と共に、雲雀さんは二杯目のグラスを手に取った。一旦口を閉じた俺は給仕の勧めをお断わりし、空いたグラスだけ回収してもらう。
今なら答えは簡単に解る。密かに始末するのに好きこのんで騒音を立てたい奴はいない。発砲音は隣近所に響くのだ。警察に手を回して揉み消すのも面倒な上に金が掛かる。
「……あのくらいの時代って、サイレンサー発明されてたんでしょうか」
「さあね」
俺の素朴な疑問に、雲雀さんは無関心そのものといった答えを返す。あんなに気が合う二人なのに、リボーンとは逆で、銃器はあんまり好きじゃないのだ。人間を殴る時の感触が快感って、ただでさえイカレた奴が多いこの世界でも大概酷い部類に入る人だ。
この間も、雲雀さんは相変わらず俺の斜め後ろに佇立し、周囲に鋭い視線を注いでいる。まあ護衛だし。
俺もぼんやりと会場の人波に眼を向けている。一見優雅な紳士淑女の集まりだ。セレブってやつ。
「トンファーって静かで良い武器でしょ」
リップサービスなのか単なる自慢かは知らないけれど、雲雀さん流に一連の話題を纏めるとそういう結論になるらしい。この人の周囲は常に阿鼻叫喚が渦巻いてて、戦いぶりを見てる分には静かな印象なんて皆無なんですけど。
「グローブも、ね」
曖昧な苦笑で明言を避けて、俺はスラックスの両ポケットに手を突っ込んだ。
「ていうか雲雀さん、あの映画観てたんですね」
「何なの今頃。そっちから話振った癖して」
天井を見上げれば年代物のシャンデリア。この屋敷自体が元はアラゴン王家の血を引く由緒正しい貴族の持ち物だったとか何とか。そこに群れ集う人々も百年前からこの場に居たような顔をしているが、実際は20年程前に始まった動乱期に乗じて伸し上がってきた面々が大半だ。
「まあ、そうなんですけど」
前歴は荷運びやら売人やら、色々。他の世界より一攫千金のチャンスが多いからこそ、薄汚れた黒社会に身を投じる者は後を絶たない。そして手に入れた成功を誇示する為に、彼や彼女らは古き良き時代の社交界をそっくりそのまま模倣する。洗練された容姿、抑制された言動。そう思えば親近感も湧くというものだ。俺だって伝統ある大ボンゴレの主、ゴッドファーザーを演じる小心者のジャポネーゼに過ぎないから。
「派手なシーンは印象にないの?」
「えーと……」
真の独創、或いは自己を保ち続けるという行為には実際酷い困難が伴う。この茶番の宴において、剥き出しの自分を曝して何憚ることないのは雲雀さん独りだけだろう。その意味で彼は孤高の人だ。
煌々と灯るシャンデリアの光、乳白色の大理石、虚飾の大ホールは真実を覆い隠す為の要塞だった。その証拠、窓の外に広がる夜は煌びやかなホールの反射光で伺い見ることが出来ない。僅かに振動するガラス窓は、生者を歴史の中に閉じ込める鏡の役割を果たしているだけで、本来の使命を忘れきっている。
「あ、派手と言えば」
俺はポケットから手を取り出した。ぱちんと指を鳴らし……たつもりが実際は全くの無音。雲雀さんに呆れたっぷりの溜息を吐かれる。恥ずかしい。
「確か2にありましたよね。会議中に敵のマフィアがヘリで……」
雲雀さんは目を細め、無言の内に仕込みトンファーを取り出す。
バラバラという独特のプロペラ音に、そろそろ俺達以外も気が付き始めたみたいだ。ざわざわと、潜めたつもりの囁きには隠しきれない不安感。この場所まで這い上がっただけあって流石の嗅覚だ。
「乱射してくるんですよね!」
ただ、絶望的に遅すぎる。上体を翻しざま俺は右手を一薙ぎ、グローブが生み出した炎を我が身と雲雀さんの周囲に展開させた。
ガラス窓の砕ける音。叫び声。ぱらららと場違いな程に陽気な機銃掃射が渾然一体と広間を覆い尽くす。
やがて柔らかいものの潰れる音、呻き声、しつこい掃射音。掃射音。掃射音。掃射音。遠ざかるプロペラ音。――そして沈黙。
今夜のメインディッシュは、こういう風に供された。
 
 
 
「……あっきれた。今時ヘリで特攻って、なんつーアナログな」
異様にがらんとした大ホール。俺の声は、自分でもぎょっとする程大きく聞こえた。
「飛んでくる途中で撃墜されたらどうする気だったんでしょうねー」
「さあね。馬鹿なんじゃない?」
淡々と応えが返ってくる。相手は確認するまでもない。雲雀さんは髪の先が少し焦げてしまったのか、頻りに毛束の先を指先で弄っている。
「ていうか絶対マニアですよね!リボーンだけじゃなかったんだ、あの映画のファンって」
ガラスの破片を踏み付けた筈が、べちゃりと、何故だか靴底は粘ついた音を立てる。この靴は廃棄するしかないか。結構高かったんだけどなあ。
カウンターは引っ繰り返り、豪勢な料理の数々はとても食べれたもんじゃない状態へと身を落としていた。薄暗くてよくは見えないけど、大理石の壁は無数の銃弾が埋め込まれている筈だ。奇跡的に生き残ったシャンデリアがぶらんぶらんと振り子のように大きく揺れ、眼下の惨状を沈痛に見下ろしている。
斯く言う俺は顎を反らし気味に、ひたすら天井の方を眺めている。足下のどろりとした物は、俺の炎が溶かした銃弾だということにしておきたい。そんな俺の欺瞞を無視して、黒っぽい何かを蹴っ飛ばしているのが雲雀さんの、……もういいや、見ないフリも疲れた。明らかに無関係なのに、可哀想な給仕さん!死者への尊厳なんて単語、この人の辞書には載ってないのだ。
「ひば、……ん………」
「ねえ綱吉。ちゅーしない?」
してから問い掛けないで下さい、そんなの。
「人なんて何処にもいないしさ?」
そう確かに。床に倒れ伏すこれらの屍は、既に人ではなく肉塊と呼ばれる類の物だった。生存者は恐らく二人だけ。不気味すぎる会場。本来の標的だけが無傷って……先方にしても巻き込まれた側からしても、どちらにせよ酷い話だ。
二度目の接吻は目を閉じて受け入れた。今回の護衛に雲雀さんを選んだ理由は一つ。守護者の内では、この人が一番人間離れした身体能力を持っている。一人二人なら一緒に守るだけの余力もあるけれど、連れて行くなら雲雀さんが一番安心だった。この人が案外素直に、大嫌いな筈のパーティーなんかに付いて来た理由は知らないけれど。
「このタイミングってことは、ペルフィドファミリーのクロは確定かぁ」
「粛清には僕も参加させてね。命を狙われたんだから、報復する権利があるでしょ?」
……これが狙い?いや、この人の思考はやっぱりよく解らない。
「前向きに検討します」
「うん。今から何か食べに行かない?お腹空いたんだけど」
つくづくタフな人だ。俺なんか今までの空腹も忘れて吐き気とかしてるのに。視覚的には兎も角、臭いがちょっと、ねえ……。
「本部に帰ったら何か出させましょう。多分この燕尾、返り血付いてると思いますし……」
一般の店には入れないこと請け合いだ。
「だったらいいよ。先に君を食べるから」
「ひゃ!」
雲雀さんは軽く、俺の低い鼻頭に噛み付いてきた。
「つまんないの我慢したんだから。ご褒美、ね?」
「も〜〜…」
接吻くらいではご褒美の内に入らないのだろうか。莞爾……というよりも、獲物を前に舌舐めずりする猛獣みたいな笑顔だ。文字通り頭からばりばりと食われてしまいそうな気がしてくる。
会場外に待機していたエカトンベの部下達が、そろそろ駆け付けてきそうな頃合いだ。逆上した彼らに変な嫌疑を掛けられる前に退散した方が無難だろう。襲撃の情報を握り潰してたんだから、完全に濡れ衣って訳でもないし。
俺が口を開く前に、何を思ったか成人男性一人肩に担ぎ上げ、問答無用で雲雀さんはパーティー会場を後にする。この状況で生死不明のまま雲隠れした日には、本部……獄寺君あたり半狂乱になるんじゃなかろーか。転がり落ちないようバランスに注意しつつ、雲雀さんの内懐に手を突っ込んでケータイを漁る。
先に手を出したのは向こう。とても便利な言い訳だ。猛獣の巣にお持ち帰りされそうな、この状況下でも有効な論法だ。
明日からはまた忙しくなる。短縮のボタンを押しつつ、俺は説得の労力と翌朝の説教を思いうんざりした。ペルフィドより先に雲雀さんの隠れ家が襲撃されなきゃいいんだけど。
内部抗争はマフィアの華。志願者が後を断たない割に裏社会の人間が増えすぎることもないのは、こーゆー新陳代謝のお陰だろう。あの人達のことは嫌いじゃなかったけど、既に顔も声も朧気だ。
「――だから、朝帰りになると思うけど心配しないで」
じゅうだいめえええええ!!?
耳が痛くなる程の絶叫に、思わずケータイを遠ざける。すかさず雲雀さんがそれを取り上げ、電源をオフにした。
「……気が済んだ?」
「はい」
月夜に向かい、雲雀さんは小さく鼻歌なんて口ずさんでる。
荷物のように運ばれながら、やっぱりこの声好きだなぁ、なんて考えてる俺も大概イカれてるんだろう。
 
 
 
 
 
Allora.