(guo jia) | |||
●ホントプロフィール 字 奉孝 諡 貞侯(ウソつけ…) 通称 特になし 生没年 西暦170(建寧三)年〜207(建安十二)年 本貫地 豫州 潁川郡 陽県 官位等 司空軍祭酒 ●ウソプロフィール 幼名 阿賚 身長/体重 176cm/61kg 星座/血液型 射手座/AB型 |
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●ウソ性格 | 天下無敵のアウトロー軍師。荀と同じ戦略型軍師だが、天性のずば抜けた頭脳に加え、特定の思想や常識の一切に囚われない柔軟な思考はその上を軽々と飛び越えるかもしれない。特に未来予測に関しては他の追従を許さない。 元々の剽軽で図々しい態度に加え、その能力や曹操の覚えめでたさもあり、潁川閥の中で荀に対して遠慮なく振る舞う唯一人。対立もしばしばだが、何事にも束縛されない彼の唯一の自己規範が『荀の為にならないことをしない』だったりするので…しょーもない。 主に軍事面での曹操のサポートが役割であり、従軍する機会が多い。私生活では享楽的。不摂生が祟って体力はないので、陣中で寝込むことも度々。 自堕落で、仕事をサボリまくって遊び呆けているかと思いきや、提出日には誰よりも完璧に仕上がってたりする要領良し。あまりに悪い品行の為に陳羣から何度も弾劾されているが、一向に改める様子を見せない。 曹操としてはそんなところが気の合う、悪友でもある。 一見開けっ広げで単純な性格に見えるが、滅多なことでは本心を顕さず、気が合うように見える曹操に対してもその例に漏れない。唯一の例外が荀だが、それにしても郭嘉は態度を取り繕わないだけで、理解出来るのは荀の察しが良いだけのこと。 思考の切り替えが早く、わざと身の回りに関しては思考を放棄しているところがある。人懐っこい割に、自他共にあまり人を信用していない。 『意外と寂しがり屋』とは本人談なので、どこまで信用が置けるかは不明。 |
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●ウソ容姿 | そこそこ良い方だが特に美形という訳でもない、平均よりやや上レベル。その割に、猫っぽい印象と人懐っこさで好感度は高く、女性にモテる。男には不真面目な態度が癇に障るか否かで、好悪がハッキリ別れるところ。 くるくると表情が変わるが、実は精神の安定度は高い。 瞳の色はやや薄目。ツリ目気味の奥二重。 中肉中背で体力皆無だが、せめて荀を抱き上げるくらいの腕力は欲しい…。 服装は派手好きで、一歩間違えば悪趣味になりかねないところを粋に着こなすあたり、バランス感覚は良さ気。普段は着崩したりとだらしないが、ちゃんとした席では別人の如くびしっと決めてきたりする。 |
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●ウソ恋愛 | 女好きで人妻にまで平気で手を出す。男にも手を出す用意はあるが、あくまでも荀命。既に大した理由もなく、ヒナ鳥のインプリンティングの如く愛している。 荀側の気持ちは結構どうでもいいので他の人を好きでも一向に構わないらしいが、嫉妬心がないのではなく、他の奴との多少の恋愛など自分達の絆にはこれっぽっちも影響しないと、自信満々なだけ。 自身も乱行を止めるつもりはないが、それによって荀が嫉妬するのは嬉しかったりするあたり、やはり何だかんだで気持ちも気にしてるかもしれない。 あくまでも荀基準な生き方が、潁川閥兄貴分の荀攸や鍾には好感を持たれている。 好悪の判断も荀基準なので、荀の好きな人は自分も好き。曹操は郭嘉自身かなり好きで関係持ってたりもするが、その一方で荀に危害加えたら即毒殺とも思っている。 陳羣には荀好き仲間としての親近感とライバル心。同い年の癖にスレてないところが可愛いと思っているが、からかって遊んでいるフシ多々。 程や夏侯惇には、露骨に対抗意識を燃やしているが、一方では懐いていたり。 袁紹のことは大っ嫌い。 ☆推奨カップリング 郭嘉×荀 曹操×郭嘉 郭嘉?陳羣 |
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●ウソ人生(含ネタバレ) っていうかウソ度99.99%!! タダごとじゃないくらいウソまみれ!! |
法家の名門郭氏の本家に生まれるが、庶子だったとか色々の事情があって、末端の分家に養子に出された。郭一門の中でも分家の一部では、地元の名望家である荀淑の私塾やその後継の息子達に門生として師事することで本家よりも荀氏に帰属する意識が強く、郭嘉も一族の郭図に連れられて幼少時から荀家に出入りしていた。そこで、荀爽以外の家族から距離を置かれて寂しかった荀から弟のように可愛がられて育つ(勿論大ウソ設定)。学問の基礎は荀によって手ほどきを受けたが、その後は独力で雑多な知識を詰め込み、ついでに悪い遊びも覚えて家に帰って来なくなる。その時期に、一時荀との交流も途絶える。 その後各地を放浪していたが、荀の冀州入りを聞いて自分も袁紹の客分に。そのまま荀出奔の手助けをし、ついでに郭図や辛評に散々袁紹の悪口を言って自分も逃走。以後数年は偽名を使って野に潜伏していたが、袁紹的には郭嘉の存在すら覚えていなかったので結局は空回り。しかし郭嘉も幼少時に袁紹からお菓子を貰っていた過去を忘れているのでお互い様。 潜伏先を捜し出した荀の誘いに乗って曹操に仕官した後は、大のお気に入りとしてその懐刀に。対河北戦に特に功績があり、曹操からは後事を託そうとまで思われていたが、烏丸平定の際に陣中で病死した。 |