点景一
「此処に居たのか」
深みのある落ち着いた声音の持ち主を間違う筈もなく、周瑜は笑みを浮かべて背後を振り返った。案の定、口髭を撫でながら、魯粛がこちらを眺めている。
「何時見ても、見事な物だな」
心からの感嘆が滲み出たその声に誘われるように、周瑜はひっそりと体を退ける。その影から姿を現したのは、青磁で出来た香炉であった。
飾り棚に大切そうに飾られたそれは、背の高いこの種の香炉としては小ぶりであったが、微妙な曲線と鮮やかな色目が目にも美しい逸品であった。先祖代々の家宝など持つべくもない孫家の持つ、数少ない重宝の一つであるとは、この場にいる二人ともが知っている。
それに無断で触れる事を咎める者もまた、此処には居なかった。
脇へ退いた周瑜に誘われるまま身を乗り出し、その傍らに佇んだ魯粛はしげしげと香炉を眺め遣る。
「これは、元々あなたの家の物だったのではないかな?」
疑問と言うより確認に近い、その問いには
「まさか」
という軽い返答。
しかし、その応えを裏切るように、周瑜の伸ばされた手は臆する色もなく、柔らかに香炉に触れた。
躊躇いなく、そして優しい手つき。
「……子敬どの」
「ん?」
青磁の滑らかな曲線から手を離さず、周瑜は独白のように呟く。
「人の使うべき道具は、人の手に触れられることによって、その艶を増していくものだそうですよ。古物が、時に新しく誂えさせた物よりも価値を持つのは、そういう理由があるからだとか」
話の流れが見えなくとも、魯粛は強いてその意図を聞き出す事はない。ある意味意識的な癖であったが、だからこそこの本心の見えない男が自分に何事かを語ってくれるのだと、魯粛は知っていた。
「これからは、あなたが撫でてあげてくださいね。寂しがることのないように」
その言葉に、顔を上げて、そして下ろした。
この室に足を踏み入れた時から切り出す機会を狙っていた、言葉は、意味がないものであると気付かされる。
翻意を促そうと思っていた。彼の人の居らぬ今、益州に出征してなんとする。
……この覚悟した人に対して、その言葉が何になろう。
周瑜は、笑みを浮かべたまま、愛しげに指を滑らせる。
魯粛は、それを黙って見ていた。
点景二
「見事な物ですね」
己以外誰もいない筈の私室に、他者の声が響いたのにも驚く素振りなく。
荀は、背後からかけられた声を無視するように、文机の上に置かれた物に見入っていた。
ひょいっと突き出された頭が、肩の上に載せられる。其処にあったのは、玉で作られた香炉であった。
よくある、簡素な意匠の物である。しかし、ぬらりと光沢を帯びるその青石が、息を呑む程に見事な物であった。よく観察すれば、各所の細かい彫刻も精緻な物である。計算されたような美しさと共に、それ故の儚げな危うさも感じさせる、そのような品である。
「此程の逸品は宮室にもありませんよ。あなたの家に伝わる?」
「………ええ」
どこか空々しさの感じられる感嘆に頓着する素振りもなく香炉に伸ばされた手は、更に後方から伸びた手に捕らえられた。
そこで初めて、荀は僅かに咎めるような視線を向ける。郭嘉は会心の笑みを浮かべた。
「まだ、主公を殺す気ですか?」
物騒な台詞には、微笑の返答。無表情だった硬質の玉面は、口元を綻ばせた途端に匂い立つような艶やかさを増した。彼の人から発せられる芳香も相俟って、不覚にも郭嘉は眩暈を覚える。
「何故」
「確たる理由などありません。ただそうした方が良いと思うからです」
今し方の笑みすら消し、前を向いたまま淡々と荀は応える。その視線は、既に香炉にも向けられておらず、瞳は虚空をのみ見据えている。
「天下を平定出来る器を持つのは曹操以外にいない。しかし曹操が天下を収めるとロクなことにはならない。なので天下を統一した時点ですぐさま殺そうと、あなたは考えている」
荀の笑みが遷ったかのように、笑顔の郭嘉は詩でも詠みあげるように滔々と口にした。
くすくすと、忍び笑いを漏らす。
「主公も諦めていないようですよ。天下を統一する迄にあなたを快楽と堕落で骨抜きにさせ、ご自分の足下に平伏させようと」
言いざま捕らえた手を引き、背後から羽交い締めるように抱きすくめた。
瞬間、荀は身を強張らせる。
それを面白がるように、郭嘉は笑い混じりで腕に力を込める。
「あなたがたはよく似ていますよ。我儘な子供のように一途で、頑固だ」
耳元で囁いた、そのままなぞるように唇を滑らせ、耳朶を食む。
「そんなあなたが酷く慕わしいですよ」
耳に直接吹き込まれだ睦言。吐息を漏らしながら、しかし荀はちらりと横目で男を睨んだ。
「あなたの愛する人は他にいるでしょう。彼の残り香が目当てで此処に来た癖に」
昼間荀の屋敷を訪れて、嬉しそうに長話をしていった義息の事を持ち出した。この香炉も、彼に強請られて倉から出してきた物である。郭嘉は嫌われている事をよく知っているのか、決して仕事以外の場では彼と顔を合わせようとしない。
「ええそうですよ。彼の焚いている爽やかな薫りと、あなたの芳しい薫りの混じり合ったこの空間は、俺にとっては最高の場所ですね」
悪びれずに認めながら、一方でこちらを立てる事も忘れない。そういう図太さが、嫌いではない。
自尊心を満足させられる事で漠然とした怯えが薄れるのに、荀は笑みを漏らした。相手の顔の見えない状況、拘束されるような腕の力は理屈抜きに恐怖心を呼び起こす。微量の好意を確認するだけで、消えてしまう程淡いものだとしても。
逆に言えば、自分にとって身を任せる事は、真偽の知れない言葉一つがあれば充分なのだろう。
腕の中の体が力を抜いたのが判ったのか、男は縛めていた腕を肩から離す。そのままごく手慣れた動作で、動き回る指は着衣を乱していった。
仰け反った首元に誘われるよう、顕わになった首筋から肩にかけてを、唇がなぞっていく。
与えられる眩暈にも似た感覚をやり過ごす為、荀は細い眉を顰めた。
……うひょー、恥ずかしいっっ。
これ、何かと申しますと、この前見た夢でございます。マジ。2002/7/15早朝ですね。
起きているうちに細かい箇所は忘れてしまうので、完璧に再現するのは無理でしたが。台詞とか行動とか、基本は変わりませんね。地の文のモノローグとかは結構付け足しましたけど。
三国志の夢見れてらっきー、と思うより前に、自分が欲求不満なのではないかと恐怖に襲われました(死)。
呉だけなら表なんですが。これは一つのアイテムに何重にも寓意が込められているようです。私の考えた設定じゃないので想像ですが。寝てる間の夢は自分でもコントロール不可…。
こういうことかな、と解釈して書いたので、結構読む分には解りやすいかも。
魏は、香炉=荀のようですね、多分。
これは、荀が曹操ラブだという私(当サイト)の設定と、大分違いましたねえ。本気でコントロール不可だったので自分でも吃驚しましたが、こういうデンジャラスな関係もいいなあ。読む分には好きです(笑)。
郭嘉は、曹操に命じられて荀を籠絡しようとしてるんでしょうね。だからこれは屈折した曹×荀なのかも……。
夢、ということで笑えた話。
どちらも、我が家の和室が舞台だったのですよね(爆)。具体的に古代中国の部屋が思い付かないから、見立てていたのでしょうけど。
昔封神の夢を見た時も、洞窟という設定で、ウチの風呂場で戦ってました(死)。
幼少時のごっこ遊びが、何らかの影を落としてるのだと思いますが……。
皆様はこのようなことはありませんか??