愛する人は誰かと問われたら、迷わず唯一人の名を呼ぼう。
だから。
「いちにのさんで、一緒に死んじゃいましょう」
埋火のように身の内を焦がす熱を持て余す気怠い時間。牀榻の上で片膝を立てて座っている郭嘉が唐突にそう言い出した時、荀は非常に困ってしまった。
此方は臥したまま、首だけを動かして目を向ける。鳶色がかった瞳には冗談の色も思い詰めた気配もなく。
どうしていいのか解らず、ただまじまじと見詰めておれば、その瞳が近付いたと思う瞬間、触れるだけの軽い接吻を寄越された。
それだけのことにも苦しくなる呼吸に、思わず手で胸を押さえる。その手に郭嘉の手が重ねられた。覗き込んでくる瞳は限りなく優しい。
この感情を愛と呼ぶならばそうなのだろう。しかし決して恋情ではない、筈なのだ。
世の中には複数の人を同時に愛せる人間が存在する。曹操がそうで、多くの妻妾や情人たちを、均等の愛の重さで慈しんでいる。
それでも自分はあの人の一番にはなれないのだと思ってしまう荀は、そういう風に人を愛することが出来ない。
だから戸惑ってしまうのだ。かつての微睡みのような関係から逸脱した、この感情が何なのか。
「そんなに難しく考えないでくださいよ」
そんな荀の困惑を見透かすように、郭嘉は笑みを零した。
「生きてる間は、あなたは主公のものでしょう?だから死んだ後くらいは俺にください」
どきりとする。
「順当に行けばあなたの方が先に死んじゃうんでしょうけど。俺はあなたを悼む大勢のうちの一人になるなんて、死んでも御免なんです」
顕示欲とも独占欲ともつかないその感情は、荀にも解るような気がした。
「……実際問題、毒でも仰がなくては同時に死ぬことなど不可能でしょうに」
「へっへー、昔読んだことがあるんですけどね、大秦国の方には眠るように命を奪う人参があるんだそうですよ」
「四海の内にはそのような薬もあるのでしょうね」
幻のような遠い異国の話は現実感が薄く、だからこそ美しく響く。
「生きてる間は主公の為に精一杯頑張って、もういいと思ったら自分にご褒美をあげましょう」
安らかな眠りを。
「二人で手を繋いで、お互いの顔を見ながらゆっくり目を閉じるんです。素敵でしょう?」
郭嘉はそう言いながら荀の手を取り、頬擦りするようにその手を押し当てた。
……それなら構わないかもしれない。ぼんやりとそう思う。
郭嘉はいつも答えをくれる。欺瞞かもしれなくとも、常に逃げ道を用意してくれていた。何も気付かないふりで、黙ってそれを享受する荀は、卑怯者でしかない。
そう、愛しいと、そう認めてしまえば楽になれるかもしれないのに、幸福感に目の眩みそうな今この瞬間も、餓えた何かが己の裡を焦がすのだ。
それを捨てれば、きっと生きてゆけないだろう。
愛する人を問われたら、唯一人の名しか呼ぶことが出来ない。
しかし、そなたの為なら何時でも死ねるだろうと口走りそうになり、堪らなく泣きたくなった。