沢田綱吉をここまで連行してきたリーゼントの部下は、部屋の主へきっちり九十度に腰を折るとそのまま扉を閉めた。
「えーっと……」
応接室に存在するのは綱吉と、元からいる雲雀の二人だけとなった。
応接ソファでふんぞり返っている雲雀は書類を繰る手を止め、視線だけで対面に座るよう綱吉に促す。
「あの、え?」
雲雀のアイコンタクトは相手に通じなかったらしい。あからさまにおどおどびくびくしていた綱吉は、目が合った瞬間、へらりと締まりのない笑みを浮かべた。反射的な愛想笑いの表情だ。
明瞭りしないことが嫌いな雲雀はカチンと来たが、この臆病な生徒が自分に対し笑みらしきものを見せるようになったのはかなり最近になってからのことだと思い直す。これでも慣れつつあるのか。
「何。さっさと座ったら?」
鬼の風紀委員長を前に表情を緩められる人間など片手で数える程もいないことを思えば、見た目に似合わず図太い性格をしているのかもしれない。
「ははは、ハイ!」
その割には臆病な小動物のように飛び上がって、パタパタと小走りに近寄った綱吉はちょこんと身を縮めてソファに腰掛ける。呆れ混じりに、雲雀は溜息を吐いた。
「……あのぅ、」
呼び出される心当たりのないらしい綱吉は、座っていても落ち着かな気にそわそわしている。
「2−A、沢田綱吉」
自分が凝視している所為でもあると気付いていない雲雀は、他人のペースに合わせることが何より苦手だ。この時も傍若無人キャラを存分に発揮して単刀直入に口にした。
「投書が来てるよ。君、不純同性交遊してるんだって?」
「は…ハアァーーーーー!?」
勿論、寝耳に水の綱吉は仰天した。ガーン。
いつもの効果音を伴った絶叫を、雲雀は眉を顰めただけでやり過ごした。
平生ならトンファーが唸る場面だが、これから訊問が待っている。早々に咬み殺しては調書が作れない。
「全部違う筆跡だよ。大分前から三階廊下の目安箱にちょくちょく入ってたんだけど、こう数が多いと流石に無視も出来なくてね」
「マトモな委員会活動っぽいことしてるーー!!目安箱あったの!?」
綱吉の失礼極まりないツッコミを、雲雀は完璧にスルーした。
「そもそも不純異性交遊が校則で禁止されてるんだよ」
生徒手帳を持ち歩く模範的な生徒では全くない綱吉の為に、予め用意していた手帳の、付箋を挟んでいた該当箇所を開いて示してみせる。
「え!あ、ホントだ……」
「一々取り締まってられないから黙認してるけど、本来なら風紀違反だよ。まあ、僕の前で群れるカップルはその場で咬み殺してるけどね」
「二人でも群れ扱いなのー!?ていうかこのヒト女子まで殴ってんのー!?」
「草食動物に区別を付けたりしないよ」
頭を抱えて思い切り叫んでいる綱吉は失念しているようだったが、勿論雲雀は綱吉に掛かった嫌疑を覚えている。
「だけど同性で、苦情まで来るようじゃね。重大な風紀違反だよ」
膝の上に肘を乗せた頬杖に近い体勢で、唇をへの字に曲げつつ睨み付ける。
「で、どっちなの?投書には獄寺隼人と山本武の二種類あるけど」
雲雀が話を戻せば、綱吉もそもそも呼び出された理由を思い出したらしい。面白いほど赤くなったり青くなったり、顔色の変化が目まぐるしい。
「両方と付き合ってるの?」
「ま、まさか!二人とも単なる友達ですよ!!」
「ふぅん」
そんな投書誰が書いたのーー!?綱吉は大混乱だが雲雀は最初から見当ついている。支配する並盛中に関わることで、雲雀が知らないことなど何もないのだ。
綱吉の周囲を徘徊している獄寺と山本は、二人とも校内の女子からの人気が高い。その二人を目立たない落ちこぼれ生徒である沢田綱吉が独占していることへのやっかみが、嫌がらせとして風紀委員への投書に繋がったのだろう。実際彼らに告白して振られた女生徒の仕業かもしれない。
「それにしては挙動不審だね」
「誤解です!!」
断言する綱吉は涙目になっている。群れなど作っても碌なことがないと反省したことだろう。
他人の思惑通り動かされてやるのは雲雀の矜持が許さない。それでもお膳立てに乗る形で綱吉に真偽を確かめたのは、雲雀自身も実際のところを知りたいと思っていたからだ。
「ふぅん……」
ソファの間に置かれたテーブルを足で退かし、立ち上がった雲雀は綱吉との距離を詰めた。
「じゃあ確かめてみようか」
「ヒッ」
上から覆い被さるように見下ろされ、雲雀の影になった綱吉は小さく悲鳴を上げる。殆ど存在しないような声変わり前の喉仏が、息を呑むのに併せてゆっくり上下するのを雲雀は観察した。
「彼らが体に触れたことは?」
言いつつ左手で目の前の右肩を掴み、ソファの背凭れに押し付ける。
「そりゃ……ありますよ。友達なんですから」
されるがまま、綱吉は心外だと言わんばかりに雲雀を見上げてみせる。
「手を繋いだことは?」
言いながら、右手でソファに投げ出されていた綱吉の左手を捕らえた。指と指を搦めて強く握れば、細い指がびくりと痙攣する。
「あ、……ありますけど」
繋いだ手は離さぬまま、綱吉の手の甲から指の付け根まで、ゆっくり指の腹を滑らせる。柔々とした刺激に耐える、雲雀の真意が判らぬ綱吉の目には非難よりも困惑の色が強い。
「友達、ねえ」
普通の男友達がそこまでの接触を望むものやら、雲雀の声は自然嘲笑めいたものとなる。
ソファの上に左膝を乗り上げれば、殆ど密着するような体勢となった。
「え、え?」
綱吉は仰け反るように身を離そうとするが、右肩の拘束と背凭れとに挟まれ身動きが取れなくなっている。
綱吉の顔を至近から覗き込めば、薄茶色の眼に漆黒の雲雀が映り込んでいる。唇を吊り上げる。
雲雀が笑うのは戦いの高揚によって、即ち獲物を屠る時だけだ。今も例外ではない。
「じゃあ、これは?」
両手による拘束はそのままに、顔だけを突き出して雲雀は目の前の唇を奪った。
「んむぅ!?」
唇を触れ合わせながら、雲雀は反応を観察するように凝っと眼を開いたままでいる。綱吉も此方は何が起こっているか理解出来ない風に、眼を見開いてされるがままになっている。
幾度か角度を変え、その柔らかさを充分堪能してから雲雀は触れるだけの口付けを解いた。
「何で抵抗しないの。慣れてるのかな?」
「な、な、な……」
硬直していた綱吉はようやっと現状を認識出来たのか、ぼぼぼっと着火音がしそうな勢いで顔を真っ赤に染めた。
「何すんですかヒバリさんっ!?」
「君さっきから煩いよ」
雲雀が眉を顰めて睨み付ければ、平生の綱吉なら恐怖に震え上がっただろう。が、生憎とパニック状態ではそこまで気が回らない。
唇は離れたが前髪同士が擦れ合うような距離を保って、雲雀が伸し掛かったままであることに別の意味で恐慌している。
「単なる風紀検査だよ」
「どこがーー!?」
「彼らとキスはしたことあるの?」
「なっ…、ないに決まってんでしょう!!」
涙目で絶叫されれば信憑性も高そうだ。初心な様子も確信を深めたが、単に雲雀相手が本意でないだけかもしれない。
「じゃあ君からしてよ。そしたら無罪放免してあげる」
「………!!」
ツッコミすら声に出せず口をぱくぱくと開閉する綱吉は、顔色と相まって縁日の金魚のようだ。
雲雀はくすりと笑う、僅かに表情が和らいだのは無意識だった。それを見た綱吉が呼吸が止まる程に吃驚したことにも気付かなかった。
「……ううぅ」
手を繋いでいない方の右手で、くいくいと雲雀の袖を引く。察して、肩を押さえる手を緩めた雲雀は上体を傾けた。
二度目の接触では、目尻を紅く染めた綱吉は堅く目蓋を閉じていたが、雲雀は相変わらず眼を開いたままだ。
技巧も何もなく仔犬が鼻面を押し付けるような調子で、綱吉はひたすら唇の表面をくっつけてくる。幼稚園児でも多少はマシではないかと思わせる拙いキスだ。
本当にこの子はこのような事態に慣れていないらしい。納得すれば途端につまらなくなるのが雲雀の気紛れさで、物足りなさを解消すべく自分からも行動してみることにする。
「いっ!?」
いきなり唇を舌で舐められ、綱吉は思わず小さな声を洩らす。その隙を逃さず、雲雀の舌が小さく開いた唇の間から侵入を果たした。
「ん、んー!」
仰天した綱吉は初めて強く抵抗し始めたが、身を捩ろうが背中を叩こうが、雲雀の強力の前には悉く意味を成さない。
後頭部を鷲掴みにして固定すると、暴君の舌は傍若無人な意志のままに、咥内で縮こまっていた綱吉の舌を易々と絡め取り引きずり出してみせた。
緊張から綱吉が頻りに瞬きを繰り返す度、睫毛がはしはしと雲雀の肌に触れる。
「ん、は……」
雲雀が獲物を貪り続ける内、抵抗は力なく、背中に回った手は縋るものへと変化していた。ぐったりと綱吉は眼を閉じ、その表情が恐怖から違うものへと溶け出す過程を雲雀は観察し続けた。
上顎から歯の裏に至るまで咥内の隅々を舐めるだけでなく、口の外まで引き出した舌を歯で挟むこともした。文字通りの甘噛みに、大きく震えた綱吉の容には瀕死の者の浮かべる恍惚が宿ってさえいる。流血を目にするのと同じくらい、堪らなく雲雀を興奮させる表情だ。
「……………」
散々好き勝手にした後、ようやく雲雀は獲物を解放した。整いきらない互いの息が前髪を小さく揺らす。くたりと、力を失った綱吉の背がソファの背凭れを滑り沈み込んだ。
綱吉の唇端から零れていたどちらのものともつかない唾液を、雲雀は指で拭ってやる。その時気付いたが、繋いだままだった雲雀の右手には爪の痕が残っていた。綱吉の左手を持ち上げれば、甲の部分に同じような、雲雀が力を込めた痕跡が刻まれてしまっている。
「、んで……」
「何?」
「なんでこんなこと、したんですか……」
綱吉の表情は今にも泣き出しそうに歪んでいたが、他人の苦痛を好む雲雀が初めてそれを (嫌だ) と感じた。
「言ったじゃない。君が本当に男と付き合ってないか確かめるって」
途中から二の次になってはいたが。今現在も牙の疼く感覚を必死で雲雀は抑えている。
沢田綱吉は雲雀にとってお気に入りの部類に入る生徒だが、最初からここまでするつもりはなかった。その筈だ。だが自然と口付けたいと思ったし、もう一度触れたいとも思ってしまっている。
何かに操られているようだ。訳が解らなくて不快だ。
「………濡れ衣は晴れましたか」
良くも悪くも環境順応型で諦めの強い綱吉の性格を雲雀は完全に把握していた訳ではなかったが、これ以上相手に詰るつもりがないことは何となく理解出来た。許されたのとは違うだろうが、非日常が遠離る気配に自分でも驚く程、雲雀は安堵した。
「うん。君、下手だもんね。僕が初めて?」
「〜〜ッ!悪かったですね!!」
立ち上がりつつ、自分のペースを取り戻した雲雀は悪怯れなく嘯く。綱吉は相手への恐怖も忘れて怒鳴り付けた。
ああ、成る程。
雲雀は納得した。格段に狎れ始めている。体の末端を接触させるだけで、一年かけて縮まった距離などお粗末に感じてしまうような激変だ。これが目的か。
不順異性交遊、同性においてもだが、群れたがる草食動物の思考など気にしたことは一度もなかったが。この発見は取り締まりに役立つだろう。
やはりどこか強気な態度で、姿勢を戻しつつ綱吉は顔を上げた。
「だ、だったら、その、帰っても構いませんか?」
「……好きにしたら?僕も仕事があるし」
そうは言っても、応接机を元の位置に戻した雲雀が自分の定位置に座り直した後も、大分長いこと互いに外方を向いて黙り込んでいた。
このまま離れ難かったというよりも、体の火照りを冷ますのに二人とも時間を要したからだ。
我に返った後の方が、往々にして居たたまれなくなるものだ。