昨日は干した布団の匂いがするアンタレスと遊園地デートをしたが、帰りの電車内で振られてしまった。
仕方がないので、今日の午後はカラオケ合コンをセッティングした。失恋の痛手を癒してくれる、新たな出会いが見付かることだろう。
珍しく長く続いていたさなっぴは淡泊、良く言えば寛大な女だったが、バイトという口実すら告げられることなく、最近は音信も途絶えて久しい。完全に愛想を尽かされたのだろう。或いはロンシャンの利用価値がすっかり無くなってしまったか。
自分の好みに合致するような個性的な容姿の女など、そうそう居るものではないとロンシャンは承知している。しかし一日単位で恋人を取っかえ引っかえするような生活でも、今のところ相手に不自由したことはない。だから去る女達を追い掛けることもない。初めからネタの割れているショーに一喜一憂する必要もない。
彼女達に望むのは一つだけだ。最早名前も覚えていない、マフィアランドへ同行した女を思い出して舌打ちする。偶然居合わせた級友のお陰で慮外に楽しい思い出となったが、あのような拙劣な手際は勘弁して欲しい。
気持ち良く騙して、そして去り際は美しく。それを思えば、さなっぴは何処までも良い女だった。
昼間から堂々と学校をサボって外を出歩けるのは、例の級友のお陰だ。お陰と言うには物騒な事情で、当人はさぞ不本意だろうが。
後継を巡る抗争の為だとかで、現在の並盛中学はボンゴレに占拠されている。正確にはボンゴレの主流派に属する一派の何とかかんとかによる仕業だとマングスタは言っていたが、細かいことは聞き流していたので覚えていない。
その一派からロンシャンの自宅、つまりトマゾの日本支部にも通達が寄越されて、教え子の学業が滞ることに渋い顔をしながらも、マングスタは大切な次代の身の安全の為に学校を休むことを許可した。
他ファミリーの武装している地帯を出入りして、うっかり抗争に巻き込まれては大事である。それでなくとも他組織に見せ掛けた内部の不穏分子がどう出るか判断出来ない。
ひたすら内部抗争に明け暮れた結果、トマゾは日本における地盤の確保に消極的なままやってきたが、ここ一年半程で日本の傍系に後継の内定したボンゴレが積極的に並盛の掌握に乗り出していた。公権力や旧来の風紀委員による支配と対立しない程度の緩やかな影響力だが、トマゾの意向も問わず並盛中学を戦場に指定していることもボンゴレの力の一端だ。自分達の方針を棚に上げて、良い顔をしていないファミリーも多い。
ただでさえ敵の多い傍系後継ぎなのはこちらも同じだ。寧ろボンゴレがあっさりと日本の後継を認めていた今までの方が不自然なくらいだった。ロンシャンが最後に登校した時、級友は“風邪”で休んでいた。実際は戦いだか修業だかに巻き込まれているのだろう。日頃はボンゴレと仲良くするとは何事だと口酸っぱい癖に、マングスタは真面目な態度を見習うようにと説教してくる。少し欝陶しいが、本当の意味でロンシャンの味方であるのは愛犬の死後、あの堅物の家庭教師一人だけだ。
ロンシャン個人は級友を嫌っていない。沢田綱吉。マフィアのボスになどなりたくないと、暴力の気配に常に怯えた表情をしている。ロンシャンの美的センスに全く合致しない、貧弱で凡庸な容姿の少年。
「………あれ?」
「んん?…あっ、沢田ちゃーーんっ!!」
そんなことを考えていた所為だろうか、今思考の俎上に上っていた当人である沢田綱吉が、T字路の向こうを歩いてくるのを見付けてしまった。大きく手を振りながら駆け寄ってみれば、遠目からでもロンシャンの存在に気付いていたのだろう。交差点で足を止めた沢田は、やっぱり、といった安堵に近い面持ちで挨拶を返してきた。
「おはよう、学校は?」
「そんなのサボりサボり、これからカラオケ合コンだよーっ!そーゆー沢田ちゃんもガッコー休んでドコへ?あらあらどっこーへー?」
「え、えーっと……」
返答に窮したように沢田は視線をうろうろと彷徨わせる。ロンシャンが事情を知っているとは思いも寄らないのだ。大体沢田の足を向ける先は町内でも外れの方角で、裏山くらいしか行き先もないというのに。
しかも服に隠れない範囲だけでも、沢田の全身が細かい傷だらけになっていることを視認出来る。少なくとも、風邪を引いて休んでいる病人の姿には見えない。
全く無関係の人間ですら不審を抱くような狼狽ぶりで、助けを求める風に沢田の視線は傍らの家庭教師に向けられるが、ぴかぴかと目を光らせたアルコバレーノは民家の塀から教え子を睥睨するのみで、全くフォローを入れる気配がない。
「あの、沢田殿?この者は……」
代わりに合いの手を入れたのは、半歩後ろに付き従うようにしていた同世代の少年である。慌てる沢田を見かねたというよりも、純粋にロンシャンの存在を疑問に思ったらしい。濃い色の碧眼にうっすらとした警戒が宿っている。立ち位置から何から、同じく級友である獄寺と何処となく共通している。ボンゴレの関係者だということは一目で知れる。
「あ、バジル君。この人は俺と同じクラスの……」
「トマゾファミリー8代目の内藤ロンシャンでーっす!今後ともよろぴくよろぴく!!」
沢田の紹介を遮って声を張り上げれば、
「!トマゾ……!!」
因縁あるファミリーの名を聞いて、敵愾心も顕に細い眉を吊り上げる。案の定ボンゴレの関係者らしい。
「ねえ沢田ちゃーん?そのバジルちゃんって指輪守護者なのー?」
「バジル君は違うよ……って、ええぇえ!?」
ふぅんそうか、違うのか。頷くロンシャンの様子にも気付かず、沢田はふるふると小刻みに震えつつこちらに指先を向ける。
「何でロンシャンが指輪のこと知ってんのーー!?」
「……このアホが」
黒衣の家庭教師が呆れた風に帽子を手で押さえた。次いで
「あだっ!」
ひらりと塀から飛び降りがてら、容赦なく教え子の頭を殴り付けて、軽やかにアスファルトに着地する。相変わらずのスパルタぶりだ。
「沢田殿!?」
そんな家庭教師の暴力に慣れていないのか、バジルとかいう少年は心配そうに頭を抱える沢田へと寄り添うが。沢田とバジルが並ぶと、二人の背格好が同程度なことが見て取れる。同じような、性を感じない華奢な手足。容姿に共通点はないのに、端正な双子人形のような印象。
「…そっかー、ロンシャンも知ってたんだ、争奪戦のこと」
「ぴーすぴーす!もっちろん俺は沢田ちゃんのこと応援しちゃってるからねーっ!!」
「あはは、ありがと」
実はこれから修業なんだ、と言わずもがなの補足をして、沢田は含羞んだように微笑を浮かべた。ロンシャンが想像していたよりも、悲愴感や嫌悪感はないようだ。ふうん、と思う。ふうん、そっか。
「ねえ、沢田ちゃん」
「何?」
「俺にも指輪くんない?」
言われた当人よりも、傍らで様子を伺っているバジルの方が驚愕に目を剥いた。当然だ、トマゾの次期ボスだ。アルコバレーノの表情はロンシャンには読み取れない。
「……ーっと、」
言われた沢田は暫らく首を傾げていたが(まさか本当に検討していたのか?)、やがて幼げな仕草でふるふると首を横に振った。
「やっぱ駄目。指輪配ったのって俺の父さんだから、誰なのか知らない所持者とかもいるんだけど」
沢田がそれを口にした時、バジルが眉間に僅かな皺を寄せた。彼は謎の誰かの代わりに、沢田を守れる指輪を欲しいと思っているのだろう。ロンシャンよりもずっと切実に。
「でもみんな俺のことを守ってくれると決めて、俺もその人達の力になりたいと決めたんだ。だから簡単に譲り渡すとか出来ない」
柔らかな口調の中に、固い覚悟が滲んでいた。沢田の身に降り掛かっている出来事の詳細をロンシャンは知らないが、この数日で彼はとても成長したのだろう。気弱そうな、貧弱な外見はそのままなのに。
「かぁっこいー…」
滑稽なことながら、拒絶されて初めて、守護者の指輪を本気で欲しいと思ってしまった。
数日ぶりに会った沢田は、非常にロンシャン好みの、個性的な男になっていた。柔々とした雰囲気と強固な芯とが絶妙に混ざり合い見る者を自然と惹き付ける、マフィアらしからぬマフィアのボス候補。彼に率いられたファミリーは一体どのようなものになるのだろう。
「……あちゃー!ざーんねんっ!フラれちった!!」
ロンシャンがおどけた仕草で額を叩くまでに数瞬の間が出来てしまったが、幸いに沢田は不自然さに気付かなかったらしい。
「でも応援してくれてありがとね、俺達絶対に勝ってみせるから!」
以前の沢田なら考えられない強気の発言を残して、彼らはロンシャンを残して修業場へと行ってしまった。
友好的な沢田の態度を見て敵愾心を無くしたらしいバジルは兎も角、去り際にちらりと振り返ったアルコバレーノの真意は多少気になる。敵対ファミリーの幹部になりたがったなどと、万一マングスタに露見すれば大目玉を食らうこと間違いない。
最初から沢田の勝利を願っていたに決まっている。でなければ何の為にボンゴレの次期ボスに近付いたのかわからないではないか。半年以上様子を見て、間違いないと判断したからクラス替えを機に沢田綱吉へ接近したというのに。これで沢田が敗北するようなことがあれば、友人と目されているロンシャンはボンゴレとトマゾの双方から睨まれることになる。
「……まあ、だからこそ賭け甲斐もあるんだけどねっ!」
ハイリスクであるからこそ、ハイリターンの見込める賭だ。恐らく平和な日本の中学生でしかない沢田の立場は、現時点で非常に弱くなっている。一番苦しい時期に大っぴらに味方すれば、情に厚い沢田はその恩義を忘れない。
沢田がボンゴレを掌握した暁には、その威を借りる形でロンシャンのトマゾ継承も至極スムーズとなるだろう。後継者としての立場が弱いのは、何も沢田一人だけではない。内部の抗争だけに目を向け、ボンゴレの足場が揺らいでいるこの時期に勢力を伸ばす余力すらない、トマゾの先行きは決して明るいものではない。現状維持に利点はないのだ。“ご学友”の自分なら沢田と対等に渡り合って、ボンゴレに吸収されない自信もある。
「あー…カラオケめんどくさくなってきちゃったなぁー」
どうせ待っているのは予定調和の出会いと別れだけだ。
第一、友人が傷だらけで頑張っている最中、自分だけがへらへら遊び暮らしているなんて何だか格好悪い。パンクは努力を嫌うが、同じくらい美学を大切にする生き物でもあるのだ。一つ頷いて、ロンシャンは尻ポケットから携帯電話を取り出した。
「もしもーし、マングスタ?俺だけど今からウチ戻るよん!カラオケは中止ちゅーし!あのさあ、ちょっとやりたいこと出来ちゃってー…」
帰宅したらイタリア本国に連絡を付けて、トマゾファミリーの沢田綱吉支持を提案してみる。一家挙げての声明が無理なら、ロンシャンの派閥だけでも構わない(まあロンシャン支持層自体が幾つにも分かれて反目し合っているのだが)。
「うーっ、ワクワクしてきたあ!!」
勢い良く拳を振り上げれば、身に付けたアクセサリーが軽やかな音を立てる。物事に悲観的なロンシャンにして、久しぶりに目の前が明るくなるような昂揚感だった。