「聞いた!?文遠と長文どのがデキてるんだって!!」
「デマだろう」
駆け込んで来るなりの従弟の報告を、曹仁は一言の下に切り捨てた。事務仕事は得意ではないのだ。片手間に相手をするだけの要領の良さは持っていない。
「まあ、確かにねー。前は奉孝でその前は文謙ってさ、なんか脈絡ないよね」
「噂とはそういうものだろう」
顔を上げもせず、案外素直に引き下がった曹洪を軽くいなした彼は。
「で?子孝兄が伯寧に惚れてるって噂は本当なワケ?」
「……………!!!」
ごつん。
そのまま卓に突っ伏した。
「で、で、デマだっっ……」
思わぬ伏兵である。道理で聞き分けが良いと思ったら、張遼のスキャンダルはただの導入であったらしい。顔に墨を付けたまま引き攣る曹仁を前に、曹洪は愛嬌ある顔に似合わない、獲物を嬲る肉食獣の表情で舌なめずりした。
「ふーん、なーんだ。本当なら、協力してあげようかと思ったのにぃ」
「断る」
「えー、普通なら仲人料一万元のところを、子孝兄なら特別で半額にしてあげるのに」
「頼まん」
「遠慮しなくていーよ?モテない兄貴分のことが俺としても気になってさー」
密かに気にしていることを指摘され、つい曹仁はカチンときた。筆を卓に叩き付けた、この時点で仕事のことは忘れ去られている。
「要らんっ!大体協力などと言って、十三歳の初恋から延々人の恋路をぶち壊してくれたのは何処の何奴だ!!」
「へー、やっぱり明華ちゃんのこと好きだったんだー」
慌てて口を押さえてももう遅い。曹洪はにんまりと嫌な笑みを浮かべた。
「あの時も子孝兄が愚図愚図してるから、俺が代わりに告白してあげたのに。なのに子孝兄ってば真っ赤になって『嫌いだ』とか言っちゃうし」
「うっ……」
目の前で第三者に暴露されたら、誰でも羞恥心で冷静に居られないだろう……などと言う前に、これ幸いと口説けるようなら、最初から曹洪の出る幕などない。
「……人の代わりに告白しに行くやら、変な噂をバラ撒くやら、お前は昔からいつもいつも邪魔ばかり……」
溜息を吐く曹仁を黙って見ていたかと思うと、曹洪は無言のまま従兄の襟首を掴んで引き寄せた。卓を挟んで睨み合うような状態、卓上から筆が落ちた音が異様に大きく響いた。
「な、ん……」
「――なんで『僕』が邪魔ばっかりしてるのか解る、『仁兄』?」
真剣な眼差しのまま、妙に冷静な声が旧い呼称で告げた。
表情を消した貌の中、こちらを見据える杏仁型の瞳だけが爛々と光を宿している。蛇に睨まれた蛙の如く、気圧された曹仁は視線を外せず、……何故だか酷く狼狽えた。
「……し、」
「なーんてね」
口をぱくぱくさせた曹仁が言葉を絞り出す前に、曹洪は思い切りよく手を離した。
「やだなー、何マジになっちゃってんの?」
「……全く、お前は……」
自分にも意味の掴めない安堵感で、曹仁は肩を落とす。平生と変わらない笑顔の曹洪は、けらけらと声を立てて笑った。
墨の零れた敷物の惨状に眉を顰め、筆を拾いつつ従弟に文句を垂れようとしたその刹那。
ぴたりと笑い已む。
思わず腰が引ける曹仁に、曹洪は非常に彼らしくない貌を見せた。
「心配しなくてもバラしたりしないからさ、安心してよ」
「子廉……」
「それはともかく、この噂は聞いた!?」
何事もなかったかのように話題を変える曹洪に、密かに感謝した。何事かを許されているのだという自覚は曹仁にもある。
……しかし本当に解らないのだ。
満たされている癖に昔から強欲だった弟分が、自分に何を要求しているのか。