深夜の中山外科医院。
表向きは廃病院となっているその一室で、獄寺はブーツに足を突っ込んでいる最中だった。
 
「よぉ、負け犬」
「! リボーンさん……」
声を掛けられて、初めてその存在に気付く。主にとって師であり、心強い味方であるとは承知している。であるが、マフィアとしての経歴が長い自分にすら気取られず忍び寄る暗殺者に対して、本能の部分が首筋に刃を当てられたような警戒心を起こさせた。
強張る獄寺の表情に気付いた上で、窓枠に腰掛けたリボーンはくっと小さく笑いを洩らす。開いた窓から吹き込む夜風がカメレオンの尾を揺らし、未だ血のこびり付いた獄寺の髪をも撫でていく。
暗さに紛れて、只でさえ理解し難い赤ん坊の表情は、獄寺の眼には読み取れない。
ヒヤリとした己を誤魔化すように、敢えて獄寺は明るい声を張り上げた。病室から逃走しようとしていた人間が騒々しくするデメリットは意識に上っていない。
「じゅ、十代目は?」
「ツナならもう帰したぞ」
本能的なリボーンへの警戒感以外に、せめて一晩は絶対安静にしてること!珍しく眉をキリキリ吊り上げて言い聞かせていた主に逃亡が見付かることを恐れていたので、端的に寄越されたその言には安心する。
「そうですか……」
あからさまに肩の力を抜いた獄寺の様子を、興味深そうに家庭教師は観察している。
「その分じゃ余計なお世話だったみてーだな」
「え、お叱り…ですよね。負け犬って言いましたし」
「ふん」
肯定も否定もせずリボーンは鼻を鳴らす。実力の裏打ちがあってこそだが、この赤ん坊には傲岸な態度が似付かわしい。
「負け犬は間違いねーぞ。――ただ悪くない結果だ」
「え」
この厳しい人から評価の言葉が貰えるとは夢にも思わなかった。獄寺が呆気に取られるのを無感動に眺め、リボーンは言を紡ぐ。
「言っとくが俺はツナみてーな甘っちょろい考えで無事を喜んでんじゃねーぞ」
「十代目はあれで宜しいんです!!」
主人を侮る発言をされれば、相手構わず噛み付くのが獄寺の流儀である。それこそ獰猛な獣のように歯を剥いて威嚇する獄寺を、愉快がることはあってもリボーンが恐れるなど有り得なかったが。
「まーな、だが周囲まで同じで構わないと思うな。ボスに欠けた部分を補うのが部下の務めってもんだぞ」
「だったら……」
「獄寺テメエ、この争奪戦まさか額面通り受け取ってんじゃねーだろーな?」
リボーンの表情は獄寺に窺えない。ただ家庭教師の声には微妙に怒気が含まれているような気がした。
「いいか、あんな茶番。勝敗は二の次だ」
獄寺の察しの悪さを嘆くように?――ゆるく首を振って、リボーンは説明することにしたらしい。
「端っから審判は敵サイド。大空のリングは既にあちら側。勝つに越したことはねーが、こっちが勝利したからって素直に引き下がるとは思えねえ」
「な゙!?」
「最後は試合なんぞ関係なく乱戦になると思え。それまでにあっちの戦力削ることだけ考えろ。ザンザス一人に六人で仕掛けられりゃ理想的だな」
それは卑怯ではないのか。喉元まで込み上げた言葉を獄寺は寸でのところで塞き止める。遊びでない、生き死にの掛かった戦いに綺麗事など必要ない。基本的に普通の中学生として生きてきた沢田綱吉のファミリーの中で、獄寺だけがマフィアとしての経験を持っている。
確かに、試合結果を度外視すれば。こちらは最初から戦力外に近いランボだけ、ヴァリアー側は二人が戦線を離脱している。敵の雷の守護者も手負いで、雲雀が簡単にあしらえる程度。
戦力の温存という意味では。
「リボーンさんの考え……十代目にはお話されてるんですか?」
 
獄寺の敗北も――無意味でないのだろうか。
 
「ツナには言ってねーぞ。あいつのは単なる甘さだ」
それを聞いて、獄寺は落胆したような安堵したような、モヤモヤと落ち着かない気分になった。ただ十代目らしいとだけは確信出来る。
そうだ、あの人はそれで良いのだ。彼の主人がそんな甘く優しい人だからこそ、獄寺は命を賭しても良いと思えるし、悲しませたくないとも同時に思ってしまう。
「ただ……アイツはアイツで何か直感してんだろ。不戦敗した後でも真面目に修業してるからな」
リボーンが教え子を誉めるのは珍しい。獄寺にとっては完全無欠の素晴らしい主だが、この一流ヒットマンは無闇に理想が高いのだ。それだけ教え子の可能性を高く買っているのだと獄寺は理解している。
獄寺の沈黙をどう受け取ったか不明だが、それなりに家庭教師は納得したらしい。何の予備動作もなくリボーンは窓枠から飛び降りると、危なげなく病室の床に降り立った。
寝台に座る獄寺からは、黒い帽子の天辺とカメレオンしか見えなくなる。靴音はしない。小さい体とこの身のこなしが合わされば、暗殺者として有能なのも頷ける。
「――話は以上だ。後は好きにしろ。俺は関知しねーからな」
獄寺を一顧だにせず、それでも油断なく気配は窺っているのだろうが。
滑るように寝台の傍らを通り過ぎたリボーンは、病院の廊下へ続くドアを蹴り開けて去っていった。病院を寝ぐらにしているディーノ主従の元にでも向かったのだろう。獄寺が礼を言う暇もない淡泊さである。
 
最後まで圧倒されつつ見送った獄寺は、再度脱走を図ろうとして開かれたままの窓を見る。次いで、……ブーツを脱ぎ捨てる。そのままごろりと寝台に寝転がった。
ひりひりと皮膚の突っ張る火傷の感覚は慣れたものだが、無数の切り傷は身動きする度に鋭い痛みを訴えてくる。大体血が足りていないので、上体を起こしているだけで本当は頭がクラクラするのだ。
養生なんぞ何処でしたって同じであるし、他人に傷を触られるのは嫌いだったが。
――指輪争奪戦に決着がつくのはあと三日後。
獄寺の脳裏に戦力の温存、という言葉がちらつく。そして恨めしそうに睨んでくる、怒りより心配が先に立った愛すべきボスの顔。
「ああ、その顔には弱いんスよ、十代目……」
仕方ないと嘆息して、獄寺は目を閉じる。三日間で少しでも体調を戻しておく為にも、もう少しくらい此処で大人しくしてやっても構わない。
残りの守護者達が無傷で勝てるとも思えないし(何せ獄寺だって苦戦したのだ!)、最終局面で十代目のお力になるのは右腕であるこの自分以外いないではないか。窓が開きっ放しのままなのは気になるが、後で様子を見に来たロマーリオ辺りがちゃんと閉めるだろう。
そうだ、朝になれば十代目がお見舞いに来て下さるかもしれない――…
その思考を最後に、獄寺の意識は途切れた。
 
後刻、案の定患者の様子を窺いに病室を訪れたロマーリオは、熟睡している獄寺を発見した。良い夢を見ているのか、気の抜けきった寝顔には微笑ましさを誘われる。
「悪童もまだまだガキだな」
 
 
 
 
 
Allora.




おそらく本誌ではここまでフォローされないと思うんですが。ていうか勝手解釈……。
104話の仕儀を読んで、ツナさんは信念貫けて満足だけど獄寺は落ち込んでんじゃないだろーかとリボ先生を慰め役に派遣したんですが、意外と獄寺平気そうで先生肩透かし、梓も肩透かし。ナンダヨ落ち込んでたのは梓ひとりかヨ!!

リボ様には今まで獄寺のこと「愛犬」「番犬」「駄犬」「負け犬」色々罵って貰ったので、今後は「飼い犬」「狂犬」「バター犬」辺りで罵倒バリエーションを増やして貰いたいものです。「おい、バター犬」みたいな。寧ろ雲雀さんが「ちょっと、近寄らないでよバター犬。バター臭いのが移るじゃない」発言したり(イジメじゃ)。
……梓は獄寺君が大好きです。