「…………………………………へ?」
 
 彼程までに間抜けな張文遠の声を聞いたのは初めてだった――。常とは違う躍るような筆致で、李典は故郷への書信にそう書き残している(ウソ)。
 
 
 
 
 
 下知を受ける時の平伏した姿のまま、張遼は石になっていた。
「美童でも駄目であったのだ」
 曹操が、彼には異国の言葉としか思えぬような発言をし、なあ?と傍らの懐刀に同意を求めた。ええ、と頷いた荀は主の視線そのものが喜びであるかのように、ふわりと柔らかく微笑む。
 一体なんなんだ。
「……失礼ですが、何のお話でありましたか?」
 一時的に記憶の混乱している張遼は、無礼を承知で主に問い掛けた。
「なにって、そりゃ関羽のことだろう」
 呆れたように曹操が眼を眇める。確かに、軍議の後彼だけが名指しで残るように言われた時から、関羽絡みのことだろうと予測はしていた。
 徐州にて反旗を翻した劉備を撃破し、下にて主の妻子を護っていた関羽をその軍門に下らせてより、そう長い時が経っている訳ではない。
 劉備の消息が知れた時点で許都を離れると言明している関羽に対して、その義心に男惚れした曹操が歓待を尽くして引き留めようとする、そのことに古参の配下達が良い顔をしていないのが現状である。関羽とは個人的付き合いもあり、また命を助けられた恩もある張遼としては、双方の板挟みで身を削るような思いを味わされていた。
 周囲も張遼が折衝役と決めてかかっている節があり、今日のようなことにもなるのである。
「関羽が気に入ってくれるかと思って、選りすぐりの美女を十人贈ったのだ。なのに、あやつは何が気に入らぬのか、一人残らず玄徳の奥方たちの侍女に回しよった」
 ……しかし今日は何かが違う。
「それで、私が美童を三人ばかり見繕って贈り届けたのですが、それにも興味がない様子」
 荀が溜息を吐いた。頬に手を当て、僅かに眉根を寄せた物憂げな仕草は、同性とは思えぬ程艶めかしいものであったが、(だからってなんでそーゆー話になるんだ!?)と内心激しくツッコミ中の張遼には全く目に映っていない。
「女に見向きもしない、美童にも興味を示さない」
 指を折り、荀は続ける。
「でしたら、あとは成人男性か幼女ということになりましょう」
 だから何故。
「それでだ」
 上機嫌で曹操が後を引き取った。
「お主には関羽を籠絡して貰いたい」
 ……だから何故そういうことになるのだ?
 あまりにも理解不能な話題に付いてゆけずに、またも張遼はトリップしそうになったが、ここで黙っていては済し崩しに命令が下されて終わりである。口下手な己を心底呪いながら、張遼は何とか反論を試みた。
「ですが、某(それがし)ではこのような大役が務まるかどうか……」
 寧ろ務まりたくない。
「安心せよ、儂からもアタック(死語)するつもりだ。しかし念には念を入れるべきだろう」
「主公は奇襲を得意となさる分、正面からの決戦が苦手なのです」
 荀の添えた一言に曹操は渋面を作ったが、反論はせずに黙り込む。
「この場合主公は囮。主公のお気持ちが通じれば重畳、そうでない場合関将軍はご友人である貴方に事態を相談することでしょう。敵地にも等しい都で頼れるのは貴方一人、付け入る隙は充分。
 此度の作戦、文遠どのになら可能と考えております」
 あくまでも淡々とした説明に、つい軍議の場にいるかのような錯覚を起こして頷いてしまいそうになったが、我に返ればとんでもない内容である。
「い、いや、それでは曹公に失礼では……っ」
「結果的に関羽が儂の元に留まってくれるなら、手段は問わないぞ。どっちが受・攻するかもその場のノリで決めてくれて良い」
 ウケ・セメって何だ!?
 ますます話が張遼の知らない世界になってきた。というかこの人々、正気なのか?
 恐る恐る上目遣いに伺っても、上座の曹操は既に謀が成ったかのように浮かれているし、傍らに立つ荀は相変わらず本音の見えない貌で微笑んでいる。
 こうなれば……と助けを求めて周囲を見回したが、内密の話かと遠慮したらしく殆どの者が帰ってしまった後である。最も関羽の存在に反発している夏侯惇辺りが居れば確実に反対してくれただろうに。日頃宥め役になって苦労していることも忘れ、張遼は不在を恨めしく思った。皆関羽関羽言うが、そもそも自分も曹操陣営では新入りに近いのだ。主に気軽に諫言出来ないというのに……。ぶつぶつ。
 数少ない見物人である郭嘉は微かな音すら漏らさずに大爆笑するという器用なことをしていて、張遼の助けを求める眼差しにも気付かない。何故か残っている李典も平常通りしらっとした表情でこの異様な場を眺めているだけである。
 誰も助けは居ない。最早決死の心境で、張遼は反撃を試みた。
「お、お、お言葉ですが、戦の前ゆえ、某には兵の鍛錬もしなければならなく……」
 しどろもどろで食い下がる。
「それならば張将軍の分担を一部、私がお引き受けしましょう」
 その最後の希望すら呆気なく粉砕したのは、思わぬところから現れた敵であった。
「おお曼成」
「お仕事を増やしてしまいますが、宜しいのでしょうか?」
「はい令君。我が軍の為、天下の為とあらば、私の少々の苦労など何程のものでしょう。この李典、一族の名誉の為にも、主公のお役に立てることは大いなる喜びでございます」
 最前まで興味なさそうにしていた癖に、立て板に水の如く流暢に言葉を紡ぎ出す李典を、ぽかんと口を開けて張遼は眺めるしかなかった。曹操……というより荀に向けての言葉は、妙に熱意を帯びている。そういえば彼は荀令君のファンであったと聞いたことがあるが、その為だろうか。
 しかもここまで言われた後で、更に張遼が愚図愚図言おうものなら、まるで自分は物凄い不忠者のようではないか。
 在籍二年目の張遼にとってはとても困る。非常に困る。
「これで心配はないな。文遠、頼んだぞ」
「………………はっ」
 万事休す。
 平伏しながら、張遼は目の前が暗くなるのを感じていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 引き受けてしまったは良いが、これからどうすれば良いのか。
 考えるだに襲われる胃痛に、一人回廊にしゃがみ込んでいたら。
「とんだ災難でしたねー、文遠どの」
 郭嘉が、ひょいっと音のしそうな軽快な仕草で覗き込んできた。
 先程は何の手助けもしてくれなかった癖に、現金なものである。無言で恨めし気な視線を向ければ、何故かニヤニヤと笑われた。
「これでも心配してるんですからー。怒らない怒らない、俺たち友達でしょっ?」
 確かに軍師……というか文官の中では、郭嘉はよく話をする方である。若い頃から軍の中に身を置いている所為で教養ある人と接する機会があまりなかった張遼にとっては、郭嘉の飄々とした態度はさほど気を遣わずに済む相手として貴重であった。
「……友達なら、主公を説得して止めさせて下さいよ」
「あー、それは無理」
 コイツ絶対心配してない。手をひらひらと振る郭嘉の態度を見て、張遼はそう断じた。
 しかし話す相手が居るだけで随分気も晴れるもので、少々気を持ち直した張遼は腰を上げると、手近な欄干に凭れ掛かる。確かに孤立している関羽には有効かもしれない……と他人事のように考えかけ、再び気分が悪くなる。
「だから恨めしそうに見ないで下さいってばー」
 郭嘉は笑った。
「主公はハッキリ言ってめちゃくちゃ本気ですから、言い様によっては説得出来るかもしれませんけど。この話、文若どの主導ですからねー」
「そうですよ、荀令君は一体どういうつもりで……」
「あははははー、モテる男はツライなぁ」
「は?」
 話の腰を折られ、張遼は眉を顰める。
「いや、ただの嫌がらせだっしー? この件に関しては、俺が口添えしたらますます事態は悪くなる方に100銭賭けますね!」
 何故だか張遼の不幸を語るのに、郭嘉は非常に嬉しそうである。満面の笑みを浮かべてへらへらしている目の前の男は絶対友達なんかじゃない。張遼が確信を深めているのも知らず、郭嘉は遠くを彷徨うかのような視線を向けた。
「文若どのと結託しているマンセーどのの怨恨の理由までは知りませんけど?
 ふふーん、つまり俺と楽しく談笑してる今現在、文遠どのの身はますます危険に晒されてるってコ・ト☆」
 全くもって訳が解らなかったが。
『いいか、曹操軍の中でも荀は一番危険だ。あの瞳に決して騙されてはならん――』
 ……陳宮が生前言っていたのはこのことか、お前の方が余程危険そうだと思っていた昔を回顧して、どこかで腑に落ちる自分もいたりする。
「じゃっ、文遠どのの安全の為にも俺は退散しますからっ!頑張って関羽を口説いて下さいねー♪」
「そんなっ、待……」
 軽薄そうな記号(八分音符)を最後に、郭嘉は手を振って立ち去っていった。万事休す。
 このままあのヒゲとどうにかならないといけないのか――絶望感に、再びずるずると床に沈み込んでしまう。
 さしあたって今夜、屋敷を訪ねるなどしなくてはならないのだろうか。
 そもそも、男同士で何の話をしてるんだ……。
 
 
 張遼がこのサイトの根幹にも関わる重大な問いを脳裏で発した時。
「…………文遠どの?」
 目の前に現れたのは、心底此方を気遣う顔。
「奉孝どの知りませんか?あの人また仕事サボって……って、大丈夫ですか?お顔の色が随分悪いですけど医人を呼びましょうか?」
「長文どの………」
 厄日か、と言いたくなるこの最悪な今日、初めて聞いた優しい声だった。
「文遠どの?……わっ、泣かないで下さいっ、どうしたんですか、文遠どの!?」
 膝をついて此方を覗き込んでいた陳羣に身を投げ出すようにして、張遼は泣き出した。肩口に顔を埋める張遼のただ事ではない様子に狼狽しながらも、陳羣も幼子をあやすように背中を軽く叩いて宥める。
 
 
 
 ……その様子を茂みの影から窺っていた郭嘉(逃走中)が、
「カップル誕生?これは意外と良い手かもしれないな……。関羽が困らないのはつまんないケド」
密かに呟いていたことは、幸いにも目の前の現実だけでいっぱいいっぱいな二人には聞こえなかった。
「文若どの呼んで来よ」
 内庭を匍匐前進で進む郭嘉は、やはりどことなく嬉しそうであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
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……そういえば三国志のギャグがないっ!?と気付き、己の本領を発揮してみようと思いました(ウソ)。
連載じゃないのは気が楽ですのう。
元ネタは鄭飛石の『小説 三国志』ですが。本気で美童を贈ってる荀は可笑しい(笑)。誰かつっこんでやれ。

200年初頭の関羽パニックですが、関羽が欠片も出て来ない。
そろそろホモを真っ向から……と言いつつ、主役がマジボケツッコミの張遼さんだったので、なんか微妙ですし。(^^;)

とにかく結論は、「荀さんの嫉妬を買ってはならない」ということで……。まんざらでもなさそうな郭嘉(笑)。
しかし最近、私的脳内で荀さんいじめっ子化現象が進んでて、怖いです……。きっと他のファンにとっては、「こんなの荀じゃない!ムキーヽ(#`Д´)ノ」状態(汗)。
うわーん、ご免なさい〜〜!!(滂沱)