荀爽の娘。当時の女性のクセに本名も字も決まってるなんて羨ましいぞと思う反面、あそこまで極端なことをしないと載らない名前なんて要らねえよ、とも思う管理人。
党錮の禁が解けた後、時の潁川太守陰脩の推挙で荀・荀攸・鍾らが次々と郡に登用されることになった流れで、行政上互いの関係を更に緊密にしたい陰家と荀家の利害が一致、陰脩の一族である陰瑜に17歳で嫁ぐ。女性の字は夫或いは婚約者が付けるものなので、彼女の「女荀」は陰瑜命名と思われるが、独創性のない真面目な男性だろう、このセンス。
夫婦仲は頗る良かったが、19歳で一子を出産した後に(ウチでは直後)陰瑜は病死、寡婦となった荀采は娘を陰家に残し実家に返されてしまう。自身は一生亡夫への操を守る気満々だったが、父荀爽は可愛い娘の幸せな再婚を希望、それに反発した荀采は本家を飛び出し県城外の荘園に作られた荀家別邸に家出。
そんな娘の真情を今イチ解ってないお父さんは、娘の為に立派な(?)婿を見付けてきてしまうのだった……。
取り敢えず『後漢書』の郭奕説は年齢無茶スギなので却下。当サイトではその父郭嘉を再婚相手と設定しています。ひょっとしたら同姓同名の郭奕という人がいて、後世ごっちゃにされたのかもしれないけど。
郭嘉とは同い年、同居する従兄の荀にべったりと付いて回っていた幼少時の郭嘉とは庭を駆け回って遊んだ仲の幼馴染みで、七歳にして席を同じくしないようになってからもざっくらばんに言いたいことを話し合える腐れ縁の友達だった。ので、嫁ぐ前は郭嘉の恋愛相談に嫌々のってやったりもしていた。
クール&ドライが全面に押し出された言動で、荀家特有のねちっこさが希薄なサバサバした性格と思いきや、やっぱり根本で血は争えなかったりする。
少女時代は冷静で果断、逆に言えば女らしさの足りない人となりだったが、運命の人(本人ら称す)と出会ってしまったことで人生観が180°変わってしまった。ここから彼女の悲劇は始まる。
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