若さとはそれ自身が力である。
安っぽい青春礼賛、俗界の風潮を盲目的に肯定するのは僕の主義ではない。
些か特殊な事情と境遇とを持つ僕は、物心付いたその時から生に倦み飽きた老人のようであった。無数の転生の内には今より悲惨な生とて存在したし、仮初めの肉体に固執する無意味さとて承知している。
でありながら、僕の青春は復讐に捧げられた。
動機は既に覚えていない。大した意味もない気紛れだったのかもしれない。単に力を振るえる口実が存在した、それだけのことかも。
今生の僕をたまたま取り巻く環境であったマフィア――秩序の破壊を志向し、渡った日本で出逢ったのは彼だった。
十年以上も前になる。
未だ二十代の充分に若いだろう肉体を持ちながら、まるで遠い過去のように当時を振り返る。
容易く移り変わり忘却する人間の感情の中で、最も強く刻み付けられるものが怒りと憎しみの念である。
でありながら、復讐心を持続させる為には多大なエネルギーを消耗する。
青春とは情熱である。
あの頃を若かったと評するのはそれ故だ。
彼の姿が此処に現れることを確信しつつも待望していた。
パレルモ近郊の屋敷、石壁の半ば崩れかけた最上階のこの部屋からは、美しき紺碧のティレニア海が一望の下に出来る。
以前の持ち主はこの一帯を縄張りにするマフィアのドンだった。そのファミリーを滅ぼしたのは僕の仕業ではない。
最初の邂逅に敬意を表し、彼と対峙する場所は常に廃墟と決めている。
扉も残っていないので、階段を昇り詰めた彼の姿がこの位置からもよく見えた。振り向いた彼の方でも簡単に僕を見付け、迷いない足取りで曾ては広間だったらしき空間へと踏み入ってくる。
「クフフ、お待ちしていましたよ、ボンゴレ」
「ご無沙汰してます」
言葉だけは旧知への挨拶らしく、彼は真直ぐに僕を見据える。
儀式のように幾度も繰り返す度、密かに僕は失望している。まるで朝、目を覚ました時のように。
仕立ての良い丁子色のスーツに身を包む彼は余りにもマフィアだった。
かつて怯えた小動物のようだった澄んだ眼差しは、今は威厳と哀れみと僅かな懐旧を湛えて僕へと向けられている。その透明さだけは往年と変わらない。
「全くがっかりです。君、何でマフィアなんか続けてるんですか」
「何故って言われても……、初めて会った時から俺はマフィアの後継者でしたよ?」
困ったように彼は苦笑する。まるで頑是無い子供に対するように。
彼との逢瀬を演出する舞台は年々見付け難くなっている。
特に市内では人目に付かない廃墟などもう探せないだろう。新しい持ち主が見付かるか、さっさと取り壊して別の建物を造るからだ。ボンゴレの恩恵だった。
貧困と乏しい産業、そして82年以来のマフィア対策法。行き詰まっていたシチリアは新しい支配者の登場によって息を吹き返した。
彼は得た富をファミリー内部だけでなく地域社会にも還元した。ボンゴレから提供される資本に寄り掛かる形で経済は発展し、パレルモはイタリア大都市の仲間入りを果たした。
「君には向いてません。今すぐお辞めなさい」
「それ、いっつも言われてますよね」
それこそ初対面の時から言い続けている。彼は本来、この世界で生きるには余りにも優し過ぎる。
治安も劇的に回復した。パレルモ市とその周辺はマフィア発祥の地なだけあって大小有象無象のファミリーが密集する無法地帯だったが、今では数多の判事が爆殺されつつも果たせなかった平和にも似た情景が現出している。
この地に巣食う犯罪組織の諸々は、或いはボンゴレの傘下に入り、或いは容赦なく根絶やしにされ、ある時期を過ぎれば一つの支配者の下に弛まぬ抗争は姿を消した。
もとよりボンゴレには伝統があり、高い手腕で有名な九代目が創出した世界規模の地盤もあった。しかし彼の軌跡を具に観察してきた僕には確信出来る。彼は類稀なる皇帝だった。
日の沈まぬ帝国の版図は他の王侯と違って通常不可視だが、シマ、縄張り、下品な言葉で表せる影響力の色分けと分布は、ボンゴレ本拠の屋敷でなら地図として目に出来るかもしれない。
曾て僕がその地位に目を付け夢想した通り、若しくはそれ以上のやり方で彼は着々と裏側から世界を支配しつつあった。
「確か君も嫌がっていたでしょう。僕に任せてくれれば何時だってそんな檻、壊してあげられるのに」
「俺の身体に憑依して……ですか。悪いけど遠慮しときます」
そして彼の前に立ち塞がる僕は宿命のライバルなどではなく、余りにちっぽけであるが故に目溢しされている羽虫に過ぎない。
「君の理想は無意味です。
あの家庭教師に何を吹き込まれたかは知りませんが、恩顧=庇護主義の名誉なんてまやかしに過ぎない。搾取と暴力と恐喝がマフィアの本性だ。
とうに思い知っているんでしょう?君が行使しているのは秩序などではなく、恐怖による支配です」
曾て彼は少数の仲間と無限の可能性だけを持つ、とても無力な少年だった。そして今や彼は莫大な富と権力を手に入れ、同じだけ多くの物をその手から失った。
今も昔も、最初から僕は殆ど何も持っていない。
「最終戦争に勝利しさえすれば恒久的な平和が訪れる?まるで合衆国の言い分ですね。今時5つの子供でも鵜呑みにしたりしませんよ。
君が完全に裏社会を掌握したとして、血に飢えた兵隊達はその後どうなるのです?肥大化した組織を空中分解させない為の仮想敵は何にしましょうか。何ならイタリア政府にでも戦争を仕掛けますか?」
彼に近付いたのは復讐の為だった。僕は彼のマフィアとしての将来に目を付け、魅力的な道具と彼を認識した。
今となって気付いた所で手遅れだった。
僕はか弱く無力感に震えていた、失われた過去の彼をとても深く愛していたのだ。
「………骸さん」
確か彼は初めの頃、酷く僕を怖がっていたものだった。それこそ、彼がマフィアのボスを襲名して暫くした頃に襲撃した、その時ですら。
「あなたの言葉には説得力がありません」
今や彼は物怖じせず僕と対峙する。それが僕には彼が失ったものの象徴のように思えてならない。
「あなたはマフィアを否定する手段に暴力を選んだ人です。立場の変わらないあなたに俺を弾劾する権利はありません」
非難する声の調子ではなく、淡々と視線を外した彼は僕の背後、蒼い空へと目を向けた。
釣られて僕も上体を捻り、屋外へと視線を移す。海と同じで此処の空は鮮やかに色濃い。光が強い分、影もまた鮮やかに黒い。
風は乾いていて、時折風向きによっては潮の香りを伴っている。
これが彼の支配する地で、僕の生まれ育った国だ。
此処があの小さな島国の、僕らのルーツがある筈の平和な国の地方都市でないことを、今更強く意識した。失った時は戻らない。
「それに骸さんは俺を過大評価しすぎです。俺は一介のマフィアだから、世界平和なんて大それたこと考えちゃいません。
ファミリーを食わせる為だったら、EUに寄生して合衆国と駆け引きして途上国を食い物にしてロシアの闇商人と取引します。オリーブオイルも武器も同じように運びますし、正義なんて関係ない、俺はあなたが復讐したいマフィアそのものです」
「そんなことは!………関係ない、ただ」
顔ばかりはこちらを向けていながら、彼は敵対者である僕を見ようとしない。
歳月は強い感情を磨滅させる。とうの昔に復讐心は動機足りえなくなった。
僕が今もこの世界の片隅に足を突っ込んでいて、そしてマフィアと君の敵対者でいるのは。
乾いた風が君の柔らかな髪を揺らす。その実際の手触りは既に記憶から失なわれた。
「ただ僕は、君を」
君をこの場所から連れ去ってしまいたいのだ。
君を救いたいだけなのだ。
「ねえ、骸さん」
君はやっと僕と目を合わせ、ゆっくりと微笑んだ。鮮やかなこの国にあって、不思議と淡い色彩を振り撒いて。
「もう俺は知ってます、あなたが本当は優しい人だって。マフィアに制裁を加える時も絶対に一般人を巻き込まないし、そう、日本の時だって監獄の人間皆殺しにして脱獄してくるような人が結局並盛からは人死にを出さなかった」
「……偶然かもしれませんよ」
「しかも、これだけ何度も罠張って襲撃して誘き出して、なのにあなたウチの構成員すら一度も殺してないじゃないですか。……ねぇリボーン」
「俺達と同程度には悪党に違いねーけどな」
足音どころか気配もさせず、何時の間にか死神の異名を持つ少年が君の背後に佇んでいる。イタリアの日差しが生む影のように黒々と、漆黒のスーツを粋に着熟した死神は君の一部のように同化して。
口元だけをにんまり歪め、ボルサリーノの鍔を目深に引き下げて表情を隠す。
「リボーン、階下の状況は?」
「てめーの愛犬は生きてるぜ。救護班がさっき搬送していった」
「―――それは残念」
つい僕が口を挟むと、死神の笑みが苦笑のそれへと変化する。
確かに僕がボンゴレを相手取るのに幹部だけを狙うのは、多少腕に覚えのある相手でないとついうっかり殺してしまう恐れがあるからだ。
それだけでなく、君の傍で熱愛されている存在への私情もあるのだが。
「さあ、これからどうしましょう。逃げるか戦うか、それとも俺と一緒に来ますか?」
「クフフ、ボンゴレはせっかちさんですねえ」
君の手には季節外れのミトンのグローブ。持ち主の闘気に反応するそれは、未だ変化を見せていない。
答えなど端から一つしかない。君は今でもとても優しい。
僕は復讐心と共に青春を失って、代わりに堕ちてきた君からの穏やかで共犯者意識の潜んだ眼差しを手に入れた。
これが今生で僕が持つ全てだった。
これこそはいつの日か、よき人の肩にかかった腕なのだ。
=人を恋う嘆きの姿。
ゴッ●ファーザー三部作を観た感想文。苦悩するアル・パチーノを攫って逃げたくなった梓です。